カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 C年 四旬節第三主日

2010年03月06日 | メッセージ(その他)
イエス様のことを愛される皆様へ、

春の光の強まりと共に、鳥たちがさえずり始めます。うぐいすはおなじみの「ホーホケッキョ」とさえずります。冬にうぐいすは「チッチッ」という目立たない声で鳴きます。これを地鳴きといいます。春になると高らかな声でさえずるのは求愛や縄張りの主張のためと考えられています。また「啓蟄」とは24節季の一つで3月6日ごろにあたります。この頃になると風の硬さが日一日と和らぎ、大地も日差しを浴びてどこか膨らんでくるように感じられます。冬眠していた虫、地虫 蛙、とかげ、ヘビなども眠りから覚め地上に現れ始めます。「春泥」は春のぬかるみのことです。現在の舗装道路と異なり、以前は裾をからげて春泥を渡る女性の姿などなまめかしい風情も感じられました。さて、復活祭の方へ私たちの歩みも進みます。四旬節の間イエス様と一緒に、イエス様の言葉を受け入れながら、砂漠を歩いたり、あるいは泥の道を歩いたりして、けれども振り向いてみると、イエス様が身近にご自分の輝いている姿を見せてくださいます。それに支えられ、慰められてイエス様と共に生きるキリスト信者は、この世で輝いています。キリスト信者は寛大な心で、慈しみと憐れみの心で輝いています。全てを赦し、全てを愛するものですからこの世の中でイエス様と一緒に輝いています。私たちの歩みを進めさせるのは復活の光です。苦しい歩みがあったとしてもキリスト信者はより大きな復活の喜びを目指しています。
ルカによる福音書13・1-9
キリスト信者にとって自分の行いの基準は神様の言葉です。その言葉は無条件で人生の歩みの基本的な導きになります。当福音書では、皆が神様の言葉に回心するように呼びかけています。神様はいつも人間の歴史におられます。しかしその中に「悪」も存在し、それは神様から発生したことではなく、神様はいつも人間を大切にして良い者、悪い者の上にも太陽を上らせて下さいます。皆大きな慈しみの中で抱かれています。人間にとって回心を求め神様の方に向かうのは、自分の人生の基準的な態度になります。さて、当福音書は二つの場面に分けられて同じメッセージを勧めています。一つ目はイエス様が当時の究極的な出来ごと(死亡事件)に対する人の驚きを利用して、心を回心する重要さを強調しています。二つ目は実らないイチジクの例え話です。その例えによって、イエス様が人類のために神様へ回心する、つまり神様の方へ戻る普遍的な期間が得られたことを示しています。イスラエルの歴史の中で、人が神様から遠去かったことは何回もありましたが神様はいつも大きな慈しみを示し、自分の方に戻るように人類に絶えず呼びかけていました。このような神様と人類との関係は当時だけではなくイエス様の時代、現在まで同じように続けられています。「回」という字は まわるという動作を示しています。さて、この世の中で手近な喜び、物理的な執着から私たちの心はより素晴らしい、精神性を高める世界の方へイエス様に回るように強く言われています。この世から神様の方へ心を回わすと本当の回心が行われることになります。良い人でも、悪い人でも、苦しみに向かう場合があります、それは神様の罰ではありませんが、それを通しても、神様はいつでもどんな時でも皆、絶えず回心するように、つまり自分の方に来るように呼びかけています。実りを持たなかったイチジクにも神様が回心を絶え間なく呼びかけながら待っておられます。罪人にとって、神様を忘れて遠去かった人にとって、いつでも神様のほうへ戻れる、帰れる機会を与えられているのです。
                          モヨリ神父

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