映画「はじまりのうた」が素晴らしかった。
原題は「Begin Again」。ちょっとダサい雰囲気だけれど、この映画は素晴らしい。
何が素晴らしいって、この映画はとにかく音楽の喜びに溢れているのである。
音楽を作る喜び、演奏する喜び、誰かと一緒に演奏する喜び、誰かと音楽について語る喜び。
1.あらすじと、その特徴
主人公は、イギリス人で大学生の女性、グレタ。彼女は、恋人のデイヴと共作した曲が映画に採用されたのを機に、彼とニューヨークで暮らすことに。
彼氏はさっさとスターになる。グレタは、その音楽の才能にもかかわらず、「付き添いの彼女」として弾かれてしまう。
(彼氏を演じるのが、Maroon5のフロントマンであるアダム・レヴィーン。ここが凄い。彼の歌唱が最高。)
居場所を見つけられないグレタ。そんな彼女をしり目に、彼氏はまたさっさと浮気。
グレタは旧友の売れないミュージシャンの家に転がり込み、彼が出演したバーの舞台で急に歌うことに。
歌い終わると、音楽プロデューサーを名乗る、飲んだくれのおっさんにアルバムを作ろうと持ち掛けられる。
この飲んだくれのおっさんは、名プロデューサーだったものの、新人を見つけられず、アル中になり、会社もクビ、妻とも娘とも不仲、という最悪の状況にいた。
そんなふたりが、協力してアルバムを作ることになり、彼らと彼らの周りで何かが少しずつ変化していく。
あらすじはこんな感じだが、「喜び」重視のこの映画の特徴は、特に後半登場する。
アルバムをつくる体制は、映画の中盤に至るまでに完成する。
後半は、グレタのおっさんに対する理解が深まるとともに、ますます音楽の楽しさが加速していく。
普通、こういうストーリーだと、後半に「もう一波乱!」だと予想する。
つまり、やっぱりふたりは分かり合えない、すれ違う、そして、もう一度それを乗り越えてみたいな話。
ピクサーとかの脚本でよくあるやつ。
しかし、このアルバムはそういうシナリオのための「もう一波乱!」を拒否して、徹底的に音楽の喜びに、のめり込んでいく。
(くだらない)恋愛の要素が必要最低限に抑えられている。
次の節で言うけど、主人公が彼氏の肩越しに模索しているのは、彼女なりの音楽との関わり方だ。
そこにこの映画の深みがある。
2.二重の拒絶
面白いのは、主人公のグレタが徹底して、音楽をとりまく資本主義を拒絶していくことだ。
後半でもう一度、グレタが彼氏と会うシーン。
グレタは彼氏に制作途中のアルバムを聴かせる。
彼氏はそれを絶賛する。
逆に彼氏もメジャーで制作中のアルバムを聴かせる。
グレタはそのなかの一曲について「元の楽曲の良さが失われている」と批判する。
グレタの感性は鋭い。音楽的な才能にあふれている。
彼氏もすごい才能だが、あくまでも売れること、ポップスターになることを目指している。
グレタは、この彼氏の姿勢をまったく肯定しない。
しかし、その音楽を本気で素直に実直に語る彼女の言動が、彼氏の心を強く動かす。
彼氏は言う、「こういう音楽の話がしたいんだ。この話が続けられるなら、このアルバムも捨てるよ。」
グレタは彼氏の目をキッと見て言う、「本当に捨てる?」
口ごもる、彼氏。『いやいや、例えだよ。分かるだろ。』という心の声が聞こえてきてしまうような、彼氏の困った表情。
グレタと飲んだくれのおっさんは、見事なアルバムを完成させる。
その過程で、仲間との絆を強くする。
そして、音楽レーベルとの契約、という段階になって・・・。
はっきりとネタバレしますけど、彼女は契約しない。
もうひとつ彼女が拒絶するのが、彼氏とのパートナーシップ。
単なる恋人ではなく、音楽制作上のパートナーとして、彼氏はグレタを必要としていることを明らかにする。
それが最後の彼氏のライブシーン。
グレタが彼氏に贈った曲を彼氏が歌う。
グレタにめちゃくちゃに批判されたポップアレンジではなく、元のオリジナルのバージョンで。
グレタは心を動かされたはずだ。
(何せ、実際Maroon5だもの、歌が極上に上手い。)
彼氏はグレタを舞台上に呼び寄せようとする。
もし彼女がそこに行けば、またパートナーシップを結ぶことになるだろう。
レコード会社も、もう彼女を爪弾きにしないかもしれない。
だけど・・・・・・。
グレタは、歌の最中に劇場を去る。
自転車に乗って、NYの街を滑走する。
そして、エンドロールのなかで、グレタは飲んだくれプロデューサー(禁酒中&引っ越し中)の家へ行き、
あの最高のアルバムをインターネットで配布することを決める。
値段はたった1ドル。
彼女は、彼氏とは違う音楽との関わり方を決意したのだ。
それは彼氏との決別であり、メジャーレーベルを中心とした音楽産業との決別だった。
では、「再び始まる」というタイトルは、何を意味しているか。もう明らかだ。
3.音楽無料化の時代に
話はまったく飛びますが、最近、私はChance the Rapperのアルバムにはまっていた。
彼の最新アルバムは、第59回グラミー賞で三冠を獲得している。
実際、その奥行きの深さは度肝を抜かれる。
特にゴスペルやジャズなどのルーツ的な音楽要素の散りばめ方が見事。
そんな彼のアルバムは、このアルバムも他のものも、すべて無料配信されている。
どうしてそんなことが可能なのか。
正直言ってよく分からない。
映画「はじまりのうた」で明らかなのは、音楽は現在かなり安く作れるが、それでもお金はかかる、確実に。ということだ。
最近のヒップホップの経済を誰か説明してくれると本当にありがたい、と思うのだが、それはさておき、
映画「はじまりのうた」のストーリーは、そういう意味でもかなり現実的だ。
音楽が好きな人に、心からお勧めしたい名作。
原題は「Begin Again」。ちょっとダサい雰囲気だけれど、この映画は素晴らしい。
何が素晴らしいって、この映画はとにかく音楽の喜びに溢れているのである。
音楽を作る喜び、演奏する喜び、誰かと一緒に演奏する喜び、誰かと音楽について語る喜び。
1.あらすじと、その特徴
主人公は、イギリス人で大学生の女性、グレタ。彼女は、恋人のデイヴと共作した曲が映画に採用されたのを機に、彼とニューヨークで暮らすことに。
彼氏はさっさとスターになる。グレタは、その音楽の才能にもかかわらず、「付き添いの彼女」として弾かれてしまう。
(彼氏を演じるのが、Maroon5のフロントマンであるアダム・レヴィーン。ここが凄い。彼の歌唱が最高。)
居場所を見つけられないグレタ。そんな彼女をしり目に、彼氏はまたさっさと浮気。
グレタは旧友の売れないミュージシャンの家に転がり込み、彼が出演したバーの舞台で急に歌うことに。
歌い終わると、音楽プロデューサーを名乗る、飲んだくれのおっさんにアルバムを作ろうと持ち掛けられる。
この飲んだくれのおっさんは、名プロデューサーだったものの、新人を見つけられず、アル中になり、会社もクビ、妻とも娘とも不仲、という最悪の状況にいた。
そんなふたりが、協力してアルバムを作ることになり、彼らと彼らの周りで何かが少しずつ変化していく。
あらすじはこんな感じだが、「喜び」重視のこの映画の特徴は、特に後半登場する。
アルバムをつくる体制は、映画の中盤に至るまでに完成する。
後半は、グレタのおっさんに対する理解が深まるとともに、ますます音楽の楽しさが加速していく。
普通、こういうストーリーだと、後半に「もう一波乱!」だと予想する。
つまり、やっぱりふたりは分かり合えない、すれ違う、そして、もう一度それを乗り越えてみたいな話。
ピクサーとかの脚本でよくあるやつ。
しかし、このアルバムはそういうシナリオのための「もう一波乱!」を拒否して、徹底的に音楽の喜びに、のめり込んでいく。
(くだらない)恋愛の要素が必要最低限に抑えられている。
次の節で言うけど、主人公が彼氏の肩越しに模索しているのは、彼女なりの音楽との関わり方だ。
そこにこの映画の深みがある。
2.二重の拒絶
面白いのは、主人公のグレタが徹底して、音楽をとりまく資本主義を拒絶していくことだ。
後半でもう一度、グレタが彼氏と会うシーン。
グレタは彼氏に制作途中のアルバムを聴かせる。
彼氏はそれを絶賛する。
逆に彼氏もメジャーで制作中のアルバムを聴かせる。
グレタはそのなかの一曲について「元の楽曲の良さが失われている」と批判する。
グレタの感性は鋭い。音楽的な才能にあふれている。
彼氏もすごい才能だが、あくまでも売れること、ポップスターになることを目指している。
グレタは、この彼氏の姿勢をまったく肯定しない。
しかし、その音楽を本気で素直に実直に語る彼女の言動が、彼氏の心を強く動かす。
彼氏は言う、「こういう音楽の話がしたいんだ。この話が続けられるなら、このアルバムも捨てるよ。」
グレタは彼氏の目をキッと見て言う、「本当に捨てる?」
口ごもる、彼氏。『いやいや、例えだよ。分かるだろ。』という心の声が聞こえてきてしまうような、彼氏の困った表情。
グレタと飲んだくれのおっさんは、見事なアルバムを完成させる。
その過程で、仲間との絆を強くする。
そして、音楽レーベルとの契約、という段階になって・・・。
はっきりとネタバレしますけど、彼女は契約しない。
もうひとつ彼女が拒絶するのが、彼氏とのパートナーシップ。
単なる恋人ではなく、音楽制作上のパートナーとして、彼氏はグレタを必要としていることを明らかにする。
それが最後の彼氏のライブシーン。
グレタが彼氏に贈った曲を彼氏が歌う。
グレタにめちゃくちゃに批判されたポップアレンジではなく、元のオリジナルのバージョンで。
グレタは心を動かされたはずだ。
(何せ、実際Maroon5だもの、歌が極上に上手い。)
彼氏はグレタを舞台上に呼び寄せようとする。
もし彼女がそこに行けば、またパートナーシップを結ぶことになるだろう。
レコード会社も、もう彼女を爪弾きにしないかもしれない。
だけど・・・・・・。
グレタは、歌の最中に劇場を去る。
自転車に乗って、NYの街を滑走する。
そして、エンドロールのなかで、グレタは飲んだくれプロデューサー(禁酒中&引っ越し中)の家へ行き、
あの最高のアルバムをインターネットで配布することを決める。
値段はたった1ドル。
彼女は、彼氏とは違う音楽との関わり方を決意したのだ。
それは彼氏との決別であり、メジャーレーベルを中心とした音楽産業との決別だった。
では、「再び始まる」というタイトルは、何を意味しているか。もう明らかだ。
3.音楽無料化の時代に
話はまったく飛びますが、最近、私はChance the Rapperのアルバムにはまっていた。
彼の最新アルバムは、第59回グラミー賞で三冠を獲得している。
実際、その奥行きの深さは度肝を抜かれる。
特にゴスペルやジャズなどのルーツ的な音楽要素の散りばめ方が見事。
そんな彼のアルバムは、このアルバムも他のものも、すべて無料配信されている。
どうしてそんなことが可能なのか。
正直言ってよく分からない。
映画「はじまりのうた」で明らかなのは、音楽は現在かなり安く作れるが、それでもお金はかかる、確実に。ということだ。
最近のヒップホップの経済を誰か説明してくれると本当にありがたい、と思うのだが、それはさておき、
映画「はじまりのうた」のストーリーは、そういう意味でもかなり現実的だ。
音楽が好きな人に、心からお勧めしたい名作。