消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(257) 新しい金融秩序への期待(202) 日本の進むべき道(2)

2009-11-29 08:23:30 | 野崎日記(新しい世界秩序)

 今回の金融危機は、われわれの購買行動を無視して、マーケット(市場)によってすべての物事が決まるんだという神話が崩れたんだと思ってください。そういう意味では、今の不況が回復するには正直、10年かかります。10年間、ずっとわれわれは苦しむわけですが、必ずその先にはものすごくやさしい社会が生まれているはずです。それを信じてなんとかがんばりたいと思います。

 それから大人には責務があります。私たちが20歳代のころは、飢えたオオカミのごとく「未来をつかみ取って見せるぞ!」という意気込みがありましたし、それを支えてくれる社会がありました。ところが今はどうでしょう。若い人にはほとんど就職先がなく、あったとしても3年間の非正規雇用。3年後に正規雇用されると思いきや、この不況を理由にバッサ、バッサと切られていく。若者の30%以上は非正規雇用です。こういう絶望的な社会をつくり出してしまったわれわれ大人の責任があります。われわれはこのまま死んだらダメなんです。若い人たちが希望をもてる社会にもう一度たたき直していくというのが、年寄りの責務であります。

 今回の問題を理解する上で私が日本的なものをもう一度見直せ、と言ういちばん大きなポイントは戦後の11年間にあります。終戦後(1945年)、日本は世界でもっとも貧しい国になりました。日本の明治維新からの歴史のなかで昭和17~19年(42~44年)というのは、平均身長がおちた唯一の年代です。つまり敗戦濃厚で、食べるものがなく、栄養不足が深刻だったということです。10歳下の私の弟は、私よりも15㌢も背が高い。いかに日本が貧困であったかを如実に示しています。

 戦争が終わり、私は広島の疎開先から貨車で30時間揺られて、三の宮に帰ってきました。貨車から降り、何もない焼け野原を見た驚きは今でも忘れません。世界の最貧国だったわが日本が、そこからわずか11年で5大工業国に復帰しました。

 つまり1945年に世界の最貧国、それから11年後の1956年、このときに経済白書が「もはや戦後ではない」というあの有名な言葉を出しました。昭和11年(1936年)、日中戦争前の日本の全盛時代に復帰したということです。たった11年です。私たちはこの11年間に何をやってきたのか。それをもう一度見直そうではないか。そして、小泉内閣以降からのこの日本の没落ぶり、体たらくぶりをあの戦後直後と突き合わせてみれば、おのずと見えてくるかと思います。

 最大の理由は金融機関です。現在のこの不況というのは金融機関の失敗です。戦後直後は少なくとも管理通貨体制でありました。お金はがんじがらめにしばられていました。学生時代、私は留学したいという夢を抱いておりましたが、当時は個人が海外に持ち出せるお金は年間500ドルでした。結局、私費留学できなかった。私の世代は情けないことに語学がダメなんです。

 一方、企業という企業は、稼いだ外貨は日銀に差し出さなければなりませんでした。貿易の決済にしかお金は使ってはいけないということでありました。

 これは日本だけではなくて、「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれる世界的なルールで決められていました。IMF(国際通貨基金)の第1条は「資本の自由な動きは阻止する」でした。資本を自由に動かしてはいけない、取り締まる、ということです。だから私たちはその時代のことを管理通貨体制=マネージド・マネタリ・システムという言葉で表すのです。ルールとしては、外国のお金で支払うとき、マーケットから調達することはできません。

 ドルは政府がIMFからもらわなければなりません。それもIMFに預けている範囲でしか使ってはいけないのです。そして、そのドルは政府から支払ってもらわなければいけません。個人はすべて政府を通じてドルを調達する。ドルが不足するなら、自分たちの競争力を高めるために「もっと合理化しろ」ということをやってきたわけです。少なくともお金は自由に使えませんでした。ここを思い起こしてください。これが1971年まで続きます。以降、今のようなダメな状態になったのであります。

 お金をがんじがらめに取り締まっている管理通貨体制の時代と、自由奔放に動ける時代とを比べると、どちらが雇用を増やしたのかという点では答えは明らかです。お金を取り締まっていた時代のほうが、われわれの雇用は増大しておりました。お金が自由闊達に動き出すや否や、リストラが横行し、失業者が増加しました。すべてはお金なんです。このお金を取り締まるということが善です。にもかかわらず、そのお金を取り締まることが悪だと決め付けたのが少なくとも最近のアメリカの流れです。

 戦後直後の日本は、そこが見事にできました。当時の日本には、あらゆる種類の銀行があり、棲み分けをしておりました。大手企業には都市銀行、中小企業には信用金庫、鉄鋼などの基幹産業には政府系の日本長期信用銀行、というように、それぞれの産業の特質に合わせて金融機関が整備されていたのです。これが日本的金融制度の特徴なんです。日本の国民皆保険にならんだ最大の日本の強さだったんです。

  なぜこうした方法がとられたのかというと、儲かる産業と儲からない産業があり、不公平があるからです。例えば鉄鋼業を考えてみましょう。これは儲かりません。世界に冠たる技術をもっている新日鉄でさえ、粗利益率は8%程度です。日本の鉄の技術はすごいです。しかも大根よりも安い。ものすごく薄くて、軽くて、しかも丈夫で、これが日本の車を支えているのです。トヨタやホンダがえらそうにしているのもすべて新日鉄があるからなんです。にもかかわらず、トヨタからそっぽを向かれたら、新日鉄は何もできません。膨大な設備がある鉄鋼業は、多国籍化できません。日本にとどまるしかないがゆえに、われわれの自動車産業は繁栄しています。その最高の鉄の技術をもってしても、鉄は儲からないものなのです。その理由は、お客さんが私たち素人ではなく、トヨタやホンダなどプロを相手にしているからです。われわれ素人は、自動車の価格がどこまで適正であるのか分かりません。新日鉄はトヨタなどから粗利が8%にとどまるように価格設定をさせられてしまっているのです。

 新日鉄はまだまだ世界一の技術です。しかし、その新日鉄にしても儲かっていない。不況産業の代表であります。アルミもそうです。造船もそうです。銅もそうです。とにかくお客さまがプロ相手の商売は儲からました。事実、長銀はアメリカのファンドに買収されました。

 いま、皆さんが持っていらっしゃる多くの物はメード・イン・ジャパンです。これがあと10年もすると、ほとんど‘Made in Korea’‘Made in China’となっていくのだろうと思います。技術者はいなくなり、地場産業を支えている親方さんはみんな高齢です。この不況で「もう潮時や、やめよう」と考え、日本の宝である金型産業、地場産業が壊滅してきます。こっちのほうが恐ろしいです。これを守っていかなければいけない。日本の宝は地場の中小企業なんだということ、大企業はとにかく搾取しているだけのことなんだということを是非わかっていただきたい。