4日目、最終日です。
「五足のくつ」の朝食は、夕食と同じく、「邪宗門」で。
朝も聖歌は流れています。(笑)
(聖歌とは無縁の純和食。(笑))
トレーの外(上)にあるものは、自家製のあおさの佃煮で、ご飯によく合います。
野菜中心の健康的な朝食でした。
「邪宗門」と部屋(家)の間の移動には、必ず「コレジオ」を通ります。
宿の方が必ず声をかけてくださるので、私たちには安心感がありますし、宿の方にとっては宿泊客の動きが把握できるというメリットがあると思いました。
チェックアウトは11時、それまでは露天風呂に浸かったり、昨晩のケーキを食べたりとゆったり過ごします。
出発してすぐ、「下田の夕陽」スポットで車を降りてみました。
地球の丸さが分かる広大な水平線、さぞかし夕陽は美しいだろうなぁ、と想像できるスケールの大きさです。
このあたりは、「鬼海ヶ浦」(きかいがうら)と言い、天草下島の西海岸、十三仏崎から妙見浦、そしてこのあたりまで、海食崖、奇岩、海食洞が連なる景勝地です。
これから右手の断崖沿いの道路を走り、苓北町の富岡半島をめざします。
(遠くに霞むのは、島原半島です。)
10分程走ると、九州電力の火力発電所、その先に富岡半島が見えてきました。
ちなみに、富岡半島の地図です。
天草下島と砂州でつながり、富岡港は砂嘴で囲まれた、天然の要害。
富岡半島に入りました。
ここは富岡港です。
(防波堤の向こうが砂嘴です。)
山側には富岡城が見えます。
(富岡城は天守閣を持たない平山城。)
車で行ける所まで行くと、ほぼ城近くまで登れましたが、本日も暑い、少し歩くだけでも汗だくになります。
城内に入ってすぐの所からの景色、富岡港を❝腕❞のように包む砂嘴をクリアに見ることができます。
城内を振り返ると、巨大な像が4体。
前列は、「日本の恩人」として、勝海舟、頼山陽の像が、後列には、「天草の恩人」として、鈴木重成、鈴木正三(重成の兄)の像が建てられています。
少しくどくなりますが、ここにこの4体の像が建つ意味を。
勝海舟は、安政3年(1856年)、長崎海軍伝習所の訓練中に艦船で富岡に来航し、宿泊した鎮道寺の御堂の柱に「日本海軍指揮官 勝麟太郎」と落書したそうですが、この当時、勝はまだ若い伝習生に過ぎず、若くして将来の日本を担う気構えを示したものと言われています。
頼山陽は、文政元年(1818年)、西遊の途中、長崎から天草へ、富岡城下を開墾していた儒者の渋江龍淵を訪ね、この時に西海天草灘の展望を吟じた「泊天草洋」で天下にその名を知られるようになったそうです。
鈴木重成は、天草・島原の乱の後、天領となった当地に赴任した初代代官。行政組織の整備、寺社の復興、荒れ地の開拓、各藩からの住民の受け入れの促進など、天草の発展に大いに貢献しました。天草の石高(4万2千石)が過大であることが乱の一因であったことを痛感し、幕府に半減を再三上申するも認められず、抗議の意味で、江戸駿河台の自邸で切腹したそうです。その後、重成の願いは認められ、万治2年(1659年)、石高は半減されたそうです。
鈴木正三は、重成の兄で、42歳の時に弟の重成に家督を譲って出家、全国を行脚し、その後、重成の依頼で63歳の時、政策顧問として重成を補佐したそうです。
ちなみに、関ケ原の合戦の直後の江戸時代は、天草は肥前唐津藩の飛び地だったそうです。
さて、お城に登ります。
大手門といったところでしょうか。
歴代城主・代官ののぼりがはためいています。
城下の富岡の街、その先の天草下島につながる砂州がこんなに見通せます。
(手前の池は「袋池」で、天草・島原の乱後天草の領主となった山崎家治によって造られたため池です。)
別の方角には、島原半島を遠望できます。
(ほんと、絶好のロケーションに城を造ったものだと感心します。)
有料の資料館のほか、無料の「ビジターセンター」もあります。
内容がかぶらないので、2館とも見学するのがおススメです。
ビジターセンターでは、産山村の池山水源でも見かけた、「くまフォト」がありました。
(くまモンVRと記念写真を撮ることができます、、、もちろん、妻も私も撮りました。(笑))
先に入った資料館、「苓北町歴史資料館」では、富岡城への登城記念に❝御朱印❞を販売しています。
(買っちゃいました。そして、迷いましたが、御朱印帳に貼ってしまいました。(笑))
富岡城は、天草・島原の乱で幕府方の拠点として、一揆軍から総攻撃を受けましたが、必死の守りで落城せず、乱の終結と後の徳川幕府の安定をもたらしたと言われているそうで、難攻不落の富岡城への登城は、「落ちない!」という御利益がある、という趣旨のようです。
富岡半島で見たい景色の場所、天草陶石の原石の真っ白な岩場、青い空、群青の海のコントラストを見ることができる、「白岩崎」へ。
事前の下調べでは、海水浴場近くだと思うのですが、、、。
今日は特に暑いような気がします、海水浴、気持ちいいでしょうねぇ。
白岩崎へどこからアプローチするのか全然分かりません。
多分こんな岩が更に真っ白でゴロゴロしているのだろうと想像してみます。
(海水浴場の駐車場のお隣にあった岩。)
海水浴場と、もう少し❝上❞にあるキャンプ場の間に「白岩崎」があることは分かるのですが、車の入れる道もなく、さりとてこの灼熱の中歩くのはヤバいので、結局、キャンプ場に下りていく駐車場からの景色を見て諦めることにしました。
(とにかく暑い! とても歩こうという気になりません。)
富岡半島、富岡城を中心に、結構見応えがありました。
次は、同じく苓北町にある、「おっぱい岩」へ。
道中、「天草四郎乗船之地」の碑がありました。
(巨大な十字架です。)
富岡城攻略を断念した一揆軍が島原へ渡るために乗船した場所とのことです。
「おっぱい岩」は道路沿いにありますので、すぐに分かります。
(大きな駐車場(というか空き地?)があります。)
おっぱい岩は海の岩場にあり、満潮の時は近づけないので、干潮時限定のスポットです。
特に潮見表を読んだわけではありませんが、たまたま潮は引いていました。
(家族は水辺遊び。)
岩場を5分程歩くと、おっぱい岩!
隣に並んで記念写真を撮りましたが、人の背丈よりも大きいです。
正面もどうぞ。
ちなみに、おっぱい岩に触ると、胸が豊かになるそうです。
そろそろ昼食を食べようと思い、ちょうど、紹介してもらった「幸(さいわい)寿し」があったので、入ってみました。
が、お客さんが結構待っているのに、お店の人は全然対応しようとしません。
「順番待ちの名前を書く紙とかないのですか?」と聞く方も結構いましたが、「順番はお客さん自身でやってください。」みたいな返事の上、お店の人は誰一人、「お待たせしてすみませんね。」すら言わないのはどうかと思いました。
これから、天草上島の「タコ街道」を走って、「道の駅 有明」に向かうので、昼食はそこで食べることにしました。
その前に、本渡市街地にある「祇園橋」に立ち寄ります。
祇園橋は、天保3年(1832年)に建造された多脚式アーチ型石橋で、45脚の角柱によって支えられている、全国的に珍しい造りの橋だそうです。
今も歩いて渡れます。
(ちょっとドキドキしながら渡ってみました。)
祇園神社(八坂神社)の前にあるので「祇園橋」と言われており、国指定重要文化財となっています。
この八坂神社の境内には、御神木であった「南蛮えのき」(樹齢約300年)があって、「祇園さまの南蛮えのき」と親しまれていたそうですが、残念ながら、 平成9年に枯れてしまったそうです。
天草上島、「道の駅 有明」に到着です。
「道の駅 有明」は別名「リップルランド」と言うそうですが、「リップル」とは「さざ波」の意味だそうです。
そう言えば、屋根が波打っていますね。
ウエディング施設を思わせる真っ白なものは、歩道橋だそうです。
レストラン前の展望所からは、今までよりもさらに近くに島原半島を望むことができます。
待つこともなくレストランで快適に昼食です。
妻は「海鮮チャンポン」、私は「ごま漬け丼」。
とにかく暑いので、熱中症にならないように、飲み物を買って、出発です。
さて、旅のプランは、夕食を残すだけとなりましたが、夫婦ともども買い切れていなかったお土産が、初日に立ち寄った「三角西港」のショップにあるので、もう一度立ち寄ることにしました。
三角西港、日曜日(山の日)というせいもあるのでしょうか、行きの時よりも車も人も多いです。(それでも空いていますが。)
お土産物屋「ムルドルハウス」(再訪)。
私が買いたかったもの、それは天草の砥石。
(ここで売っているのを覚えていました。)
どれを選べば良いのかよく分かりませんが、白い方が天草陶石っぽいという薄弱な理由でこちらを購入。
(満足です。)
妻もここでしか売っていないお土産を無事購入。
午後4時半頃ですが、冷たいものでも食べて休憩を。
「旧三角海運倉庫」がレストランになっています。
かき氷と、8種類(だったかな)のトマトの食べ比べ、を注文。
かき氷は普通の値段でしたが、トマトはこれだけ入って380円、かなり安いと思います。
さすがトマトの大産地熊本県です。
さぁ、あとは夕食だけとなりましたが、柳川で夫婦の大好物のうなぎを食べようと思います。
宇城の不知火町あたり。
柳川市街地に入りました。
お店は、「2019ミシュラン」に掲載されている、「元祖本吉屋本店」に行ってみることに。
なかなかの老舗オーラです。
少し待ちましたが、柳川の水郷めぐりのお客さんは引いた後でしょうか、すぐに席に案内されました。
いいお値段しますが、せっかくなので、「南風定食」と「特せいろ蒸し定食」を。
素焼き、酢の物、肝吸いです。
主役のせいろ蒸し。
色が濃いですが、実はあっさりしています。
皮はカリっと香ばしく、身はふっくらと焼かれていて、ご飯の中には、ひつまぶしのように切られたうなぎが混ぜ込まれています。
4日間の旅を締めくくるのに十分な文句なしの美味しさです。
ごちそうさまでした。
お店を出る頃には、日の長い九州でも、もう暗くなっていました。
21時半にレンタカーを返却、帰宅して旅の全ての行程が終わりました。
産山・天草旅行、最高でした。
天草もまた再訪したい魅力あふれるエリアですが、それ以上に夫婦ですっかりファンになったのは産山村。
季節が変わってまた機会があれば「やまなみ」を再訪したいと思います。
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