飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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1988年1月 四天王寺・南河内

2010年07月12日 | 思い出の大和路探訪
 この日は飛鳥地方からすこ離れた大阪・四天王寺と南河内を歩いた。
南河内は渡来人の足跡が色濃く残る地であった。

コース:天王寺駅・・・四天王寺・・・近鉄天王寺駅===近鉄近鉄藤井寺・・・葛井寺・・・ ・・・白鳥神社・・・近鉄古市駅


天王寺駅から歩くと四天王寺が見えてくる


四天王寺 五重塔、中門
四天王寺は大阪市天王寺区にある、和宗総本山。元は天台宗だった。
593年(推古天皇元年)に聖徳太子によって建立された、日本仏法最初の大寺。
聖徳太子建立七大寺の一つとされている。
現在の伽藍は、第二次世界大戦後に復興されたもの。
伽藍の配置は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、それを回廊が取り囲む「四天王寺式伽藍配置?」である。日本では最も古い建築様式の一つである。


五重塔と金堂


五重塔と回廊


四天王寺の石鳥居(西門)と西大門


葛井寺(ふじいでら)の四脚門


葛井寺
百済の王族、王仁(わに)一族の葛井(ふじい)氏が河内に住み建立した氏寺が葛井寺の始まりと考えられている。


辛国神社
辛国神社は葛井寺の南西側に鎮座しており、渡来系氏族である葛井氏との関係が考えられている。またこの地方を治めた物部氏が創設したという説もある。


岡ミサンザイ古墳
古市古墳群に属する前方後円墳。仲哀天皇陵ともいわれている。陵名は惠我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)で、第14代仲哀天皇の陵墓に治定されている。


野々上(野中寺への途中)からの二上山


野中寺
聖徳太子が建立した河内三太子のひとつとされ、「中の太子」と呼ばれている。木造地蔵菩薩立像と金銅弥勒菩薩半跏像は国の重文。現在の建物は江戸初期の再建。(太子町の叡福寺が「上ノ太子」、八尾の勝軍寺が「下ノ太子」という)
本来は、今来才伎(イマキノテヒト)と呼ばれた渡来人の王辰爾(オウジンニ)を祖とする百済系渡来氏族の船氏の氏寺であったとされる。


野中寺の本堂


朝鮮の石人


野中寺の本堂の甍


野中寺塔礎石


応神天皇陵
羽曳野市の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)で墳長422mは日本第2位である。
ちなみに第1位は仁徳天皇陵で墳長486m。


誉田(こんだ)八幡宮
応神陵の後円部を背に応神天皇を祀る。日本最古の八幡宮で、もとは墳墓の頂きに社殿があったとされる。


誉田白鳥遺跡 埴輪窯跡
埴輪窯11基と埴輪を作った工人が住んでいた建物跡が見つかっている。


西琳寺(さいりんじ)
欽明天皇の勅願寺として建立された向原寺が起源とされ、8世紀後半に百済系渡来人の王仁博士の後裔である西文(かわちのふみ)氏が開基とされる。


西琳寺の塔礎石 巨大な五重塔の心礎
出土品の瓦などから飛鳥時代創建は確実であり、境内の庭に置かれた高さ2m近い塔礎石は重量は27tを超え、塔礎としては飛鳥時代最大のものである。


白鳥神社
前方後円墳の後円部の頂上にある神社。古市の氏神となっている。

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