![]() | 落語教育委員会 |
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東京書籍 |
☆☆☆
入門が、喜多八さんが1977年、歌武蔵さんが1983年、喬太郎さんが1989年
の適度に離れた三人が始めた落語会の名が「落語教育委員会」。
第1章から第5章まであって、
「道徳」・噺家の了見、お客さまの了見。
「社会」・師匠と弟子の奇妙な関係
「国語」・高座の言葉とリアリズム
「工作」・“新しい”噺の作り方
「歴史」・芸名と本名のあいだ
時には真面目に、そして好き放題、楽しく(実は呑みながら)語った本。
ツッコミ、洒落の応酬に、仲間意識とライバル意識が交互に表れる楽しい宴。
言葉に対するこだわりでは、喬太郎さんが、
「あくまで新作落語に限ってですが、噺の中にでてくる若い女の子にリアリティが
あるとよく言われるけど、あえて流行語は使わない、使うとすぐに噺が古くなっちゃう。
あと、リアリティだけど、噺家として「ら抜き」は使わない。芸人としてら抜きは嫌い。
女子高校生を演じるとき「食べられるよね」と言ったほうが、それらしいかもしれないけど
「食べれる」で女子高生らしさを出すんだったら、「食べらんないよね」で女子高生らしさを
だそうと考えてます」と、・・・・・・凄いですよね、言葉へのこだわり、選択、恐れ入ります。
素人の落語と玄人の違いのハナシになって、素人さんでも上手な方がおられる。
そこで昇太さんの名言が紹介される「素人さんの落語はお父さんの料理で、
僕らの落語はお母さんの料理なんだ」と、たまの休みに、いい材料を買って
時間をかけて、手間をかけて「さあ、どうだ、おいしいだろう」と、
ところが、お母さんは、「今日は何をしようかしら」と冷蔵庫を開けて
入っているものでやっちゃう。でもおいしいものをつくる。しかも毎日。
所詮、お母さんの料理はは本業、お父さんの料理はは片手間。
「覚悟」が違いますと・・・・・。
でも、食べれないので、アルバイトをするが、観光バスとか、花火大会の屋形船の
司会など、やらない方がいいけどやるんだったら、するなら落語家の名前でやる
仕事なら勉強になると思うが、本名でやるアルバイトなら決してやるべきでないと・・・。
噺家として、プロになった瞬間からの線引きは大事なんでしょうな・・・。
そんな、リアリティ感溢れる言葉が、ベテラン三人から窺える。
打ち上げに参加したような、内容の濃い、
そして落語ファンには堪らない愉しい時間が過ごせる本でおます。
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