![]() | 僕が落語家になった理由 |
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山崎邦正さんが、月亭方正として落語家になった理由。
ピン芸として、壁に当り30分の持ち時間さえ一人では10分も持ち堪えることが
できなくて、芸人としてタイムリミットと感じていたとき、
ひととき、吉本新喜劇の座長になろうと、でも皆で創ろうというのは性に合わないし、
東野幸治さんの勧めで聴いたのが落語、それも枝雀落語と出会う・・・。
ハマる、ハマる、そこで、大阪の知り合いの八光に、事情を話し、
そのあと、流れに乗って、正式に月亭八方の弟子に・・・・・・・。
ピン芸人としてぶち当たった壁ってどんなもの、そのときの試行錯誤の試み
やりたいことと、生きていくための芸では違うのか、場を繕う便利屋の立ち位置
だけで芸人として生活してきたのに、
本の中で方正さんは、芸人だったと言われていますが、
それなりの知名度があるタレントにはなったが、芸をもった芸人としては
一からの出直しということですか・・・・・・・。
もっと、もっと、心底の叫びを聞けるものと期待していたのですが、
外から見える部分しか書かれていないのは・・・・残念。
江戸落語と上方落語、“人情噺”と“滑稽噺”、江戸の人情噺を大阪へ広めたいと
今迄の知名度を活かしながら、新たな層の方に落語を広め多くの落語ファンの拡大に
努めたいと・・・・期待でおますな・・・。
八方師匠には「商売根問」に「色事根問」そして「蛇含草」、雀々師匠には「手水廻し」
そして東京の志の輔師匠には「ねずみ穴」を稽古つけて貰うって凄いですよね、
物おじしないとうか、タレント時代の知名度を最大利用しての一途さ。
落語仲間の評では、方正さんの「宮戸川」は良かったと。
どんな落語家さんなのか・・・まずは、生の方正さんの落語、聴かなければおます・・・。
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