Base Ball Bearのアルバム『光源』が話題になっている。
とにかく良く出来ている。
これまでのアルバムと比べると、極端にグルーヴ感が増した。
ベースラインはいずれも練りに練られたもので、ドラムとギターがそこに有機的に結びついている。
「有機的に」と言うのは簡単だが、コード進行やグルーヴが効果的に発出するように構成するのは、きわめて難しい。
じっくりと考え抜かれた編曲は、聴けば聴くほど味わい深い。
何より演奏技術が格段に上がっている。一音一音の深さ、音圧がこれまでよりもはるかに良くなっている。
そういう音楽的なことは聴けば分かるのだが、このアルバムで衝撃的なのは歌詞(歌詩)の世界なのである。
それを言葉で説明するのが、今回の目的なのだが、非常に難しい。
このアルバムから全体を通じて見えてくるのは、「過去の記憶とどう向き合うか」ということだ。
曲全体で特徴的なのは、過去の強烈な成功体験と失敗体験がまだら状になっていることである。
強烈な成功体験も失敗体験も、現在の自分を支配する。
そこから逃れるのは、とても難しい。それが思春期に起きれば、「青春の呪い」になる。
いつまでも青春について考えてしまう可哀そうな人間になってしまうのである。
たとえ思春期を無難に過ごしたとしても、成功体験や失敗体験から無縁でいられる人は少ないのではないか。
このアルバムの普遍性はそこにある。
失敗体験について言えば、「あの時、あの選択をしていれば・・・・・・」と人間は考えがちだ。
もし世界が複数あって、並行して存在していたらどうだろう。
別の世界の自分は違う選択をして、違う結果を享受していたはずだ。
並行世界まで考えるかどうか別にして、違う運命について考えてしまうことはよくある。
逆に成功体験もそれはそれで、現状の評価や判断に大きな影響を与える。
影を落とすと言った方がいいかもしれない。
懐かしむだけで止められればいいが、今を生きることを阻害することもありえる。
過去を振り返るとき、いつも考えてしまう。「あの時のあの選択」は選ばされたものだろうか、それとも選んだものだろうか、と。
われわれは因果律に支配されているのだろうか、それとも自由意志で運命を切り開いているのだろうか。
人間の自由意志は儚く、もがきながら選択を続けている。
意志の自由を高らかに謳うのは、とても困難だ。
だからこそ、過去がいつまでも追いかけてきてしまう。
このアルバムは、そうした人間の弱さを愛しいものとして読み替える試みである。
自分の選択は運命全体から見れば確かに小さいものだが、それが大きな変化を生む場合もある。
そう考えれば、運命の正体は自分なのであって、良い変化であれ、困った変化であれ、それを受け入れていくしかない(本作では「逆バタフライエフェクト」)。
もちろん、過去の記憶を胸の内に残していたっていい。それを原動力にしていくことも、ひとつの正解ではないか(本作では「SHINE」)。
このアルバムを聴き終ってみると、結局何も変わっていない自分がいる。
いや、よくよく見ると、少しだけ違う。
過去が確かに過去であることを受け入れている。
つまり、確かに時間が経過したのだと理解している。
今は過去ではない。
でも、過去は確かにあった。
そして、もう一度、今が始まる。
とにかく良く出来ている。
これまでのアルバムと比べると、極端にグルーヴ感が増した。
ベースラインはいずれも練りに練られたもので、ドラムとギターがそこに有機的に結びついている。
「有機的に」と言うのは簡単だが、コード進行やグルーヴが効果的に発出するように構成するのは、きわめて難しい。
じっくりと考え抜かれた編曲は、聴けば聴くほど味わい深い。
何より演奏技術が格段に上がっている。一音一音の深さ、音圧がこれまでよりもはるかに良くなっている。
そういう音楽的なことは聴けば分かるのだが、このアルバムで衝撃的なのは歌詞(歌詩)の世界なのである。
それを言葉で説明するのが、今回の目的なのだが、非常に難しい。
このアルバムから全体を通じて見えてくるのは、「過去の記憶とどう向き合うか」ということだ。
曲全体で特徴的なのは、過去の強烈な成功体験と失敗体験がまだら状になっていることである。
強烈な成功体験も失敗体験も、現在の自分を支配する。
そこから逃れるのは、とても難しい。それが思春期に起きれば、「青春の呪い」になる。
いつまでも青春について考えてしまう可哀そうな人間になってしまうのである。
たとえ思春期を無難に過ごしたとしても、成功体験や失敗体験から無縁でいられる人は少ないのではないか。
このアルバムの普遍性はそこにある。
失敗体験について言えば、「あの時、あの選択をしていれば・・・・・・」と人間は考えがちだ。
もし世界が複数あって、並行して存在していたらどうだろう。
別の世界の自分は違う選択をして、違う結果を享受していたはずだ。
並行世界まで考えるかどうか別にして、違う運命について考えてしまうことはよくある。
逆に成功体験もそれはそれで、現状の評価や判断に大きな影響を与える。
影を落とすと言った方がいいかもしれない。
懐かしむだけで止められればいいが、今を生きることを阻害することもありえる。
過去を振り返るとき、いつも考えてしまう。「あの時のあの選択」は選ばされたものだろうか、それとも選んだものだろうか、と。
われわれは因果律に支配されているのだろうか、それとも自由意志で運命を切り開いているのだろうか。
人間の自由意志は儚く、もがきながら選択を続けている。
意志の自由を高らかに謳うのは、とても困難だ。
だからこそ、過去がいつまでも追いかけてきてしまう。
このアルバムは、そうした人間の弱さを愛しいものとして読み替える試みである。
自分の選択は運命全体から見れば確かに小さいものだが、それが大きな変化を生む場合もある。
そう考えれば、運命の正体は自分なのであって、良い変化であれ、困った変化であれ、それを受け入れていくしかない(本作では「逆バタフライエフェクト」)。
もちろん、過去の記憶を胸の内に残していたっていい。それを原動力にしていくことも、ひとつの正解ではないか(本作では「SHINE」)。
このアルバムを聴き終ってみると、結局何も変わっていない自分がいる。
いや、よくよく見ると、少しだけ違う。
過去が確かに過去であることを受け入れている。
つまり、確かに時間が経過したのだと理解している。
今は過去ではない。
でも、過去は確かにあった。
そして、もう一度、今が始まる。