残念でした。
昼まで研修会。和光からお茶の水へ。日本プライマリ-ケア連合学会の運営会議に出て土浦に向かう予定は厳しかろうと昨日の時点でクラス会参加を断念しました。
中学校の卒業は昭和37年、1962年のことです。今日はどれくらいの人が集まったのでしょうね。
日曜日の夜に設定するなんて、と幹事役の伸ちゃんに文句を言ったのですが、この考えはぼくだけのもの。会場の近くに住んでいる人は何も感じない。遠くに嫁に行ったりしても、月曜日は休み。もう働いている人は少ないのでしょう。
北海道の田舎で土日も休まず走り回っているのはぼくくらい。64歳なのにね。
そう中学校の思い出は何でしょう?
まず学業成績ががくって落ちたこと。小学校は人気があって児童会長、あれ正式名称はなんだったっけ? 中学校は生徒会長だけどなれなかった。 つまりまあ一番優秀と思われていたわけ。ところが中学に入って、試験勉強しなかったし。つまり野球部に入って、疲れ切って勉強は宿題がやっと。
1年生の最初のテストは学年で22番。小学校での1番付近から急転直下。そのままズルズルと卒業まで勉強せず。高校にはギリギリで合格したらしい。
まあいい思い出はクラスメートにあこがれ恋したことくらい。
恵子さんは天国へ行っちゃたし。啓子さんもずっと前に。まだまだ元気な人も多いけれど、「昔、気になってた」「わたしも」なんて、前回のクラス会では言葉は交わした人もいるけれど。もう、お互いじじばばだものねえ。
会わずに幼い日の想い出に浸った方が幸せなのかもしれません。夜中に倶知安にたどり着きました。