コロナ元年10月7日
平井大臣は会見で、先週、河野行革担当大臣と萩生田文部科学大臣とオンライン教育に関する意見交換会を行ったことを明らかにした。この中で平井大臣は、小中学校でパソコンやタブレットなどが1人につき1台普及するようなデジタル環境が整った段階で、教科書制度を見直してデジタル教科書の導入を提起した。
コロナ元年10月7日
平井大臣は会見で、先週、河野行革担当大臣と萩生田文部科学大臣とオンライン教育に関する意見交換会を行ったことを明らかにした。この中で平井大臣は、小中学校でパソコンやタブレットなどが1人につき1台普及するようなデジタル環境が整った段階で、教科書制度を見直してデジタル教科書の導入を提起した。
デジタル化は、コストもかかるのも事実であるが、やると決めたらそこをクリアーしてやらないと、いつまでたってもできない。戦後の農地改革を思い起こすとそれが分かる。GHQの命令で小作人はなくなった。これくらいの覚悟で取り組まないと、また、もとの木阿弥になってしまう。国際社会で先進国とお付き合いしていく上で万難を排してこれを乗り越えるしかないだろう。
だから、やることを前提に、どう、やっていくかのハウトゥーを考えるべきだ。時代を変える時はこんなこと言っていたら、いつまで立っても変わっていかない。変えていく中で変えてはいけない不易なものを求めていくのだ。芭蕉の不易流行はこんなところに生きている。不易と流行は一体だと芭蕉もいっている。ここが大事。
やっていく中で課題は何なのだ。一つずつクリーしていくしかない。そして、落ちこぼれていく国民をどう手当てしていくかである。ここでは、公助が生きてくる。ペーパーの教科書がなくなることはないのだから。まさに、今はそういう時代になっているのだと、国民は認識すべきだ。そう、国民を追い込む施策も考えたい。
男子の育休も同じだ。いつの時代も変えてゆくことには抵抗がある。だから、尻込みしていてはだめだ。その根底には考え方も変えてゆく必要がある。広くビジョンを俯瞰し、その方向性を見定めて、歩きながら考えてゆかないと変革はすすまない。その時、弁証法的考え、すなわち正反合が生きてくる。弁証法は動的に物事を考える時には不可欠な行動理念なのだ。弁証法=共産主義の亡霊から脱却してもっと、広く考えてほしい。
デジタル化時代は、心配するな。却って人間とは何かを問われる時代になる。人間の本来持つ素晴らしさがあらためて具現化してくる時代でもある。不易流行はいつの時代でも真理である。
広いビジョンを持ってデジタル化を進めていってほしい。この時大切なことは、必ず乗り遅れる保守的な人間はいるので、そこをどう救済していくかが思いやり社会では問われるキーワードだ。国としてそこは十分考えていきたい。今は読み書きそろばんから、読み書きITの時代に変化しつつあるのだ。
銀行でも、ネット取引の重要性が増している。大手銀行ではネット取引に移行させる仕組みができつつある。変化の時代は先行性が有効だ。誰よりも早くこのことに気づいて変化して行く必要がある。年齢は関係ないのだ。シニアこそ長い経験をそこに注いて行ってもらいたい。不易流行は真理ですぞ!