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埼玉(さきたま)の 津(つ)に居(を)る船の 風をいたみ
綱は絶ゆとも 言(こと)な絶えそね
=巻14-3380 作者未詳=
埼玉の 小埼の沼に 鴨そ翼(はね)霧(き)る
己(おの)が尾に 降りおける霜(しも)を 払(はら)ふとにあらし
=巻9-1744 高橋虫麻呂=
<歌の意味>
(社殿に向かって右側の石塔籠)
埼玉の津に帆を降ろしている船が、風をいたみ、つまり激しい風のために綱が切れても、大切なあの人からの頼りが絶えないように。(巻14-3380)
(社殿に向かって左側の石塔籠)
冷たく張りつめた早朝の小埼沼は、見渡す限り白い霜の世界に包まれていた。その中でかすかに羽を動かす鴨は、まるで自分の羽に降り積もった霜を払うような仕草に見える。(巻9-1744)
古代には、行田市大字埼玉あたりを表す地名として「さきたま」が用いられた。この付近に湖沼があちこちに散らばり、また利根川や荒川に臨む渡し場も随所にあったとされている。
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前玉(さきたま)神社
行田市のさきたま古墳群、その一角の古墳である浅間塚の上に鎮座しているのが前玉(さきたま)神社である。
塚の上の社殿の真下に急な石段がある。この石段の上り口に、高さ約2メートルの一対の石燈篭があり、竿の部分にこの地を詠んだ、「埼玉の津」と「小崎沼」の2首の万葉歌が刻まれている。
この石塔籠は今から300年程前の、江戸時代の元禄10年(1697年)10月15日に地元埼玉村(現在の行田市埼玉)の氏子たちが奉納したもので、万葉集に掲載された歌の歌碑としては、全国的にみても古いものの一つといえる。
巻9-1744の歌は、上の句が五・七・七、下の句も五・七・七の繰り返す形式で旋頭歌(せどうか)という。
江戸時代初期に万葉集を理解していた東国の住民たちが存在していたのである。ただ知らないと通り過ぎてしまう程、わかりにくい場所に万葉仮名で刻まれていた。
ちなみに、埼玉(さいたま)という地名は、この前玉(さきたま)から生まれたのだそうだ。
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