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平成の世にゴジラを繋げた素晴らしい功労者、川北紘一監督を悼む

2014-12-13 22:34:10 | 映画のお噂
高倉健さんや菅原文太さん、ロビン・ウイリアムズさん等々、偉大な映画人の訃報を多く耳目にした2014年でしたが、暮れの最中にまた、残念な訃報を目にすることになりました。
1989年の『ゴジラvsビオランテ』を皮切りとする平成ゴジラシリーズ6作品などで、特技監督(=特撮監督)を務められた川北紘一さんの訃報です。享年72歳。亡くなった12月5日は、奇しくも川北監督のお誕生日でもありました。
子どもの頃からの特撮映画好きが高じ、19歳で東宝に入社して円谷英二監督に師事。その後、ゴジラシリーズをはじめとする数多くの映画やテレビの特撮を手がけてこられました。東宝を退職してからも、特撮映像の制作会社を立ち上げたり、大阪芸術大学の客員教授を務めて後進の指導にあたるなど、特撮一筋に歩み続けてこられた方でありました。
ゴジラ映画をはじめとする特撮・怪獣映画に親しみ続ける中で、川北監督の手がけた作品からも多くの楽しみやイマジネーションを頂いたわたくしにとって、まことにショックで残念な訃報でありました。

川北監督の手がけた作品でまず思い浮かぶのが、大阪のビル街を進撃するゴジラを下から仰ぎ、移動するカメラで捉えた『ゴジラvsビオランテ』のこの場面です。
(本来、こういった場で映画の一場面の写真を掲げることは控えるようにしているのですが、今回に限りあえて、当該場面の写真をここに掲げさせていただくことにいたします)

それこそ川北監督の手がけた『ゴジラvsモスラ』(1992年)の撮影現場へ見学に訪れるほど、大のゴジラ映画ファンであるティム・バートン監督が、のちに自作『マーズ・アタック!』(1996年。バートン監督の作品でもとりわけ好きな一編です)でも引用した、ゴジラシリーズ屈指の名カットです。このカットが引用されているのを見たとき、「ああ、さすがはバートン監督、よくわかっておられるなあ」と、なんだか嬉しい気持ちになったのを思い出します。
川北監督の手がけたゴジラ映画には、このような「絵になる」カットが実に多かったように思います。
『vsビオランテ』に続く『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)での、ゴジラとキングギドラの最初のバトルシーン。ゴジラの吐く熱線によってキングギドラの真ん中の首が切断されて宙を舞います。そこからは生々しい血液ではなく金粉が噴き出し、画面いっぱいにキラキラとした輝きが•••。ともすればグロテスクになりかねない場面ではありましたが、川北監督は円谷監督の「みだりに血を出さない」という精神を受け継ぎつつ、それをファンタジックな演出で魅せてくれたのでした。
怪獣同士のバトルにしても、ことさら取っ組み合ったりするのではなく、色とりどりの光線が飛び交うわりと派手めな演出でした。プロレスごっこのような怪獣映画がイヤ、というのがその理由でしたが、結果的にそれが華やかさやリズム感のある「絵になる」画面を作り出していたようにも思うのです。
そして、それまでのシリーズではまちまちの造形であったゴジラ自体も、川北監督の発案により頭が小さく下半身がどっしりした「三角体型」となり、それは川北監督が最後に手がけたゴジラ映画『ゴジラvsデストロイア』(1995年)まで踏襲されました。それもまた、実にサマになっていてカッコ良く、好きでありました。
生前のインタビューで、「僕の映画は過去のゴジラ映画の財産をリニューアルして、いかに超えていくかなんです」と語っておられた川北監督。守るべき過去の精神は守りながらも、時代の風を読みながら変えたほうがいいことは変える、という映像づくりをされてきたからこそ、ゴジラは平成の世にもしっかりと繋がっていくことができたのだと思うのです。

ゴジラを新しい時代に繋げつつも、「次の『ゴジラ』をやるためには違う作品もやって、それに向けた技術も雰囲気も作っていかなきゃいけない」とも語っておられた川北監督は、怪獣もの以外のジャンルにも真摯に取り組んでおられました。小松左京さん原作の本格宇宙SF『さよならジュピター』(1984年)や、『機動戦士ガンダム』などのロボットアニメで名高いサンライズと組んだ実写によるロボットアクション『ガンヘッド』(1989年)、など。
『さよならジュピター』は映画自体の出来は残念ながら良くなかったのですが、日本映画では初めてとなったモーション・コントロール・カメラなど、新技術を取り込んで作り上げた川北監督による特撮映像は、今の目で見ても見ごたえがあるように思います。

生前のインタビューを読み返してみると、川北監督の「特撮魂」をひしひしと感じるいい言葉がそこかしこにあって、胸の熱くなるのを覚えました。いくつか引いておくことにいたします。

「東宝映画はミニチュア・ワークで迫ったほうが『ジュラシック・パーク』に勝てるんじゃないかと勝手に思っている。合成技術ではアメリカに負けるけどね。「僕らはミニチュア・ワークで勝負をするんだ。怪獣映画の王道はミニチュア・ワークなんだぞ」って、スタッフにいっているんです。そのために巨大なミニチュアを作って撮るんだ、とね。」

「特撮と本篇の関係という点では、双方で仲良く作るというよりは、多少反発し合うくらいで、互いに切磋琢磨するのが一番いいみたい。ここは本篇、ここは特撮と単純に分けて撮るんじゃ、面白くもなんともないでしょ。僕らは、本篇のこのシーンは重たそうだから特撮でフォローしていこうとか、そういった気構えで進めていますよ。そのほうがはるかにいい仕事ができます、本当に。」

(上掲の発言に補足を。日本の特撮映画においては、俳優が出演するドラマ部分である「本篇」班と特撮班のそれぞれに監督やスタッフがつく、というシステムが主流となっており、上掲の発言はそのことを踏まえてなされたものです)

「アイディアは無尽蔵にあるわけじゃないから、今まで培ってきた努力をうまくスパークさせる方法を考えれば、怪獣映画はマンネリにならない、ちゃんと個別化できるというのが僕の持論なんです。」

これからの特撮、ひいては映画というものがどのように変わっていくのか、わたくしにはわかりません。ですが、いかに変わっていこうとも、川北監督の「特撮魂」からは、多くのことを汲み取ることができるのではないでしょうか。

川北監督が創設した特撮映像制作会社「ドリーム・プラネット・ジャパン」の公式ブログに昨日(12日)にアップされた「川北紘一監督」と題された記事( http://dreamplanetjapan.blog18.fc2.com/blog-entry-62.html )には、監督の逝去についての報告とともに、このようなことが記されておりました。
「川北監督の手がけたフィルムは残ります。新旧含め、現在見ることができる作品はたくさんあります。少しでも多くの方に、どの作品でも良いので、川北監督の『特撮魂』を、観て、感じて頂ければこれ以上のことはありません」
幸い、このわたくしの手元にも、川北監督が残してくださった作品の数々があります。これからもそれらの作品を観返していくことで、川北監督の「特撮魂」に触れていきたいと思っております。

川北監督。
最後の最後まで特撮とともに歩んだその生きざま、心より尊敬いたします。お疲れ様でした。そして、たくさんの素晴らしい仕事を残してくださり、本当にありがとうございます。
心から、お悔やみを申し上げます•••。


*『ゴジラ映画クロニクル 1954~1998 ゴジラ・デイズ』(冠木新市企画・構成、集英社文庫、1998年)と、キネ旬ムック『動画王 Vol.6 巨大怪獣特集』(キネマ旬報社、1998年)の2冊に収録された、川北紘一監督のインタビューを参考にさせていただきました。川北監督のご発言も、上記2冊より引用いたしました。

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