それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

アニメ「サザエさん」の終焉:上部構造と下部構造の崩壊

2017-04-07 11:26:35 | テレビとラジオ
 もうずっと前から、本当にずっと前から、アニメの「サザエさん」は日本社会の現状と乖離していて、どう見たら良いのか分からない。

 家族の構造はもちろん、割烹着を着ているお母さんがいて、お酒やお醤油を裏口に宅配しているお店が存在し、

 携帯電話がなく、パソコンやインターネットの類がない世界。そして、世田谷の一軒家に住む中流家庭という、なかなか飲み込みにくい設定。

 当たり前だ。すべて昭和の世界なのだから。原作がそうなのだ。

 どこにでもある日常を鋭い視点で描いた原作は、ほのぼのとした家庭の風景に置き換わり、そして化石化した。

 そして、スポンサーが倒産しようとしている。あの、日本を代表するメーカー東芝が崩壊した。

 奇しくも、日本が大好きだった原発ビジネスの世界的な崩壊の波を受けて。

 経産省と一緒になって進めてきたのに、仲良く心中しようとしている。

 ちょっぴりマルクス風に言えば、「昭和の家族と社会」なるイデオロギー(上部構造)が破たんしつつあり、

 遂にはスポンサーの破綻で下部構造まで揺らいでいる。



 でも、フジテレビはこれを手放さない。手放せない。

 それもなんだか切ない。

 僕たちもアニメ「サザエさん」という日常を手放したくないのだろうか?

 「サザエさん」で顕在化している無理な部分を僕たちは見ないふりをして生きていけるだろうか?

 日本の沢山のシステムで同じようなことをやっている。

 破たんするまで僕たちは続ける。

 崩壊寸前の古き良き日常というファンタジー。

 僕は革命を求めているんじゃない。

 ただ、「サザエさん」を昭和の世界に帰してあげたいだけなのだ。

 僕たちは僕たちの日常を生きよう。

 僕にとっては、まるで現実的ではない「小林さんちのメイドドラゴン」の方が、よほど現実的だったよ(ご存じない方はぜひ見てみて)。

「ザ・ノンフィクション その後の中年純情物語」:高校野球的な「純粋さ」

2017-04-04 08:20:35 | テレビとラジオ
 フジテレビの「ザ・ノンフィクション」という番組がある。知っている人は知っている、あの番組。

 見ていてなんとも言えない気持ちにさせてくれる人に密着する、あの番組。

 そのなかでも、「その後の中年純情物語」がやたら話題である。私も見た。



 「その後の」と言っているように、これは2回目の密着ドキュメントである。

 ただ、「その後の」では、前回の内容も全部押さえてあるので、初見の人でも理解できるように作ってある。

 密着対象は、50代の男性。「きよちゃん」と呼ばれている。彼は東京で地下アイドルの追っかけをしている。

 なかでも、「カタモミ女子」というグループの「りあ」という女の子を推している。

 彼は普通に仕事をしていて、そこでできたお金の多くを「りあ」を応援するために使っている。

 りあは当初、地下アイドル活動を本気ではやっていなかったが、きよちゃんが最初のファンとなったことから、真剣に活動を開始した。

 きよちゃんにとっても、カタモミ女子のりあとの出会いは衝撃的だったらしく、「夢のような世界」に出会ったと語っている。

 きよちゃんは、ただただオタのトップとして、黙々と応援し、一生懸命商品を買う。

 彼はヤジも飛ばさないし、運営にも口を出さないし、プロデューサーみたいな立場になろうともしない。

 とにかく、紳士なのである。

 異常にストイックな客なのである。

 ただ、りあを含めた「カタモミ女子」が売れてほしいと静かに強く願うのである。



 ところが、このカタモミ女子が解散してしまう。

 カタモミ女子は、そもそも秋葉原のお店でカタモミの接客をしながら、アイドル活動を行う形態だった。

 それで生活費を稼ぎながら、アイドルとしてステップアップしようとしていた。

 けれども、メンバーの女性たちが、この活動ではアイドルとしての将来がないと考え、お店を集団で辞めることにしたのである。

 きよちゃんは「いつかこの時が来ると思っていた」と悲しげに言う。

 彼は決して文句を言ったりしない。

 そして、りあから問われる。「解散しても、私のファンでいてくれる?」

 彼は答える。「もちろん」と。



 辞めた女性たちは新しいユニットをつくり、改めて地下アイドル活動を展開した。

 しかし、その活動もすぐに終わってしまう。

 メンバーははじめてイベントのブッキングなどのマネージメントをすべて自分でこなさなくてはいけなくなった。

 そして、どの方向で活動を展開していくのか、というプロデュースも自分たちで行うことになった。

 けれども、アイドル活動とそうした運営業務がうまくこなせなかったらしく、解散してしまう。

 彼女たちは、そこではじめてお店が自分たちのために何をしてくれたのか気が付くのである。

 解散後、メンバーはそれぞれの道を歩み始める。

 りあは、ひとりで活動していくことにした。

 固定客は最大でも20人弱(密着当時)。もちろん、マネジメントもすべて自分でこなす。

 大学はなんとか卒業した。就職も考えた。けれど、やっぱり地下アイドルを続けたい。

 映像では、りあがどこにでもいる真面目で物静かな女性に見える。

 誰かを騙そうという悪意がなく、絶対売れてやろうという野心も感じられない。

 ただ、誰かが自分を見てくれる舞台を少しでも続けたい、という気持ちだけが見える。

 きよちゃんは言う。「いつか、その時〔=引退〕が来ると思う。でも、彼女が続けたい間は応援したい。」

 

 このドキュメンタリは、何か胸をうつものがある。

 多くの人が言う。「女の子は早くアイドルを辞めた方がいい、売れない。」「若い時間をもったいない。」「きよちゃんは騙されている。」「両者は共依存だ。」

 ただ、私は思うのである。これは高校野球みたいなものだな、と。

 高校野球の試合を見て、「プロになれないんだから、早くやめちまえ」とは誰も言わないだろう。

 それどころか、高校野球ファンっていうのが、ゴロゴロいる。

 高校野球をやっている学生のほとんどはプロにならない。あるいは、なれない。

 貴重な時間を費やして、野球というスポーツばかりをやっている。

 もう少し勉強していたら、違う人生かもしれない。

 高校野球を放送したりしてお金を稼いでいる放送局は、やりがいの搾取をしているのかもしれない。

 でも、そんなことを言って、高校野球をやめさせようという人が出てきたのを見たことがない。



 この番組に出てきた地下アイドルとそのファンも似ている。

 誰も、このアイドルがメジャーになるとはほとんど思っていない。

 奇跡的になるかもしれない、と信じている。だけど、そうはならない。

 にもかかわらず、ファンは応援する。

 運営に口も出さずに(出す人もいるが、きよちゃんは違う)。

 アイドルと付き合うこともなく(付き合う人もいるが、きよちゃんは違う)。



 きよちゃんもりあも、アイドル活動に対して誠実なのだ。

 この番組で心打つのは、そこだ。

 ただ純粋にファンで、ただ純粋に地下アイドルなのだ。

 その気になれば、ファンと恋愛もできるだろう。

 けれど、それをやってしまったら、アイドルとして(ファンとして)自分がやってきたことを裏切ってしまう(のかもしれない)。

 その誠実さの対象は、空虚かもしれない。

 アイドル活動(ヲタ活動)を全うしたからと言って、素晴らしい何かが待っているわけではないかもしれない。

 しかし、今は確かに幸福な瞬間がある。

 その幸福な瞬間を「罠」と言う人もいるだろう。

 高校野球もそうだ。

 どうも、高校野球もアイドルもそれ以外で代替困難な幸福らしいのだ。

 正直私には理解困難ではあるが、しかし、誠実にその道を突き進んでいることには、なぜかしら心打たれるのである。