『切断ヴィーナス』
越智貴雄著、白順社、2014年
最初、書名を見たときにはギクリといたしました。なんだか、ある種の禍々しさを想起させられる「切断」という言葉の響き。
そして、表紙の写真にドキリ。片脚が義足となっている女性の足元のアップ。そう、本書は片脚を切断し、義足を身につけた女性たち11人を被写体にして撮影、構成された写真集なのです。
とはいえ、ここに収められている写真の数々からは、片脚を失ったことによる辛さや悲しみといったものは、まったく漂ってはきません。
まるでファッション雑誌から抜け出てきたかのように、美しい装いに身を包んでポーズをきめている方がいれば、陸上競技場で跳躍する方もいます。さらには海の中を泳ぎ回っていたり、スノーボードに興じている方も。バイクに跨っている方の写真は、それぞれにメタリックな輝きを放っている義足とバイクの車体が融合しているかのようで、それこそバイク雑誌の表紙にしてもいいくらいのカッコ良さです。
さらには義足以外の身体に、まるでターミネーターか何かのように皮膚から機械が覗くような特殊メイクを施して写っていたり、ピノキオのような義足とポーズをとって写っていたりと、なんだか遊び心を感じるような写真もありました。そして、自分が身につけている義足を手にして、ちょっと挑発的にも見える笑顔でカメラに向かっている方も。
それらの写真と、写っている女性たちの姿や表情を見ていてまず感じたのは、
「うわー、みんなものすごくカッコいい!」
ということでした。
そこにあるのは、片脚を失うという苦難と辛さを乗り越え、ハンディキャップをいわば「最強の個性」に変えた女性たちの輝きでした。
彼女たちが身につけている義足は、すべて一人の男性の手によって生み出されたものです。鉄道弘済会の義肢装具サポートセンターに所属している義肢装具士、臼井二美男さんがその人です(実は、鉄道弘済会にそのようなセクションがあること自体、この写真集で初めて知りました)。
臼井さんは義足の製作にあたって、切断に至った経緯や切断後の現状、年齢、職業、家庭環境に耳を傾け、対話を繰り返すといいます。そうして探し当てることとは•••
「夢だね。最後は夢。義足をつけてこれをしたいという意志が大事。おもいきり走りたいのか、スキーをしたいのかで、義足も変わるから。残念だけど、万能な義足はないよ」
そうして数ヶ月かかった末に生み出される、その人だけのオリジナルな義足も、夢が一つずつ実現して体力も気力も充実していくのに合わせて変えていくのだとか。
「入院してすぐと、退院時とでは、セッティングがもう違っている。義足も人に合わせて、育っていく。進化していく」
この写真集に登場した女性たちの義足も、これがゴールというわけではなく、さらに大きく育ち、進化していくことでしょう。そう考えると、なんともワクワクしてくるものがあります。
登場した女性たちのプロフィールを紹介したページには、片脚を失うに至った経緯や、彼女たち自身によるコメントも記されています。
当然のことながら、片脚を失ったときにそれぞれの方が負った心身の痛みは、けっして小さいものではなかったと察します。しかし、彼女たちのコメントからは、臼井さんの生み出す義足に出会ったことで前向きになり、夢を実現していけるようになったことへの喜びがひしひしと伝わってくるのです。
右足が先天性の巨趾症のために生後より手術を繰り返し、何をしても「不完全燃焼のまま」「夢を見ることもやめ」ていたという女性は、義足をつけた当初こそ違和感があったものの、やがて「諦めることをしなくなり」どんどん挑戦するようになった、と言います。
「走れる!好きな靴が履ける!お神輿が担げる!あきらめていた夢が、一つずつ叶っていきます」
法被姿で東京スカイツリーをバックに立ち、男たちとともにお神輿を担いでいるその女性の表情は、とてもキラキラと輝いていました。
臼井さんの仕事により、苦難と辛さを乗り越え、夢と喜びを得て輝くことができた女性たち。それを踏まえつつ、あらためて収録された写真を見ていくと、胸をじんじんと打つものがありました。女性たちはもちろんのこと、臼井さんにも深い敬意が湧いてきました。
女性たちを撮影したフォトグラファー、越智貴雄さんは、2000年にシドニー・パラリンピックの撮影で見つけた〝壁〟をカメラの眼が壊してくれたといいます。それは「障害者を『かわいそうな人』『がんばっている人』という勝手な先入観で見てしまう壁」でした。
「パラリンピックは競技スポーツとして、とても面白いんです。純粋に競技スポーツとして、選手のパフォーマンスを目のあたりにすると、それまで持っていた〝障害者〟という言葉のネガティブなイメージが、パッと消えました。それって、こちらの勝手で無責任な先入観ですよね。知らない世界を知って、壁が取り払われて、世界が広がったんです。それは世界が変わることだと思います」
そう、まさしくこの写真集を見ていて感じたのが、自分の中にあった固定観念という〝壁〟が消えていくような感覚でありました。つまらない固定観念が、いかに他者を、そして自分の世界を狭めてしまっているのか、ということを、あらためて思い知らされることになりました。
固定観念で他者を、そして自らを縛ることなく、新しい世界を広げていくことで、社会はきっと生き生きとしたものになっていくはず。
そんなことを、「切断ヴィーナス」の女性たち、そして臼井さんや越智さんから教えられたように思われた写真集でした。ぜひとも、一人でも多くの人に見ていただければと願います。