消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.197 ムーディーズの歴史

2007-12-10 11:31:58 | 格付け会社

 格付け会社のムーディーズの正式名は、ムーディーズ・インベスターズ・サービス(Moody's Investors Service)である。ムーディーズ・コーポレーション(Moody's Corporation)の一〇〇%子会社である。親会社のムーディーズ・コーポレーションはニューヨーク証券市場に上場している(MCO)。

 ジョン・ムーディーズ(John Moody、1868 - 1958)は独学の人であった。九〇歳の長寿を全うした。一九〇〇年ジョン・ムーディー・アンド・カンパニー(John Moody & Company)を設立、『工業および多様な証券に関するムーディーの便覧』(Moody's Manual of Industrial and Miscellaneous Securities)を出版。この『便覧』は、金融機関、政府機関、鉱工業会社、農業会社等々、あらゆる産業部門の株式や社債、公債に関する情報を集めたものであった。これは、わずか二か月で完売した。『ムーディーズの便覧』シリーズはよく読まれ、一九〇三年までには、全米に広くその名が知れ渡るようになった。

 一九〇七年の株式市場の崩壊によって、ムーディーズ・カンパニーの資金繰りが難しくなって、会社は、『便覧』事業を手放さざるを得なかった。

 ジョン・ムーディーズは、一九〇九年に金融市場に復帰し、証券に関する情報の提供方法を一新した。単に企業や証券の情報を集めるだけでなく、証券の価値分析を行ったのである。まず、鉄道会社とその社債発行額を分析、鉄道債への投資価値を簡潔にまとめ、その結果を出版物にした。そのさい、格付け記号を使用した。格付け記号自体は、ジョンが初めて考案したものではなく、一八〇〇年代半ばから、信用調査会社などによって、商業貸し付けに対して行われていた格付けを記号を継承したものである。ジョンは、こうした商業貸し付け調査でなく、公開されている米国の鉄道会社の株式や社債に対して、格付けをした最初の人であった。その結論は、『ムーディーズの鉄道投資分析』(Moody's Analyses of Railroad Investment)として出版された。これもまたたくまに投資家の必読書になった。

 一九一四年七月一日、ジョンは、ムーディーズ・カンパニーの子会社として、ムーディーズ・インベスターズ・サービスを設立した。そして、この年からムーディーズは米国の地方自治体の発行する地方債の格付けを開始している。一九二四年までには、米国で起債される債券のすべてを格付けするようになった。

 大恐慌時、社債のデフォールトが続出したが、今度は、ムーディーズは倒産を免れ、格付けを中断しなかった。ムーディーズが高い格付けを与えていた少数の社債のデフォールトはなかった。

 一九七〇年代に入って、ムーディーズは、コマーシャル・ペーパーと銀行預金をも格付けするようになった。また、それまでは、格付け情報を投資家に売ることによって収益を得ていたが、一九七〇年代に入って起債者からも手数料をとるようになった。資本市場が複雑になる一方なので、刊行されている資料だけでは正確な格付けができなくなったからであると同社のホームページで説明されている(http://www.moodys.com/moodys/cust/AboutMoodys/)。

 一九五八年、ジョン・ムーディ死去。そして、一九六二年、ムーディズ・カンパニー・グループはダン・アンド・ブラッドストリート・コーポレーション(Dun & Bradstreet Corporation=D&B)に買収される。二〇〇〇年、ムーディーズは、ダン&ブラッドストリートから独立している。

 以上は、ムーディーズのホームページで説明されている同社の歴史であるが、別の資料によって補足しておこう(http://www.fundinguniverse.com/company-histories/Moodys-Corporation-companyhistory)。

 ジョンは、一九〇四年に、格付けとは関係のない本を自分が設立したムーディ出版(Moody Publishing Company)から刊行している。『企業合同の真実─米国企業合同気運の現状および分析』(The Truth About Trusts: A Description and Analysis of the American Trust Movement)がそれである。これは、六四年後の一九六八年にグリーンウッド・プレス(Greennwood Press)から再版されている。

 一九一一年には、一九〇九年の『ムーディーズの鉄道投資分析』の増補版を出版している。これは四〇〇〇ページにおよぶ膨大なものであった。翌年の一九一二年、『鉄道報告書を以下に分析すべきか』(How to Analyze Railroad Report)を出版した。そして、一九一三年以降、格付けを鉄道債だけでなく金融債一般にも拡大したのである。

  一九一九年にはエール大学出版(Yale University Press)から二冊を出している。『資本の支配者たち─ウォール街物語』(The Masters of Capital: A Chronicle of Wall Street)、『鉄道建設者たち─州を結ぶ物語』(The Railroad Builders: A Chronicle of the Welding of the States)である。

 自叙伝がマクミラン(Macmillan)から二冊出されている。一九三三年の『長い道のり─自叙伝』(The Long Road Home: An Autobiography)と一九四二年の『道を急いて』(Fast By the Road)である。

 彼の死の四年後の一九六二年にに、ムーディーズは、D&Bに買収された。二〇世紀も終わり頃の同社の経営が難しくなった。一九九四年には赤字に転落、一九九五年と一九九六年には解体再生の噂にさらされた(Gilpin, Kenneth N.[1996a])。一九九六年、D&Bは、自社を三分割するという方針を発表した。新しいD&Bの情報サービス会社の一部としてムーディーズは残される計画であった。ところが、一九九六年三月、いよいよD&Bの分割間近というニュースが流されたまさにそのときに、社長のジョン・ボーン・ジュニア(John Bohn, Jr)が辞任した。さらに、司法省(Department of Justice=DOJ)が反トラスト法に触れる嫌疑があるとして同社の調査に入った(Gilpin[1996b])。ムーディーズの格付けへの疑念であった。事情聴取はムーディーズのライバルのS&Pとフィッチ・インベスター・サービス(Fitch Investor Service)にもおよんだ。

 司法省の調査がなされている間、ムーディーズは国内の格付け体制の再編成と海外進出を実現しようとした。一九九八年のコリア・インベスター・サービス(Korea Investors Service)への一〇%の資本参加がそれである。これは後に五〇%を超す株式保有にまで拡大した。一九九九年にはアルゼンチンに進出、一九九九年司法省はムーディーズへの嫌疑が晴れ、ムーディーズは無罪となった(Gilpin[1999])。同時に、D&Bはムーディーズを分離すると発表した。ムーディーズの稼ぎは小さく、業績低迷の続くD&Bには重荷になったからである。一九九九年のムーディーズの売上げは五億六四二〇万ドル、純益一億五六〇〇万ドルにすぎなかった。

 そして、ムーディーズは二〇〇〇年九月にD&Bから分離された。このとき、ムーディズは株式を公開した。ムーディーズ自体が他から格付けされる対象になったのである。しかし、このことがムーディーズの評価を高めた。

 二〇〇〇年の売上げは六億二三〇万ドル、二〇〇一年には七億九七〇〇万ドル、純益二億一二〇〇万ドルと業績を順調に伸ばしたのである。公社債格付けでムーディーズのシェアは三七%、ライバルのS&Pが四五%、フィッチが一八%であった(Watkins[2001])。この三社で市場は独占されたのである。シェアでS&Pに負けてはいたが、格付け会社の中では、ムーディーズの格付けがずっと一位であった。

 ムーディーズとS&Pが公社債の格付けを独占するようになったことで、これら二社は特殊な立場に立つことになった。単に観察者として格付けするだけでなく、その行動自身が市場を振り回すようになったのである。早々と低い格付けを彼らが与えてしまえば、その企業は倒産の憂き目に遭う。それを恐れて格付け時間を長くとればなにをしていたのかと、これまた批判される(McLean[2001])。マクレランのこの論文は、「じろじろと見つめる嫌な奴が支配する」というエキセントリックを用いて、ムーディーズとS&Pを批判したものである。

 二〇〇二年には、ムーディーズはサンフランシスコに本拠を置いていたKMVを買収した。買収額は二億一二六〇万ドルであった。この会社は、貸し出しリスク評価を専門としていた。買収後はムーディーズ・KMV(Moody's KMV)と名称変更した。さらに、モスクワのインター・ファックス・レーティング・エージェンシー(Interfax Rating Agency)に二〇%の資本参加した。

 ムーディーズの二〇〇二年の売上高は、一〇億二〇〇〇万ドルにもなった。うち、三分の一の三億四三〇〇万ドルが海外売上げであった。

 二〇〇三年になると、「ストラクチュアード・フィナンス」(structured finance)の格付けサービスにおいて、世界の三七%、額にして四億六〇六〇万ドルを売り上げた。S&Pを抜く世界第一位であった。

 同社の米国内での収入源は、三分の一が情報購入料、同じく三分の一がストラクチュアード・ファイナンスの格付け手数料である。

 ムーディーズ株の一五%は、ウォーレン・バフェット(Warren Buffett)率いるバークシャー・ハザウェイ(Berkshire Hathaway)というファンドである。

  バフェットが資本参加していることだけで、ムーディーズには宣伝材料になる。しかも、バフェットの政治的影響力を利用することができる。

 しかし、SECは、格付けサービス市場での上位三社の寡占体制を打破しようとしている。二〇〇三年、SECは、トロントからの新参社、ドミニオン・ボンド・レーティング・サービス(Dominion Bond Rating Service Ltd.)にNRSROの認定を出した。これは、「国家的に認められた統計的格付け機関」(Nationally Recognized Statistical Rating Organization)という意味である。SECが正式に同社を公認したのである。ドミニオンが市場に新風を送ってくれることをSECが期待していることは確かである。

 二〇〇三年時点で、ムーデーズは世界一八か国、で営業し、扱う債券額は世界一〇〇か国、三〇兆ドルもある。売上げ一二億五〇〇〇万ドル、純益三億六四〇〇万ドルあった。

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