旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

医療を言葉で表現することの難しさ

2011-12-26 22:44:38 | 地域協働

たむらさん。ふき出し地区ではお骨折りありがとうございました。

地域医療座談会を10数回してきましたが、まちづくり懇談会と重なるあたりから、なぜか雰囲気が変わってきました。

男性と女性の受けとめ方の差もすごく感じます。

女性はこれからの医療の雰囲気を感じ取ってくれているような気がします。医療はきわめて人間臭い分野です。医師の人間性そのものによって大きく左右されます。女性の皆さんはそのことを敏感に受けとめておられると思います。

まちづくり懇談会は圧倒的に男性の方の参加が多く、行政対町民という意見対立の構図ができている印象を受けます。行政の説明や施行に苦言を呈するという形があります。その中にまだ始めていない医療が批判の対象になるというのもおかしいですね。

2月7日から実際の診療が始まりますので、それ以降にいろいろ注文を付けていただきたいと思います。

地域医療座談会は1月25日の健康推進員さんとの座談会ひとつが計画されていますので、それ以外はお断りしようと思います。

今晩は健康推進員さんたちとの忘年会でした。約2年一緒に活動してきましたので、気心が知れています。今晩はスナックで飲み放題で最初からカラオケモード。下宿屋も歌ってみました。でも音程が高くて声が出ませんでした。

一番拍手が大きかったのは保健師の敦っちゃんの「天城越え」。普段聞けない天樹声でした。ぼくも「愚か者」で挽回しようとしましたが無駄でした。

こういうつながりが健康的であり、医療を変える原動力だと感じた夕べでした。


ある自治体病院の悲劇

2011-12-25 22:06:09 | 地域協働

朝からしんしんと雪が降っていました。羊蹄ジュニアクロスカントリースキー競技大会(京極町)の応援に出かけようと家を出たのですが、いつもの近道が真っ白で道が見えません。

少し走ってみたのですが、危険を感じて引き返しました。

午後4時からは日曜日ですのに、地域医療座談会です。

きょうは30分話して40分質疑でした。質問が多いのはありがたいのですが、一人でも多く町内の医療機関を利用してくださいという行政からのお願いも、押し付けと感じている方が多いようです。

町立という意味はピンと来てないようです。民間と同じひとつの医療機関という認識です。「協働」の意味も分かってもらえそうにありません。

若い参加者は「協働」を理解しての発言もしてくれましたから、少しは安心もしましたが…。

今年4月に出た本ですが、東北大の伊藤恒敏先生の『暴かれた地域医療の実像』が手に入ったので読み始めました。銚子市民病院が破たんするまでのドキュメントです。

市長や議会が医療の本質や病院運営の難しさを認識できなかったことを細かに書いています。政争もありますが、どちらの陣営も医療についての勉強不足であったようです。首長の経営優先主義、議員の心無い発言が医師を傷つけた様子も描かれています。

2002~06年に銚子市長を務め、そして09年に市長に返り咲いた野平匡邦氏は自治省(現総務省)官僚でありました。ぼくの友人の高校時代の同級生でもあり、自治医大でも会っています。彼が仙台市財政局長のとき、涌谷町にも来てくれました。

自治省・総務省官僚であった方でも自治体病院の管理は難しかった。現在銚子市立病院は再生中ですが、どうなっていくのか注目していきましょう。


惠子さんの一周忌

2011-12-24 23:13:27 | 交友

今晩はクリスマスイブです。多くの人が楽しんでいるのでしょうが、ぼくはひっそり思い出に浸っています。

去年のこの日、惠子さんは膵臓がんで帰らぬ人となりました。がんが見つかって3か月でした。

1961年4月、彼女はお父様の転勤で、函館から土浦に移り住みました。当時、土浦2中の女子制服はセーラー服でした。彼女は1年間、前の学校の制服で通しました。デザインも色合いも似ていたので目立ちませんでした。ただ小さい刺繍に気づかなければ。

刺繍は白百合でした。前の学校はカソリックのミッションスクールでした。

その頃、「北上夜曲」という歌声喫茶の定番があり、「匂いやさしい白百合の 濡れているよな あの瞳・・・」という歌詞ですから、ぼくの何度目かの初恋らしきものの相手は惠子さんんとなる運命で・・・。

高校は別でしたが、離れて1年たっても想いは募るばかり、とうとう手紙を書きます。

長い日々が過ぎ、分厚い封書がわが家の郵便受けに届きます。・・・・・・

高校3年になるとき、彼女は京都に転校します。そのときぼくは大学ノート2冊に手紙のような日記のような文章を書いて渡しました。・・・・・・

医者になって4年目くらい、突然電話が来ます。「前沢君はきっと一生独身で過ごす」と言ってました。

たまにクラス仲間と一緒に会いました。

ご両親はお二人とも100歳近くまで生きました。弟の修君は胃がんで早逝しました。

社交ダンスとカラオケはプロ、旅行、ボランティア・・・人の3倍生きた人生だったとご主人は言ってました。

雪のちらちら降る夜に
  君は召されて天国へ
  想い出すのは 想い出すのは・・・・
北上夜曲は若くして世を去った初恋の人を歌っています。今晩歌詞を調べていてそれに気づきました。

今年のクリスマスイブはケーキを買う気になれません。惠子さんのご主人が送ってくれた虎屋の羊羹にろうそくをさそうかとも思いましたが、やめました。

惠子さんは雪の精やそよ風の香りになってご主人、3人のお嬢さん、そしてお孫さんたちに愛を注いでいるのでしょう。今晩も、これからも。


団塊世代の哀歓

2011-12-23 23:54:13 | 交友

作井さんや榊さんとは違い、やや年老いたわれわれ団塊の世代はなんともわがままなのかも知れません。

議員さんたちの多くが団塊でなくとも年代が近いので、妙に共感してしまいました。

子どものころは皆が貧乏でした。小学生の時は下駄をはいて通学してました。ときどき鼻緒が切れますから、そうなると裸足です。北海道はもっと厳しかったのではないでしょうか。

白米が食べられるのは年に1~2回。銀シャリと呼んでいたということは宝物のような感じでした。ふつうは麦飯で、ときどきは水団(すいとん)とか、じゃがいもだけ。

20歳になる頃には食べ物が少し豊富になったけれど、夕食もコロッケ1個に食パン1枚(もしくはパンの耳)という感じ。何人かの議員さんは、その頃好きな人がいたとか、同棲していたとか、子どもまでできた・・・・・というような話で、どこまで本当かは知らないけれど、皆元気だったのですねえ。

大学は大荒れでほとんど勉強にならなかった。社会の変化が大きい中で、特別な青春だったのですよ。

ちなみに下宿屋は森田公一作曲、作詞は阿久悠でした。

・・・・・・しけた煙草をまわしのみ  かけた茶碗で酒を飲み  金もないのに楽しくて  いつも誰かに惚れていた  だらだら坂のてっぺんの  あの下宿屋のおもいでは・・・・・・・・・

カラオケは自己陶酔の極致ですから、翌日は確実に自己嫌悪。   お誘いくださらぬように願います。

頭の中だけで歌っているのがよいようです。今晩も風呂場で歌います。

 

 

 


倶知安町地域医療を育てる議員連盟例会

2011-12-22 22:20:42 | 地域協働

昨日15:30から役場の3階で行われました。今回で5回目になっています。

「地域医療の現状とあるべき姿」というテーマで依頼されましたので、1時間ほどぼくから話し、その後質疑応答しました。

地域医療は地域住民・行政・医療関連多職種が協働して育てるもの。その基本はプライマリ-ケア。地域中核病院はそれを補うもの。それぞれの役割を果たしていけば医師は少なくてもうまくいく。一次救急と看取りが課題。

質問は一次二次の救急の違い。総合診療科の医師の診断法、厚生連の考え方など多数。その後18:30から忘年会になりました。

ぼくがスライドの経歴にいたずらっぽく書いている大学時代「失恋し」という文字に皆さん一番関心があったようです(地域医療の勉強会だったのに失敗!)。

議員さんたちも青春のほろ苦い思い出を語ってくれたりしまして、ぼくが持ち込んだ日本酒「久寿玉」も好評でした。

さらには二次会場へ。ここでは焼酎の水割りをいただき、歌を歌いたかったのですが、そういう雰囲気はなく、みなさんお話に夢中。ぼくの頭の中だけ森田公一とトップギャランの「下宿屋」がくりかえし流れているのでした。

さて、議員さんたち少しは地域医療なるもののご理解が進んだのでしょうか? 

鈴木議長さんは観光協会の会長さんでもあり、厚生病院にこの冬は英語と中国語の通訳さんを雇ってくれたのでした。議員さんたちも党派を超え、明るく柔軟で、厚生病院問題もよい方向へ進むと予感しました。たとえ厚生連が撤退しても・・・?