巷にはびこるのは、人生で成功した教訓ばかり。啓蒙書からビジネス書、よく分からない自伝から有名人を持ち上げる伝記まで、世間には、あまり参考にならない成功譚を教えてくれる本が溢れている。
テレビ朝日の「しくじり先生」はそうした凡百の成功物語とは全く違う。
人生で失敗した話し、躓いた話を教えてれくれる。それが「しくじり先生」なのだ。
レギュラー初回では、オリエンタルラジオが先生として登場。
見事なしくじり物語を披露した。
デビューして間もなく、レギュラーを10本抱えた彼らは周囲への対応を見事に誤っていく。
それはまさに「天狗」なのだった。
番組で彼らは、天狗とは「周りが自分たちを特別扱いしていることを当たり前だと思っている状況」という見事な定義を展開し、素人でも背筋が凍るような失敗談を次々と教えてくれたのである。
仕事はどの分野にも「プロフェッショナリズム」というものがある。
プロの仕事、そしてその矜持は、パッと見ても分からないし、特定の仕事に就いてすぐには分からないものである。
それは単なる「コツ」というのではない。何にこだわり、どこに重点を置くのか。どこにどのように資源を投入するのか。
プロフェッショナリズムを知るまでには、幾つもの壁があり、多くのプロとの出会いが不可欠だ。
バラエティ番組全盛の現在にもかかわらず、芸人のプロフェッショナリズムを視聴者が理解するのは困難である。
画面に出てくるのは、あくまで表面的なものであり、我々はその奥底にある本質を知ることが出来ない。
しかし、バラエティ番組「ひろいきの」のある場面で、私はそのプロフェッショナリズムの存在に気付かされた。
その場面とは、太田プロの芸人グループと人力舎の芸人グループが対決する場面。
人力舎のグループのなかには、テラスハウスで有名になった芸人さんがいた。
ところが、立ち振る舞いからして、完全に他の芸人さんと異なっていたのである。
まるで大学生がちょこんと存在しているかのような状態。
他の芸人さんの腹の座った笑顔。
対比するとかなり怖い。
しかし、芸人とは本来的に水商売のなかでも最も水商売な職業なのであった。
それはまさに、芸人には芸人の強烈な「ペルソナ」が必要なのだということをまざまざと見せつけられた瞬間であった。
デビューしてすぐのオリエンタルラジオは、事務所が猛プッシュするだけあって、確かに何かがあったのだろうが、しかし、彼らにはプロフェッショナリズムが無かったのであった。
それがこの番組の初回に教わったことである。
もちろん、アカデミアの世界にもプロフェッショナリズムがある。
私はその世界に足を踏み入れたばかり。
博士号を取ってもなお、とんでもないプロフェッショナリズムの発見の連続。
一流には一流の知と矜持があるのだと知って溜息する日々です。
それは論文や本をちょっとばかり読んだくらいでは、全く分からない未知の世界でした。
テレビ朝日の「しくじり先生」はそうした凡百の成功物語とは全く違う。
人生で失敗した話し、躓いた話を教えてれくれる。それが「しくじり先生」なのだ。
レギュラー初回では、オリエンタルラジオが先生として登場。
見事なしくじり物語を披露した。
デビューして間もなく、レギュラーを10本抱えた彼らは周囲への対応を見事に誤っていく。
それはまさに「天狗」なのだった。
番組で彼らは、天狗とは「周りが自分たちを特別扱いしていることを当たり前だと思っている状況」という見事な定義を展開し、素人でも背筋が凍るような失敗談を次々と教えてくれたのである。
仕事はどの分野にも「プロフェッショナリズム」というものがある。
プロの仕事、そしてその矜持は、パッと見ても分からないし、特定の仕事に就いてすぐには分からないものである。
それは単なる「コツ」というのではない。何にこだわり、どこに重点を置くのか。どこにどのように資源を投入するのか。
プロフェッショナリズムを知るまでには、幾つもの壁があり、多くのプロとの出会いが不可欠だ。
バラエティ番組全盛の現在にもかかわらず、芸人のプロフェッショナリズムを視聴者が理解するのは困難である。
画面に出てくるのは、あくまで表面的なものであり、我々はその奥底にある本質を知ることが出来ない。
しかし、バラエティ番組「ひろいきの」のある場面で、私はそのプロフェッショナリズムの存在に気付かされた。
その場面とは、太田プロの芸人グループと人力舎の芸人グループが対決する場面。
人力舎のグループのなかには、テラスハウスで有名になった芸人さんがいた。
ところが、立ち振る舞いからして、完全に他の芸人さんと異なっていたのである。
まるで大学生がちょこんと存在しているかのような状態。
他の芸人さんの腹の座った笑顔。
対比するとかなり怖い。
しかし、芸人とは本来的に水商売のなかでも最も水商売な職業なのであった。
それはまさに、芸人には芸人の強烈な「ペルソナ」が必要なのだということをまざまざと見せつけられた瞬間であった。
デビューしてすぐのオリエンタルラジオは、事務所が猛プッシュするだけあって、確かに何かがあったのだろうが、しかし、彼らにはプロフェッショナリズムが無かったのであった。
それがこの番組の初回に教わったことである。
もちろん、アカデミアの世界にもプロフェッショナリズムがある。
私はその世界に足を踏み入れたばかり。
博士号を取ってもなお、とんでもないプロフェッショナリズムの発見の連続。
一流には一流の知と矜持があるのだと知って溜息する日々です。
それは論文や本をちょっとばかり読んだくらいでは、全く分からない未知の世界でした。