読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

第20回宮崎映画祭観覧記(その5) 『未知との遭遇 特別編』との久々の遭遇に鳥肌ものの感激

2014-07-16 06:22:58 | 映画のお噂
7月13日(日曜日)、ついに最終日を迎えた第20回宮崎映画祭。この日は4本の作品を鑑賞いたしました。
まず最初に観たのは、東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品として製作された『神奈川芸術大学映像学科研究室』です。

『神奈川芸術大学映像学科研究室』 (2013年 日本)
監督=坂下雄一郎
主演=飯田芳、笠原千尋、前野朋哉

神奈川芸術大学映像学科で助手を務めている主人公の青年、奥田。自らの保身に汲々とする大学のお偉いさんたちと、ひたすら自己中心的な学生たちとの板挟みになりつつも、淡々と雑務をこなす日々が続いていた。そんな中、3人の学生が備品の撮影機材を盗み出そうとして失敗し、機材を破損させるという事件が起こる。例によって自らの体面ばかりを優先させるお偉いさんの指示により、奥田はウソの報告書を書いて庶務課に提出したのだったが•••。

大学院の学生たちによる修了作品ながら、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2013の長編部門で審査員特別賞を受賞し、新宿の映画館でレイトショー公開もされたという本作。まるで自分たちが属していた世界をカリカチュアライズしたかのような(冒頭には「この映画の内容はフィクションである」旨の断り書きがありましたが)内容にもビックリだったのですが、何より観る者をしっかりと楽しませてくれる手堅いつくりに感心いたしました。
妙にキャラ立ちした脇の登場人物たちも面白く、とりわけ、大学人というよりヤクザ様のような学科長のキャラは最高でした。


2本目からは、「黒沢清の映画塾」と題して、前日の『CURE』の上映に続き、黒沢清監督をゲストにお迎えしてのトークショーつきの上映でした。まずは、スティーヴン・スピルバーグ監督の代表作にして、『スター・ウォーズ』(エピソード4 「新たなる希望」)とともに、1970年代後半のSF映画ブームの牽引役となった傑作『未知との遭遇 特別編』を観て、スピルバーグ作品について語るという趣向です。

『未知との遭遇 特別編』 (1980年 アメリカ、オリジナルは1977年、その後2002年には「ファイナル・カット版」も)
監督・脚本=スティーヴン・スピルバーグ
撮影=ヴィルモス・ジグモンド
音楽=ジョン・ウイリアムズ
特殊視覚効果=ダグラス・トランブル
主演=リチャード・ドレイファス、フランソワ・トリュフォー、テリー・ガー、メリンダ・ディロン

第二次世界大戦中に行方不明になっていたはずの戦闘機が、突如メキシコの砂漠に現れる。さらにゴビ砂漠には、やはり行方不明になっていた貨物船が出現。時を同じくして、アメリカの各地で謎の発光体が目撃され、原因不明の大停電が起こる。その復旧に向かっていた電気技師のロイ・ニアリーは、光を放ちながら飛行するUFOに遭遇。以来、ロイは取り憑かれたようにどこかの山の形を思い描くようになる。
家の中に侵入した「何か」を追いかける息子を連れ戻そうとした女性、ジリアンも、謎の発光体に遭遇したことでロイと同じように山の形を思い描く。しかし、再び現れた発光体により息子は連れ去られてしまう。
フランス人学者のラコームは、謎の現象を分析する中で異星人からのコンタクトを確信、「彼ら」との接触を図るためのプロジェクトを進めていく。一方、思い描いていた形の山の場所を突き止めたロイとジリアンは、ラコームたちのプロジェクトの拠点がある「デビルズ・タワー」へと向かうのであった•••。

テレビやビデオで観て以来、かなり久しぶりの「遭遇」となった本作。クライマックスである、異星人たちの巨大なUFOの母船が現れる場面に、鳥肌ものの感激を覚えました。母船はミニチュアで表現されたものですが(特撮は『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』なども手がけたダグラス・トランブル)、スクリーンで観るそれはミニチュアであることを忘れさせるようなスケール感があり、CG全盛の現在の目で観ても十分に迫力を感じました。
どうしても後半の華麗な特撮場面に目を奪われがちになるのですが、そこに至るまでのドラマづくりや盛り上げかたの巧みさも、今回じっくりと味わうことができました。製作当時、スピルバーグ監督はまだ30歳ぐらいだったようですが、それでこれだけ巧みな映画づくりをしていたということに、「やっぱり凄い監督だなあ」ということをつくづく感じさせられました。
上映後の黒沢清監督によるトークショーでは、「白いスピルバーグ」と「黒いスピルバーグ」というキーワードでこれまでの作品群を分析。『シンドラーのリスト』(1993年)を境に、表現技法も作品の内容も大きく変化したことが論じられました。そして黒沢監督はスピルバーグ監督について、「あれだけヒットメーカーとしての地位を得ていながら、自分の殻を打ち破ろうとチャレンジを続ける探究心を持った優れた映画監督」と評価されていました。
「単なる娯楽映画の監督」だの「ピーターパン監督」だのというイメージを持たれがちなスピルバーグ監督ですが、その作品の新たな見方、味わい方を教えられたように思いました。また、過去のいろいろなスピルバーグ作品を見直したくなってまいりました。


続く上映作は、黒沢監督自身による短篇
『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』と『Seventh Code』の2本立てでありました。

『ビューティフル・ニュー・ベイエリア・プロジェクト』 (2013年 日本)
監督・脚本=黒沢清
主演=三田真央、柄本佑、森下じんせい

湾岸地域の開発に携わっている会社の若社長は、開発現場で男たちに混じって働いている女性に一目惚れしてしまう。若社長は女性に思いを打ち明けるが、彼女の態度はあくまで冷淡だった。業を煮やした若社長は、女性が大切にしているモノを奪って逃走する。若社長の会社に単身乗り込んだ女性の前に、屈強な警備員たちが立ちはだかった•••。
黒沢監督も教授として関わっている、東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品として製作されながら、監督を務めるはずだった学生が監督できなくなってしまい、急遽黒沢監督ご自身で監督したという本作は、黒沢監督初の格闘アクションでもあります。
わずか30分ほどの短篇でしたが、まるで香港映画を思わせるようなキレの良いアクションで、オトコどもを次々となぎ倒していくヒロインの姿が、実に痛快かつ「ビューティフル」で大いに楽しめました。一方で、どうしようもないボンボン社長を演じた柄本佑さんもいい味を出しておりました。

『Seventh Code セブンスコード』 (2013年 日本)
監督・脚本=黒沢清
主演=前田敦子、鈴木亮平

東京で出逢った松永という男のことが忘れられないヒロインの秋子は、ロシアのウラジオストクで松永と再会するが、松永は「外国では絶対に人を信じるな」と言い残して姿を消してしまう。日本人が経営する食堂で働きながら松永を探す秋子の前に、松永が乗った車が現れる。それを追った秋子は廃工場に辿り着くが、そこはマフィアの取り引き場所であった•••。
前田敦子さんのシングル曲のプロモーションのために製作された60分の作品ですが、謎めいた展開にはグイグイと引き込まれ、しっかりとした「映画」として楽しめる作品でありました(現に本作、昨年のローマ国際映画祭にて監督賞と技術貢献賞に輝いてもいます)。
主演をこなした前田さんも思いのほか魅力的で、これまで単にアイドルとしてしか認識していなかった前田さんを、初めて「女優」として認識することができました。そして終わってみれば、本作も『ビューティフル~』と同様、「強いヒロインの映画」だったのでありました。

2本立て終了後のトークショー。『Seventh Code』の舞台がウラジオストクになったことについて黒沢監督は、企画の秋元康さんから「ロシアなんていいのでは」との提案があったことに加え、日本から近いこともあってウラジオストクに決まった、という話を披露。ヒロインを演じた前田さんについては、「一見目立たないんだけど、それでいて人の目を引くようなところがある」と表しておられました。


すべてのトークショーを終えて挨拶をなさった黒沢監督は、「これまで4回行った映画祭はカンヌ、トロント、ロッテルダム、そして宮崎」とおっしゃってくださいました。
そうなのです。国際的に注目される存在でありながらも、市民ボランティアによる手作り感溢れる宮崎映画祭にも度々足を運んでくださる黒沢監督に、宮崎の人間の端くれとして、あらためて畏敬と感謝の念が湧いてきました。
同時に、黒沢監督にそこまで足を運んでいただけるような映画祭を、20年かけて続けてきた映画祭の実行委員やスタッフの皆さまにも、また畏敬と感謝の念が湧いてきたのであります。

こうして、第20回宮崎映画祭は幕を閉じました。
今回鑑賞したのは11作品。昨年の13作品からは少し減ってしまいましたが、それでも十分に楽しむことができました。
今年は台風の接近もあったりして、実行委員やスタッフの皆さまには例年以上に気の抜けないところがあったのではないかと思います。
しかし、わたくしが鑑賞したどの回にも、実にたくさんの観客が集まっていて(満員というのも2回ありました)、この映画祭が多くの宮崎市民から愛され、期待されているということをあらためて実感いたしました。
これからも、多くの人たちから愛される映画祭であり続けることを、心から願ってやみません。
実行委員やスタッフの皆さま、長丁場本当にお疲れ様でした!そして、ありがとうございました!

終了後、物販コーナーにて黒沢監督のご著書『東京から 現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ』(蓮實重彦さんとの共著、青土社)を購入いたしました。そして、それにしっかり、黒沢監督からのサインを頂戴することができました。

これは家宝として大切にさせていただきます。黒沢監督、本当にありがとうございました!

第20回宮崎映画祭観覧記(その4)『CURE』 黒沢清監督と役所広司さんを迎え、最高の盛り上がりに

2014-07-15 08:44:30 | 映画のお噂
宮崎映画祭も大詰めとなった7月12日(土曜日)。会場を、メイン会場である宮崎キネマ館より遥かにキャパシティの大きな、宮崎市民プラザ・オルブライトホールに移して、2作品が上映されました。
最初に上映された『日本のいちばん長い日』(1967年、岡本喜八監督)は、昼まで仕事だったために鑑賞できませんでした。
が、その次に上映された黒沢清監督の『CURE』は、バッチリと押さえることができました。なんたってこの上映には、宮崎映画祭4回目のご登場となる黒沢監督に加え、主演俳優である役所広司さんがゲストとして招かれ、上映後にトークショーが行われるという、今回の映画祭最大といってもいいビッグなイベントが組まれていたのですから。
会場には予想通り多くの観客が詰めかけていて、今回の映画祭最高の盛り上がりとなりました。映画祭期間中に接近してきた台風8号の動き次第では、お二方が来県できるかどうかが心配されただけに、無事にお二方が会場入りすることができて嬉しい限りでした。

上映前、黒沢監督と役所さんがご登壇しての舞台挨拶がありました。
黒沢監督は「初めてメジャーな製作体制のもとで作られ、さらに初めて海外で紹介されるきっかけを与えられた、自分のキャリアの中でも特別なこの作品を上映してもらえるのはとても幸せです」と語りました。そして役所さんは「黒沢監督との出会いの作品で、宮崎映画祭に読んでいただいたことを、大変誇らしく思います。•••ちょっと怖い映画ですが」と語り、観客の笑いを誘いました。

(画像はDVDのジャケット写真を拝借させていただきました)

『CURE』 (1997年 日本)
監督・脚本=黒沢清
音楽=ゲイリー芦屋
主演=役所広司、萩原聖人、うじきつよし、中川安奈

高部刑事が属する警察署の管内で、立て続けに猟奇的な殺人事件が発生。それらの事件の被害者は、すべて首から胸にかけて刃物で「X」字型に切り裂かれていた。そして、逮捕された犯人はいずれも殺したこと自体は覚えていながらも、なぜ殺したのかについては「わからない」「覚えていない」と繰り返すばかりであった。高部は謎めいた事件に振り回された上、精神を病んでいる妻との生活も重なり疲弊していく。
やがて高部は、すべての事件の背後に存在している一人の男に辿り着く。間宮というその青年には記憶障害があり、相手に対して謎めいた問いかけを続けるのだった。そんな間宮の態度に翻弄され苛立つ高部であったが、いつしかその心には変化が生じていくのであった•••。

「怖い映画ですが•••」という上映前の役所さんのお言葉通り、最初から最後まで異様な緊迫感を保って突っ走っていくサイコスリラーでした。殺害された被害者の描写にもショッキングなものがあり(三池崇史監督の作品など、多数の作品で特殊メイクを手がけている松井祐一さんの仕事も迫力がありました)、観客からは思わず低く悲鳴が上がったりしていました。
しかし、ショッキングな物語を通して、何気なく日常を生きているはずの人間たちに潜んでいる「心の闇」が引きずり出されていく展開には、ひたすら唸らされました。
間宮と関わっていく中で、精神を変容させていく高部を演じた役所さんの演技は時に鬼気迫るものも感じさせ、まさに恐ろしいくらい圧巻でした。また、謎めいた間宮を演じた萩原聖人さんも実に見事でした。
ショッキングな場面にとどまらず、ある種の美しさを喚起させるカットも随所に見られました。とりわけ、吹きすさぶ風の中に建つ、間宮が収容された病院のカットは印象に残りました。
映画祭の公式パンフレットによれば、本作は黒沢監督と役所さんの双方が多忙を極めていた時期の産物であったとのことですが、そのような時期にこれほど密度の高い作品が生み出されていたということに、ただただ感嘆するのみです。

上映後に開催されたトークショー。かなり久しぶりに本作を見直したという黒沢監督は、開口一番「いや~、気持ち悪い映画でしたね~」とコメントして、張り詰めていた観客の気分をほぐして(?)くださいました。
本作への出演を決めた経緯について役所さんは、渡された脚本を一読したときに「全体の雰囲気が良くて、この映画を観てみたいなあ、と」思い、出演を決めたのだとか。
本作で映像とともに強烈に印象に残ったのが「音」。低く唸り続ける波や風、洗濯物が入っていない状態でゴトンゴトンと回り続ける洗濯機などの「音」が、作品の異様な緊張感を増すようでまことに効果的でした。
黒沢監督はこれらの「音」について、「特に異常な音を入れているつもりではないが、映像に映っていない『向こう側』を想像できるように、現実にしていてもおかしくないような音を入れた」と語りました。また役所さんはそれを受けて、「そういったすべての音が消える瞬間がとてもドラマティックだ」とお話しになりました。

初めて目の前で拝見した役所さんはとても渋みがあってカッコ良く、優しそうな雰囲気を持ったナイスミドルでした。質問に対して、じっくり言葉を選びつつお答えになる(あのお声で!)お姿が、実にサマになっておりました。
そして、観客からの質疑応答のときには、質問した方のほうにしっかりと向き合って、笑顔をたたえながらお答えになられていて、誠実なお人柄が窺えました。
トークショー終了のとき、役所さんは「機会があれば、また宮崎に来ます」とおっしゃってくださいました。それが実現して、また目の前で拝見できる日が来ることを願いたいと思います。
そして黒沢監督。すでに日本はもちろん世界の映画界からも注目されるような大きな存在でありながらも、一地方の映画界を引き立ててくださることに、あらためて胸熱となったのでありました。

プログラム終了後、お二方のご厚情に対する感謝感激とともに、宮崎名物地鶏の炭火焼を肴に飲んだお酒は、ことのほか美味しゅうございました•••。

ちなみに、この写真ではわからないとは思いますが•••冷奴の豆腐は「X」字型に切れ目を入れて、しょうゆを染み込ませてから頂きました(笑)。


第20回宮崎映画祭観覧記(その3) あらためて迫力とイマジネーションに圧倒された『AKIRA』

2014-07-13 08:27:08 | 映画のお噂
宮崎映画祭は、3日目の7月7日からは平日の開催へと移りました。
平日の期間中も、仕事帰りを利用して3本は観ようと計画していたのですが、週の半ばに九州へ接近、上陸した台風8号による天候悪化により予定が狂い、結果的に観たのは7日夜に上映された『AKIRA』のみとなってしまいました。残念です。
とはいえ、今回の映画祭の大きな目的の一つが、『AKIRA』を劇場で観ることでしたので、それが実現できたのは誠に幸いでありました。


(写真はDVDのジャケット写真を拝借いたしました)

『AKIRA』 (1988年 日本)
監督・原作=大友克洋
脚本=大友克洋、橋本以蔵
音楽監督=山城祥二
声の出演=岩田光央、佐々木望、小山茉美、玄田哲章、石田太郎、鈴木瑞穂

近未来の日本。突然の大爆発により崩壊した東京に変わり、「ネオ東京」が新たな首都となっていた。
2020年の東京オリンピックを前に再開発に沸くネオ東京のハイウェイを、金田正太郎率いる暴走族がバイクに乗って疾走する。すると、突然前方に白髪の少年が現れ、先頭を走っていた金田の仲間・島鉄雄はそれを避けきれずに転倒してしまう。少年は軍の研究機関から、反政府ゲリラによって連れ出されていた超能力者「タカシ」であった。負傷した鉄雄は、タカシとともに研究機関に連れ去られ、治療が施される。しかし、投与された薬の影響から、鉄雄の中でとてつもない力が目覚め始める。
一方、鉄雄の行方を追う金田は、反政府ゲリラグループの一員である少女・ケイと出会う。ケイが属するゲリラのグループは、「アキラ」という謎の存在を追っていた。そして、ついに鉄雄の居場所を突き止めた二人だったが、そこに現れた鉄雄は、以前の臆病な鉄雄からは想像もつかない姿となって、金田たちの前に立ちはだかってきたのであった•••。

大友克洋さんが、監督と脚本を兼任して自作の漫画をアニメーション映画化した本作は、日本のみならず世界各国で熱狂的なファンを生み出し、現在ハリウッドでも実写によるリメイク企画が進行中です。
本作を最初に観たのは、製作の翌年(だったかな)に発売されたレーザーディスク(懐)を購入した時でした。その後、LDのプレイヤーもソフトも手放してしまいましたので、かなり久しぶりの、それも劇場での再会となりました。
緻密で迫力のある描写とイマジネーションに、あらためて圧倒されっぱなしでした。いや、劇場のスクリーンで観ることができた本作は、以前テレビの小さな画面で観たのとはまったく別ものという感じがいたしましたね。
今ではアニメの製作もデジタル化されておりますが、この頃はまだまだセルによる製作が主流でした。3年の製作期間と10億円もの制作費、そして総セル画枚数が約15万枚とすべてが破格のスケールで、まさにセルアニメーションの極北といえる本作。密度の高い近未来都市の描かれ方や、疾走するバイクのスピード感も素晴らしいのですが、なんといっても圧倒的なのが、細部まで揺るがせにしない「破壊」のイリュージョンです。これはやはり、劇場の大きなスクリーンで観てこそ意味があるということを、とことん実感させられました。
そんな高密度な映像のバックに流れるのが、山城祥二さん率いる「芸能山城組」による音楽です。その土着的な響きは、近未来都市を舞台にした物語のイリュージョンを大いに盛り上げてくれます。また、音響効果における丁寧な仕事ぶりも聞きどころでした。
最初に観た時には、圧倒的な映像に呆然としつつ、ただただ押し流されるように観ていただけだったのですが、今回は映像と音楽の迫力を堪能しつつも、物語の内容もすんなりと頭に入ってきました。そして、その内容が25年を経ていてもまったく古びていないことに、また驚かされたのでありました。

本作が上映された7日の夜は、平日にもかかわらず観客は多めでした。中には、小学生の子ども2人を連れた家族連れの姿も。小学生にはいささか刺激の強いシーンもあったとは思いますが•••でも、なんだかちょっと嬉しい気持ちでありました。


第20回宮崎映画祭観覧記(その2) 心地よい空気感で楽しめた『ニシノユキヒコの恋と冒険』

2014-07-11 23:12:10 | 映画のお噂
映画祭2日目の7月6日。この日は午前中から3本の映画を鑑賞いたしました。

まず最初に観たのは、宮崎では初の劇場公開となった、新鋭井口奈己監督の最新作『ニシノユキヒコの恋と冒険』です。客席は大入り満員の盛況ぶりで、至急補助席が出たほどでした。


(写真は8月20日に発売されるDVDのジャケット写真を拝借いたしました)

『ニシノユキヒコの恋と冒険』 (2014年 日本)
監督・脚本=井口奈己
原作=川上弘美
主演=竹野内豊、尾野真千子、成海璃子、本田翼、木村文乃、中村ゆりか、麻生久美子、阿川佐和子

ルックスも良く、仕事もでき、セックスもバッチリと、すべてにおいて完璧な希代のモテ男、ニシノユキヒコ。そのまわりには、常に魅力的な女性たちがいた。女性に対して限りなく優しいニシノは、彼女たちを楽しませ、その欲望を満たすのだが、なぜか最終的にはみんな、彼のもとを去っていってしまうのだった。ニシノと女性たちをめぐる思い出話からは、真実の愛を求めてさまよったニシノの美しくも切ない人生が浮かび上がってくるのであった•••。

基本的に恋愛ものは苦手であるわたくし。本作も、普段のわたくしならまず観ないタイプの映画だなあと思いつつ観たのでしたが、けっこう面白く観ることができました。
なんといっても、ニシノユキヒコを演じる竹野内豊さんが実にいいのです。一見、非の打ち所がないイケメン男に見えながらも、どこか人を食ったようなとぼけたところもある、なんとも憎めない絶妙なキャラクター。それを巧みに演じる竹野内さんは、女性のみならず男の目から見てもまことに魅力的です。
そして、ニシノに惹かれる女性たちを演じる女優陣の多彩さもまた魅力的です。個人的には、尾野真千子さんが出ておられるというだけでもすごく嬉しかったのですが(笑)、若手の女優陣の中にあってもお茶目さが目を引いた阿川佐和子さんもいい感じでした。そして、本作で初めて知った新星、中村ゆりかさんにも惹かれるものがありました。

上映後、井口監督とスクリプターの増原譲子さんを迎えてのトークショーが開催されました。井口監督は、2012年の第18回に続く2度目のゲスト登場です。
ニシノ役を誰にしようか決めかねていたとき、所属事務所からの推挙がもとで出演が決まったという竹野内さん。ご本人もけっこう、飄々としたお人柄のようで、だからこそニシノのキャラをあそこまで巧みに演じられたんだなあ、と納得したのでした。
映画を観た人からよく「ちゃんとした映画を作れ!」と怒られたりする、という井口監督。今回のトークショーでは、開始早々観客の一人(男性の方でした)から「恋愛があまりにも淡々としすぎているのではないか」などと疑念を呈され、井口監督もそれに反論するという一幕がありました。
感じかたは人それぞれではあるのですが、わたくしとしては、その淡々としたところがいいのではないか、と思いました。ベタベタしたところのない、淡々とした軽みが醸し出す心地よい空気感は、「大人のおとぎ話」としての本作の世界観をうまく作り上げていたのではないでしょうか。
普段なら観ないようなタイプの作品の中にも、観るべき宝石のような映画を見出すことができるというのも、この映画祭のありがたいところです。この『ニシノユキヒコの恋と冒険』も、思いがけず見出すことのできたお気に入りの作品となりました。
トークショーで井口監督が語っておられた「わたしは未来に向けて映画を作りたい」とのお言葉にも共感できるところがありました。井口監督の今後にも、大いに期待したいと思います。


2本目に観たのは、小津安二郎監督にも信奉されていたというエルンスト・ルビッチ監督によるコメディ映画『生きるべきか死ぬべきか』です。

『生きるべきか死ぬべきか』 (1942年 アメリカ)
監督=エルンスト・ルビッチ
主演=ジャック・ペニー、キャロル・ロンバート

第二次世界大戦の最中。ポーランドの首都、ワルシャワは侵攻してきたナチスドイツの占領下にあった。現地のシェイクスピア劇団の座長であるヨーゼフの妻アンナは、ポーランド空軍の中尉ソビンスキーと不倫関係だったが、ひょんなことからヨーゼフにバレてしまう。すべてを打ち明けたソビンスキーは、ナチスの情報活動を打ち砕くべく2人に協力を求める。かくて、3人と劇団の面々による、ナチスを煙にまくための大芝居の幕が開くのであった•••。

いやー、これは大いに笑わせてもらいました。特に後半、ナチス相手に大芝居を打つヨーゼフたちが、ピンチを機知で乗り切っていくさまはナンセンスにして痛快でありました。
本作はのちにメル・ブルックス監督によりリメイクされています(1983年製作の『メル・ブルックスの大脱走』)。リメイク版のほうは残念ながら未見なのですが、ギャグのいくつかにメル監督の作風を彷彿とさせるようなナンセンスさがあり、メル監督がリメイクしたのもわかるような気がいたしました(それとも、メル監督がルビッチ監督から影響を受けたのかな)。
『ニシノユキヒコ~』に引き続き、こちらにも井口奈己監督と増原譲子さんが登壇して、ルビッチ監督の作品をはじめとするクラシック作品についてのトークがありました。ルビッチ監督の作品も大好きだという井口監督は、ルビッチ監督の作品から「深刻にならない」という教訓を学んだのだとか。
また、本作がナチスドイツをからかうような内容の作品でありながら、公開当時は「不真面目だ」との批判を受けて興行もさんざんだった、ということについて、井口監督は「これがプロパガンダではないからではないか。悪役であるナチスも、なんだかお茶目に描かれていますし」とおっしゃいました。確かに、自分のヘマを部下になすりつけてばかりいるナチスの大佐なんて、けっこうイイ味出していて憎めない感じでした。
プロパガンダに堕していないからこそ、今のわたくしたちが観ても楽しめるような、センスのいい作品に仕上がったのではないでしょうか。そう考えると、ルビッチ監督という人はなかなかの才人だったんだなあ、と思いました。他の作品も、機会があれば観てみたいですね。


3本目に観たのは、めったに観られないようなサイレント映画の秀作『忠次旅日記』でした。

『忠次旅日記』 (1927年 日本)
監督=伊藤大輔
主演=大河内傳次郎、伏見直江

「国定忠次は鬼より怖い、にっこり笑って人を斬る」と恐れられながらも、悪代官を懲らしめ弱い者から慕われていた、幕末の俠客・国定忠次(忠治)。本作は、持病の中風に苦しみながらも追っ手から逃れる忠次の道行きと、道中で出会ったさまざまな人びととの交流、そして最後には囚われの身となるまでを描いた時代劇です。上映されたのは、三部作として製作されたうち、現存する第二部の途中から第三部のおしまいまでです。
本作は長らくプリントが存在しなかったことから「幻の映画」と言われていたのですが、にもかかわらず1959年に、雑誌『キネマ旬報』の「日本映画60年を代表する最高作品ベストテン」の1位に選出されたという傑作です。
長らく「幻」だった本作でしたが、1991年になって広島県の民家の蔵の中から発見され、東京国立近代美術館フィルムセンターにて復元されました。今回上映されたのは、その復元版というわけなのです。
なかなかサイレント映画を見る機会がないということもあり、始まってしばらくは入り込めなかったのですが、だんだんと引き込まれてきました。立ち回りの場面はもちろんですが、生き別れになった孤児の勘太郎をめぐる情感あふれる場面にも惹きつけられるものがありました。
また、今から90年近く前の時代劇でありながら、思いがけないほど斬新な表現もあったりして(特に終盤、忠次の妾であるお品が、子分の中にいる裏切り者を問い詰める場面における矢継ぎ早のカットなど)、ちょっと驚かされもいたしました。
このような貴重な作品を劇場で観る機会が得られたことは、やはり良かったと思います。
こういう映画を撮った伊藤大輔という監督って、どんな人物だったんだろう•••。そういう興味とともに物販コーナーで購入したのが、『時代劇の父・伊藤大輔』(神津陽著、JCA出版)という本です。

資料としても興味深い本のようですので、じっくり読んでみようと思っております。

第20回宮崎映画祭観覧記(その1) 『太陽を盗んだ男』の痛快な面白さに酔う

2014-07-07 23:51:54 | 映画のお噂
今回で第20回目となる宮崎映画祭が、先週末の土曜日(5日)から始まりました。
(映画祭の公式サイトはこちらです)

一つの節目となる今回の宮崎映画祭。貴重なサイレント時代の幻の傑作をはじめとする優れた旧作から、新たな映画の息吹を感じさせてくれそうな新作まで、全部で19作品が上映されます。映画と映画祭のこれまでを回顧しつつ、さらなる未来へと繋げていこうという意図が込められているかのようなラインナップなのであります。

今回の映画祭公式パンフレット(1部300円)には、上映される19作品の紹介のほかに、今回ゲストで参加される黒沢清監督や、俳優の役所広司さん、井口奈己監督、そしてシネマ・イラストライターの三留まゆみさんからのメッセージが寄せられております(表紙のイラストは三留さんの手になるものです)。
さらには、周防正行監督や樋口真嗣監督などの、これまでの映画祭にゲストで招かれた面々からのメッセージや、全20回の上映作品とゲストの一覧まで収録されていて、まさに永久保存版といってよい充実ぶりであります。映画自体は観られないという向きは、このパンフレットだけでも押さえておいていいかもしれませんね(←って、違うだろ)。

初日の5日に観た作品は2本でした。まず最初は『皇帝と公爵』です。

『皇帝と公爵』 (2012年 フランス、ポルトガル)
監督=バレリア・サルミエント
主演=ジョン・マルコビッチ、カトリーヌ・ドヌーブ、イザベル・ユペール

1810年9月。ナポレオンが派遣したフランス軍はポルトガルを征服すべく侵攻する。しかし、途中までは成功したかに思われたフランス軍の侵攻は、知将ウェリントン将軍率いるイギリス・ポルトガル連合軍の罠にはまって頓挫する。さらにイギリス軍は、ウェリントンの戦略により要塞「トレス線」を建設し、フランス軍を誘い込んで撃破しようと準備を進めるのだった•••。
ともに同じ年に生を受け、「永遠のライバル」として戦いを重ねた皇帝ナポレオンと知将ウェリントンとの「ブサコの戦い」を背景に、戦いに巻き込まれ翻弄される人びとの姿を群像劇として描き出した歴史大作です。
2011年にこの世を去った名匠、ラウル・ルイス監督が進めていた企画を引き継いで完成させたのが、妻のバレリア・サルミエント監督です。
ナポレオンとウェリントンとの戦いの行方に影響を与えた「ブサコの戦い」を、2時間半に及ぶ壮大なスケールの大作としてまとめあげたサルミエント監督の手腕はまことに見事で、圧倒されるものがありました。
とはいえ、サルミエント監督の演出は戦闘そのものよりも、戦乱に巻き込まれた人びとが苦難や荒廃の中で生き抜いていこうとする姿を、リアリティたっぷりに描くことに徹していました。とくに、戦乱の中で傷つき、蹂躙されながらも、必死に生きようとする女性たちの生きざまは、重くて深い余韻を残しました。
一見する価値は大いにあった、正攻法の歴史大作でありました。

この日観たもう一本は、三留まゆみさんを迎えての「三留まゆみの映画塾」として上映された『太陽を盗んだ男』です。

『太陽を盗んだ男』 (1979年 日本)
監督=長谷川和彦 製作=山本又一郎
脚本=レナード・シュレイダー、長谷川和彦
音楽=井上堯之
主演=沢田研二、菅原文太、池上季実子

中学校の理科教師である城戸(沢田研二)は、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪する。自宅アパートで手製の原爆を製作した城戸は、それをネタにして政府を脅迫する。城戸は交渉の相手として、丸の内警察捜査一課の山下警部(菅原文太)を指名する。かつてバスジャックに巻き込まれたとき、命がけで救出にあたった山下の姿に、自分と相通ずるものを感じていたのがその理由だった。
城戸は山下に対して「テレビのプロ野球中継を最後まで放送しろ」とか「ローリング・ストーンズの日本公演を実現させろ」などと、突拍子もない要求を突きつける。そして、「現金5億円を用意しろ」という第3の要求を受けた山下は、受け渡し現場で取り押さえるべく罠を張るのであった•••。

実は、今回の映画祭に臨む一番の目的は、本作を劇場で観るということでした。前から気になっていた作品でありながら、なかなか観ることができないでいた映画だったからです。
いやはや、これは本当にものすごく面白い映画でした!奇想天外な物語に、痛快なアクションとユーモア、ときおり垣間見えるテーマ性。そのすべてにとことん引き付けられました。
アンニュイな軽みを持った沢田研二さんと、骨太で野性味溢れる菅原文太さん、それぞれのカッコよさに魅了されました(もっとも、ラストの対決シーンにおける山下警部のタフさは、いささかやり過ぎ感がありましたが•••)。また、『西部警察』シリーズでも大活躍した「三石千尋とマイクスタントマンチーム」による、トラック飛び越えやパトカー大量横転といったド派手なカーアクションにも、目が釘付けになりました。
•••白状すると、本作を観る前に夕食かたがたビールと焼酎を引っ掛けるというバカな状態で鑑賞に臨んだのですが(汗)、観ているうちに酒の酔いなど吹っ飛んでしまい、映画の持つパワーと面白さに酔ったのでありました。
生きてるうちにこの映画を観ることができた喜びを、とことん噛み締めることができたのでありました。

終映後に始まった三留さんのトークでは、映画のプロデューサーを務めた伊地智啓さんもサプライズ登壇。もともとは村上龍さんの脚本による企画から始まったということや、山下警部役の候補は高倉健さんだったこと、スタッフがノロノロ運転して首都高速を渋滞させた上で撮影されたカーアクションのこと•••などなど、映画のウラ話をたっぷりお話になられました。日本映画に伝説を刻んだ作品のウラ側も、また伝説的な面白さに満ちていたことを知ることができました。
高校時代に出会って以来、本作は特別な作品となっているという三留さんは、「最初は面白さに夢中になるだけだったけれど、何度も観ることでいろんなテーマ性が見えてきた」とおっしゃっておられました。確かに本作は、一度だけの鑑賞で終わらせるにはもったいないくらいの映画だと思います。製作から35年近く経っても、まったく色褪せない魅力を持った本作は、わたくしにとっても特別な作品となりました。
一方で、現在の日本映画界においては、このようなエンタテインメント性とテーマ性とを併せ持った作品を生み出すことができず、なんだか「ちんまり」とした作品ばかりになっているのではないか、という問題にも話は及びました。
確かに、目下の映画製作にはさまざまな業界が関わっていることもあり、いささか冒険しにくい面があるのでしょう。ですが、『太陽を~』のように「ちんまり」した枠や制約を吹き飛ばす、壮大かつ痛快な「ホラばなし」が、もっと日本映画にも出てきてくれるといいなあ、と思うのであります。

ちなみに伊地智さん、上映中はなんとわたくしのすぐ後ろの席でご覧になっておられました。さらに、翌日のゲストとして招かれていた井口奈己監督も、やはりすぐ後ろで鑑賞しておられたという•••。
作り手と観客との距離が近い宮崎映画祭の良さを、あらためて感じた次第でありました。•••でもちょっとキンチョーもするんだけどね(笑)。