それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

システム

2011-12-17 09:29:42 | イギリス生活事件簿
飛行機で移動することが多かったこの2か月。

どういうわけか、突然「座席調整」というものに出会う。

「座席調整」をよく知らない私。

とにかく席を変更するというのだが、それが1ランク上にアップするという・・・なんと。

そんなに変わらないだろうと思ったが、周囲の客層が全然違う。

みんな「大人のビジネスマン」だらけ。何かに気圧される私。

出てくる食事もランクアップ・・・。

サービスもちょっとランクアップ・・・。

席も広い・・・。

飛行機に乗る前に伊坂幸太郎の『モダンタイムス』を読んでいた私。

この小説は簡単におおざっぱにいえば、「巨大で自律したシステムである国家が人間を部品として取り込み翻弄する話」である。

巨大なシステムにひょんなことから気付いてしまった主人公たちが、思いもかけないようなトラブルに巻き込まれていく・・・。

まさかこの座席調整は罠では・・・?

「どうだ、資本主義はすごいだろ。資本主義で軽く成功すれば、こういう世界に入るんだぞ。資本主義のシステムは素晴らしいだろ?」

資本主義を否定したことなんてないですよ、オロオロ(礼讃してもいませんけど)。

「システムに反逆することを選んだら、どうなると思う?」

分からないです、オロオロ(っていうか、排除でしょ)。

このようにして、座席調整により巨大システムに取り込まれた私であった。



そのとき観た映画は『クマのプーさん』(2011年)。

まさかの本格的シュール・コメディ。

不思議の国のアリスのようなキャラクターと展開。

はちみつ中毒者であるクマのプーさんと、その仲間たちの不条理劇。

幻覚に苦しむプーさん。妄想に基づいて暴走する仲間たち。

絵本を基にしたメタ構造。

本当は怖いディズニー映画。

それにしても英語の美しさ、韻の美しさが素晴らしかった。

傑作。