フジテレビの27時間テレビは、まるで終わりの始まりを告げる走馬灯のようだった。
フィナーレで長い様々なダンスのメドレーが展開され、岡村隆史が懸命に踊り続けていた。
テレビの黄金期だったと誰かが言い始めた、あのいつかの、昔の記憶にまつわる、踊り、踊り、踊り。
沢山のお金をかけた豪奢で豪快なテレビ番組。そのオマージュに次ぐオマージュ。
これは終わりを告げる走馬灯。
もはや巨額の費用をかけた豪勢なテレビ番組は、まるで今の時代の風景を反映しない。
高橋源一郎氏が「見える戦争と見えない戦争 (上)」(岩波の『図書』7月号)で指摘したとおり、現代人(特に若年層)にとっては、働くことそれ自体が戦争なのだ。
安全保障の話、海の向こうの戦争の話。どれも分かるけれど、僕の周りの人間は過労や精神疾患で死にかけている。
テレビもないような貧困世帯の子どもたちに、夢を与えるのはテレビではないだろう。
豪勢なテレビ番組を懐かしみ、それを求めているのは一体誰だろう?
美しい記憶だけでパッチワークされた、27時間。
氣志團が言う、CDが売れない、音楽業界もピンチだと。
一体誰が何のために音楽を買うのか?
僕たちは馬鹿じゃない。
音楽を聴く耳くらい、もうある。だって音楽はそこらじゅうに溢れてるのだ。もっとリアルな音楽を知っている。
僕らがモノを買う理由は、昔みたいに単純じゃない。
これは終わりの始まり。
マッチョで向こう見ずで、多様性への配慮も無く、誰もが幸福だという勝手なシナリオのなかで、豪勢にやっていたテレビの終わり。
さようなら、古いテレビ。
僕たちはしばらく、あの幻の黄金期をオマージュした、あのまるで永遠に続くような走馬灯を見続ける。
ありがとう、27時間テレビ。これからも幻だけを映し出して。
フィナーレで長い様々なダンスのメドレーが展開され、岡村隆史が懸命に踊り続けていた。
テレビの黄金期だったと誰かが言い始めた、あのいつかの、昔の記憶にまつわる、踊り、踊り、踊り。
沢山のお金をかけた豪奢で豪快なテレビ番組。そのオマージュに次ぐオマージュ。
これは終わりを告げる走馬灯。
もはや巨額の費用をかけた豪勢なテレビ番組は、まるで今の時代の風景を反映しない。
高橋源一郎氏が「見える戦争と見えない戦争 (上)」(岩波の『図書』7月号)で指摘したとおり、現代人(特に若年層)にとっては、働くことそれ自体が戦争なのだ。
安全保障の話、海の向こうの戦争の話。どれも分かるけれど、僕の周りの人間は過労や精神疾患で死にかけている。
テレビもないような貧困世帯の子どもたちに、夢を与えるのはテレビではないだろう。
豪勢なテレビ番組を懐かしみ、それを求めているのは一体誰だろう?
美しい記憶だけでパッチワークされた、27時間。
氣志團が言う、CDが売れない、音楽業界もピンチだと。
一体誰が何のために音楽を買うのか?
僕たちは馬鹿じゃない。
音楽を聴く耳くらい、もうある。だって音楽はそこらじゅうに溢れてるのだ。もっとリアルな音楽を知っている。
僕らがモノを買う理由は、昔みたいに単純じゃない。
これは終わりの始まり。
マッチョで向こう見ずで、多様性への配慮も無く、誰もが幸福だという勝手なシナリオのなかで、豪勢にやっていたテレビの終わり。
さようなら、古いテレビ。
僕たちはしばらく、あの幻の黄金期をオマージュした、あのまるで永遠に続くような走馬灯を見続ける。
ありがとう、27時間テレビ。これからも幻だけを映し出して。