それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

公民権運動50周年に思う、黒人音楽について

2015-03-01 01:06:04 | テレビとラジオ
来たる3月7日で、アメリカの公民権運動の転機となった1965年の「セルマ大行進」(血の日曜日)から50年が経つ。

アカデミー賞授賞式では、それを題材とした映画「セルマ」がノミネートされ、ジョン・レジェンドとコモンによる主題歌が主題歌賞を受賞し、そこでのパフォーマンスが話題となった。

ふたりのスピーチも非常に政治的であり、かつ心を揺さぶる感動的なものだった。

すでに昨年、「それでも夜は明ける」という19世紀アメリカでの黒人奴隷を題材とした(史実に基づく)映画がアカデミー賞で作品賞を勝ち得て、話題となっていた。

権力に対してテロで戦い、それに対して強烈な暴力で応酬するという現在の世界情勢に鑑みて、非暴力を中心としたキング牧師の解放運動は、新たな意味を持ちつつある。

同時に、今なお世界中に存在する差別と抑圧の問題に、改めて関心を向ける契機にもなっている。



ブラックミュージックはもはや世界中のポップスに浸透しているが、こうした時代の節目に、私はどうしても改めてその意味を問うてしまうのである。

映画「それでも夜は明ける」では、奴隷となった黒人たちが畑での過酷な労働のなかで、ゴスペルを歌う場面が何度も出てくる。

ゴスペルのメロディは独特で、ピアノの鍵盤では上手く出せない音が使われている。それがいわゆる「ブルーノート」というものだ。

ブルーノートは今では単に格好良いものとして扱われているが、「それでも夜は明ける」を見れば、その本来的文脈が伝わる。

つまり、奴隷の人々が置かれた状況は、とてもじゃないけれど、普通の音階で表現できるような感情ではなかった、ということではないか、と私は思うのである。

それぞれの奴隷の人々の文化的背景など、色々な意味があるだろうが、最終的に私にはそうした環境と感情の相互作用こそが、ブルーノート、そして、ゴスペル、さらにブルースの意味ではないかと思える。

さらに言えば、ゴスペルの情念もまさに、人間が人間として扱われないという地獄、文字通りの地獄から天国を想う、そのとてつもなく巨大なエネルギーによって生み出されたのだろうと思うのである。



ここからは私自身の勝手な独白になってしまう。

学生時代にゴスペルを歌っていた私は今になって、間違いとは言えないまでも、薄っぺらさに気が付く。

私は当時、ゴスペルの意味をキリスト教の普遍主義に還元しすぎていた。

確かにゴスペルはまさに礼拝のための音楽であり、その解釈のためには必然的にキリスト教そのものの理解が不可欠だ。

だが、同時にゴスペル音楽は多くの辞書が示すように、やはり南部の黒人音楽を元々は意味していたのであって、それはきわめて特殊な文脈によって育まれたものだった。

それは分かっていたつもりだったが、分かっていなかった。分かるはずがなかった。

ブラックミュージックの文脈は、世界史で教わらない、全く別のオルタナティブな世界史である。

つまり、初めから国境を超えた人の移動を前提にし、それによって生じたきわめてグローバルな音楽だった。

それは知っていると多くのが人が言うだろう。

では、具体的にどこにどのくらいの奴隷が売られ、強制労働させられていただろうか。

奴隷制をめぐって、どのような論争が行われてきたのだろうか。

奴隷解放後、世界中で黒人の地位はどうなったのか。

植民地の独立によってどのような変化があったのか。

そうした世界史の複雑な動きとブラックミュージックの変化は結びついており、その意味はイギリス留学を経た今になって、ようやく少し見えてきたのである。

そのうえで私は繰り返す。ゴスペルを普遍主義に還元しすぎるべきではないのではないか、と。

私の想像力と知性の貧困を反省せずにはいられない。