「BLUE GIANT」を読んでいる。ジャズの漫画だ。
私のゼミ生が熱心に薦めてきて、じゃあ読んでみようかなあとなった。
妻の評価は「まあまあ」といったところで、その理由も納得のいくものだった。
しかし、私は読んでいて何度か涙が出た。なんでそうなったか、少しだけ書いておく。
この漫画の問題は、ストーリーが早すぎることと、10巻に至っては若干安易に流れてしまっていることだ。
すごく重要な人物の登場でも、さらーーっと通り抜けてしまう。
また、脚本で一番やってはいけないとされる「物語上邪魔になった人物を交通事故に合わせる」というやつをやっていること(ネタバレになるから、詳しくは書かない)。
そうした内容への不満はあるのだが、しかし、この漫画は音楽漫画に私が求める、非常に重要なポイントを押さえている。
それは音楽を演奏している時の感覚や葛藤、その先に目指すイメージだ。
私自身、ブラックミュージックを大学の時にやっていたから、よく分かるのだが、
この領域の音楽の場合、途中で「自分の壁」が出てくる。
どういうことかと言うと、ソロでアドリブをかましている時、どうしても「いつもの手癖」や「ありきたりなフレーズ」に悩まされる。
自分自身を驚かせるような、新しい何かを生み出せない葛藤が生まれる。
フレーズはいつもと同じでも、違う弾き方、歌い方はありえる。
何かを変えたい。新しい境地に行きたい。
何を変えればいい?新しいアイディアとは何だ?
本番こそ最高の練習で、そこで直面する壁こそ、成長にもっとも近い壁なのだ。
この漫画は、ブラックミュージックのその独特の壁が良く描けている。
そして何より、それを越えた時の感覚が、新しい地平に行けた時の、観客を巻き込んだ「おーーーーー」という感じが見事に描けている。
主人公は天才なのだが、物語の(国内編)前半はそれを開花させるまでのプロセスが面白い。
だが、(国内編)後半は事実上、主人公とトリオを組むピアニストが中心になる。
彼は天才的ではあるものの、自分の壁を乗り越えるうえで、かなりの苦労を強いられる。
それは彼の精神世界の問題そのもので、そことどう向き合い、取っ組み合うのかが見どころだ。
その過程を読みながら、私は昔のことを思い出しつつ、何度か泣いた。
この漫画を読みながら、自分が大学生の頃に親しくしていた、ジャズピアニスト志望の青年のことを思い出さざるをえなかった。
それにまつわる記憶は、正直、あまり思い出したくない。
だから、その思い出の箱を開けるのは、嫌だった。
でも「ブルージャイアント」を読みながら、以前とは違う気持ちで過去を振り返ることができた(ような気がする)。
私が親しくしていたピアニスト志望の青年は、自分の壁を越えようと、ライブで毎回苦闘していた。
特に、アマからプロへ移行しようとした時期は、本当に毎日激しく闘っている様子だった。
そんなある日、彼が大きく変わる事件が起きる。
いつものように、地元のミュージシャンとライブをやっていた時、彼はやはり壁にぶつかっていた。
しかし、その前から、彼には自分を変える方法がひとつ見つかっていたのだ。
それは呼吸法だ。
詳しくは書かないが、彼は新しい呼吸法でピアノをプレイすることで、新しい境地に進もうとした。
ところが、その呼吸法は若干危険というか、訓練が必要なものだったらしく、
ソロの途中で、なんと彼は突然気絶してしまう。
ブラックミュージックをやったことがない人は分からないかもしれないが、
この領域の音楽は、実のところ、普通では考えられないようなことが身体に起こる。
私は吹奏楽やオーケストラでも演奏したことはあるが、ブラックミュージックのうまくいった時の興奮は異常で、
いわゆるシャーマン的な、呪術的なものなのである。
それゆえ、ある意味で危険と言えば危険なのだ。
さて、気絶した彼はその後、どうなったのかと言うと、それが不思議なのだ。
演奏が終わり、みんなが彼に気絶したことに気付いた時、観客も含め、心配の後に爆笑になったわけだが、
驚いたのは、気絶以前と気絶以後の演奏が、まるで別人のようになったということなのである。
音色の輝きがまるで違うのだ。
で、その彼は最終的にプロになって、今、東京で活動しているのだが、
「ブルージャイアント」との関連で言えば、彼や彼の周りの音楽家たちが究極的に目指すものは、漫画とは異なるように思う。
「ブルージャイアント」では、ジャズが古典音楽化し、聴き手が減って、ポップスなどとの距離があることを一つの問題として措定している。
そして、主人公たちがその垣根を越え、同時にジャズの根源に帰りながら、人気を博すという流れを目指している。
けれども、私が知っているプロの人たちは、もっとすごいというか、別の精神世界での高みを目指しているように思える。
売れる売れないというよりも、もっと本質的かつ反資本主義的な世界。
私は当事者ではないので、詳しくは書けない。
詳しく知りたい人は、ぜひ東京のアンダーグラウンドのジャズシーンを見てみてほしいのだが、
みんなが想像できないほど純粋な人たちが、そこにはいたりする。
「ブルージャイアント」が示す目標は、悪く言えば即物的だ。
物語にも、そういう価値観とは異なるプレイヤーがぜひ登場してほしいと思っている。
私のゼミ生が熱心に薦めてきて、じゃあ読んでみようかなあとなった。
妻の評価は「まあまあ」といったところで、その理由も納得のいくものだった。
しかし、私は読んでいて何度か涙が出た。なんでそうなったか、少しだけ書いておく。
この漫画の問題は、ストーリーが早すぎることと、10巻に至っては若干安易に流れてしまっていることだ。
すごく重要な人物の登場でも、さらーーっと通り抜けてしまう。
また、脚本で一番やってはいけないとされる「物語上邪魔になった人物を交通事故に合わせる」というやつをやっていること(ネタバレになるから、詳しくは書かない)。
そうした内容への不満はあるのだが、しかし、この漫画は音楽漫画に私が求める、非常に重要なポイントを押さえている。
それは音楽を演奏している時の感覚や葛藤、その先に目指すイメージだ。
私自身、ブラックミュージックを大学の時にやっていたから、よく分かるのだが、
この領域の音楽の場合、途中で「自分の壁」が出てくる。
どういうことかと言うと、ソロでアドリブをかましている時、どうしても「いつもの手癖」や「ありきたりなフレーズ」に悩まされる。
自分自身を驚かせるような、新しい何かを生み出せない葛藤が生まれる。
フレーズはいつもと同じでも、違う弾き方、歌い方はありえる。
何かを変えたい。新しい境地に行きたい。
何を変えればいい?新しいアイディアとは何だ?
本番こそ最高の練習で、そこで直面する壁こそ、成長にもっとも近い壁なのだ。
この漫画は、ブラックミュージックのその独特の壁が良く描けている。
そして何より、それを越えた時の感覚が、新しい地平に行けた時の、観客を巻き込んだ「おーーーーー」という感じが見事に描けている。
主人公は天才なのだが、物語の(国内編)前半はそれを開花させるまでのプロセスが面白い。
だが、(国内編)後半は事実上、主人公とトリオを組むピアニストが中心になる。
彼は天才的ではあるものの、自分の壁を乗り越えるうえで、かなりの苦労を強いられる。
それは彼の精神世界の問題そのもので、そことどう向き合い、取っ組み合うのかが見どころだ。
その過程を読みながら、私は昔のことを思い出しつつ、何度か泣いた。
この漫画を読みながら、自分が大学生の頃に親しくしていた、ジャズピアニスト志望の青年のことを思い出さざるをえなかった。
それにまつわる記憶は、正直、あまり思い出したくない。
だから、その思い出の箱を開けるのは、嫌だった。
でも「ブルージャイアント」を読みながら、以前とは違う気持ちで過去を振り返ることができた(ような気がする)。
私が親しくしていたピアニスト志望の青年は、自分の壁を越えようと、ライブで毎回苦闘していた。
特に、アマからプロへ移行しようとした時期は、本当に毎日激しく闘っている様子だった。
そんなある日、彼が大きく変わる事件が起きる。
いつものように、地元のミュージシャンとライブをやっていた時、彼はやはり壁にぶつかっていた。
しかし、その前から、彼には自分を変える方法がひとつ見つかっていたのだ。
それは呼吸法だ。
詳しくは書かないが、彼は新しい呼吸法でピアノをプレイすることで、新しい境地に進もうとした。
ところが、その呼吸法は若干危険というか、訓練が必要なものだったらしく、
ソロの途中で、なんと彼は突然気絶してしまう。
ブラックミュージックをやったことがない人は分からないかもしれないが、
この領域の音楽は、実のところ、普通では考えられないようなことが身体に起こる。
私は吹奏楽やオーケストラでも演奏したことはあるが、ブラックミュージックのうまくいった時の興奮は異常で、
いわゆるシャーマン的な、呪術的なものなのである。
それゆえ、ある意味で危険と言えば危険なのだ。
さて、気絶した彼はその後、どうなったのかと言うと、それが不思議なのだ。
演奏が終わり、みんなが彼に気絶したことに気付いた時、観客も含め、心配の後に爆笑になったわけだが、
驚いたのは、気絶以前と気絶以後の演奏が、まるで別人のようになったということなのである。
音色の輝きがまるで違うのだ。
で、その彼は最終的にプロになって、今、東京で活動しているのだが、
「ブルージャイアント」との関連で言えば、彼や彼の周りの音楽家たちが究極的に目指すものは、漫画とは異なるように思う。
「ブルージャイアント」では、ジャズが古典音楽化し、聴き手が減って、ポップスなどとの距離があることを一つの問題として措定している。
そして、主人公たちがその垣根を越え、同時にジャズの根源に帰りながら、人気を博すという流れを目指している。
けれども、私が知っているプロの人たちは、もっとすごいというか、別の精神世界での高みを目指しているように思える。
売れる売れないというよりも、もっと本質的かつ反資本主義的な世界。
私は当事者ではないので、詳しくは書けない。
詳しく知りたい人は、ぜひ東京のアンダーグラウンドのジャズシーンを見てみてほしいのだが、
みんなが想像できないほど純粋な人たちが、そこにはいたりする。
「ブルージャイアント」が示す目標は、悪く言えば即物的だ。
物語にも、そういう価値観とは異なるプレイヤーがぜひ登場してほしいと思っている。