旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

鴨下重彦先生の学問と信仰(2)

2011-12-06 22:54:45 | 交友

内村鑑三は札幌農学校の出身ですが、アメリカ留学や教師になった後、独立伝道者となります。

内村は教会、とくに牧師を職業とする方々が堕落しやすいことを批判し、教会組織を乗り越え、聖書と祈りを重んじる集まり、「無教会」を旗印とし、毎週日曜日に聖書の言葉を伝える集会を開きます。

その集会に一高、東京帝国大学の学生、卒業生が多く集まった。鴨下先生が師事した矢内原忠雄先生は内村の弟子のひとりです。詳しくは鴨下先生の編著『矢内原忠雄』(東京大学出版会、2011年)をご覧ください。

矢内原が東京大学総長を務めているとき、鴨下先生は入学します。そして、医学部2年のときに今井館で開かれていた聖書講義に出席が許され、東大聖書研究会での学びと医学部の学業とを両立させていきます。(真の動機についてはお話を聴いておけばよかったなあと悔やんでいます)

さて、矢内原先生が亡くなられた後、鴨下先生は高橋三郎先生の集会に参加されます。ぼくも東京での研修医時代の3年間、毎週日曜日、目黒区の柿の木坂にある集会に通いましたので、そこで知り合うことになります。

高橋三郎先生は非常に厳しい方でした。東大工学部出身の俊英ですが、聖書やマルチンルターの研究者でありながら、本質は熱き伝道者でありました。頭脳の人でなく魂の人でした。ぼくはまったくの不肖の弟子ですが、鴨下先生と共通の師を持ったことは誇りにしています。

鴨下先生が30代にして自治医大の小児科教授になられたとき、同じ集会に通っていた脳外科医宮城航一さん夫妻、看護師の清水さんとぼくたちは自治医大に勤務することになったのです。

東京の集会には通えませんから、月2回持ち回りで自治医大家庭集会を開き、やがて宇都宮集会の竹内先生のお宅で開かれた、高橋三郎先生が出しておられた月刊誌『十字架の言』の読書会も月1回あり、お付き合いをいただきました。

鴨下先生が持ち続けられた信仰を言葉で表現することは、残念ながら今のぼくにはできません。ただ、平和を願いながら信仰を持って学問研究と教育の道を歩まれた姿から学ばせていただいたのは「実直さ」と「謙虚さ」であったと言えます。

それは鴨下先生が山を愛されたことにも通じているのかもしれません。日本三百名山をすべて登られました。

聖書と山、キリスト教信仰と山岳信仰というわけではありませんが、山を登るときに世俗のストレスから解放され、自省を促す天からの霊性に打たれる瞬間がやってくるのだと思います。山は人を謙虚にするとも書いておられました。

先生。安らかに。そしていつまでもご家族、友人、そして多くの教え子たちの心の中に生き続けてください。