産經新聞・2016年8月18日夕刊
産經新聞・2016年8月18日の夕刊にも、笑福亭鶴二さん登場。
細かくて見えないとおもいますので、転載させていただきます。
〜笑福亭鶴二〜
昭和43年3月、大阪市生野区生まれ。61年3月、六代目松鶴に入門。
平成22年には文化庁芸術祭優秀賞を受賞する実力派。
9月11日午後6時、天満天神繁昌亭(☎06・6352・4874)で
「鶴二。三十周年。繁昌亭で祝う会」を開く。前売り、当日とも3千円。
入門30周年
文枝も感嘆 はんなり流
「六代目」の愛称で親しまれた笑福亭松鶴の最後の弟子。
今年で入門30周年を迎えた。
大阪、国立文楽劇場と東京・国立演芸場で行った記念の独演会は満員御礼。
大阪では、船場の旦那がちゃっかり者の番頭を諭す「百年目」に挑戦。
東京では25周年で手がけ、すっかり手のうちに入れた
松鶴十八番の「らくだ」を好演した。
「兄弟子からも言われていましたが、噺家は30年でようやく独り立ち。
天満天神繁昌亭のまねき(=寄席看板)も30年から名前を出せるんですよ。
25年のときは、その直前に芸術祭優秀賞、それに繁昌亭大賞をいただきました。
節目は変化の時期やと思っています」
爆笑型の福笑、鶴光、亡くなった松喬、鶴瓶、鶴志といった
昔かたぎで、個性豊かで豪快な面々がそろう笑福亭一門で
唯一「はんなり」とした雰囲気のを漂わせる。
「僕って笑顔が似合う落語が好きで、喜怒哀楽の『怒』が弱い。
ご存知の通り、うちの師匠や兄弟子は『怒』が得意。かつては
自分のカラーで押し通せました。でも、大きな壁も感じてきたんです」
最近は、手掛けてこなかった「ねずみ」「井戸の茶碗」といった人情噺、
「鰻の幇間」など落し噺、桂文枝の創作落語、上方落語台本大賞の
優秀作「ハンカチ」など、レパートリーを意識して広げていった。
ある日、繁昌亭で出番が一緒だった文枝の前で、彼が創作した
「作文」をかけた。写真店夫婦のいさかいを息子の作文で解決するという人情噺。
写真店という設定が現代風ではなく、演じ手が少なかった。
上演後の文枝のブログには〈創作が古典になる瞬間を見た〉と記してあった。
「自信になりました。僕がやると『三丁目の夕日』というか、
アナログに聞こえるんですね。それに、先輩からは『文枝師匠のネタやのに、
福笑兄さんがしゃべってるみたいや』とも言われました」
鶴二の色合いと、笑福亭のDNAは自然と身についていたのだ。
実家はすし屋。実話なのだが、松鶴には「すし屋の息子が酢嫌いで
落語家になった」とネタにされた。その師匠が亡くなってからちょうど
30年。鶴二の入門からわずか半年後に亡くなっている。
「師匠は僕が不器用ですぐ辞めると思っていた。なのに30年。
それにしても学生のときは何やったんやろ。今は酢の物あてに
お酒をいただいているんですから」
文・豊田昌継 写真・南雲都