カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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「今週の公教要理の錠剤」5

2011年12月23日 | メッセージ(その他)
B年 降誕祭の主日

「救いの歴史」
救いの歴史と言っても、すぐに理解しやすいことではありません。頭にいくつかの疑問が浮かんできます。それはいつ始まったのか、いつ終わるのかなどを考えても簡単には答えにくいと思います。しかし、このような言葉について良い事を教えてあげたいと思います。まず救いの歴史とは、神様の救いの計画の思いに深く結びついています。神様による人間のための救いの歴史が始まったのは、人間が創造された時からです。その時に神様は、人間を自由に動き考えられるように創造され、いつもご自分の愛を見せながらずっと歴史を渡っていろんな方法で人間を追いかけて来られました。さて私達の身近な経験を考えてみれば、生まれた時から神様が私たちを大きな愛で包んでくださっていました。私たちの事を誰かに(親に)認められて生きてほしいと思われたので、私たちは親を通して命の贈り物を頂いて神様の愛の中で生きるようになりました。それで自由に生まれてきた私たちに、救いの歴史が始まり、私たちの人生が神様の思いの計画の中で流れるようになりました。私たちに親を通して尊い命を与えてくださった神様は、私たちのより素晴らしい喜びと幸せを求められました。しかし自由に生まれた私たちは、勝手な考えによって神様から離れたり、つまらない喜びや安易な幸せのところまで走ったり、孤独や悲しみに陥りました。(つまり:罪を犯しました)神様はご自分の愛の計画の中で、ずっとひとり一人の救いを求めながら、聖書のみ言葉を通して、また愛情に満ちた周囲に居る者たちの言葉を通して、人間の心に呼びかけてひとり一人の救いをいつも求めておられました。イエス様自身、その神様の思いを十字架に死ぬほどに明らかにされ、復活によってこのような愛で満ちた神様の心の計画を打ち明けられました。このように神様が人類の救いの計画を立てて、皆の救いの歴史を作られたのです。
                                 モヨリ神父



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