読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『書物のある風景』 本と人との関わりの歴史を映しとった、豊饒なアート作品集

2019-04-29 14:23:40 | 「本」についての本

『書物のある風景 美術で辿る本と人との物語』
ディヴィッド・トリッグ著、赤尾秀子訳、創元社、2018年


限られたごく一部の人しか読むことのできなかった巻物や写本の時代から、印刷技術の普及によって誰もが自由に本と接することができるようになった現代・・・。そんな長きにわたる、本と人との関わりの歴史を切り取った作品や、本と出版そのものをテーマに据えた作品など、さまざまな「書物のある風景」を題材にしたアート作品300点近くを収録した美術作品集が、本書です。
セザンヌやシャガール、ゴッホ、ピカソ、マネ、歌麿、マグリット、ドガ、エル・グレコなどの超有名どころから、知る人ぞ知る現代アーティストまで、収録されている作者のメンツも多彩なら、表現技法も油絵に版画、彫刻、写真、インスタレーションとバラエティ豊か。サイズはA 5判(月刊『文藝春秋』と同じ大きさ)と、美術作品集としては小ぶりではありますが、収録作品の多さもあってボリュームがあり、手に持つとズシリとくる重さです。それだけに定価も、本体価格4200円とけっして安くはないのですが、これはぜひとも手元に置きたい!ということで、躊躇なく取り寄せて購入した次第です。

スペインのフェリペ4世に仕えた道化師を描いた、ベラスケスの「本と道化師」。大きくて分厚い本を広げながら、こちらを見つめる小さな体の道化師は、道化師という言葉の持つ響きとは裏腹に、威厳と誇りが満ちあふれた表情をしています。豊かな知識と教養を持つことで、いかなる立場の人間も高貴な存在となれるということが伝わってくる、実に印象深い作品です。
キリスト教に対する弾圧に遭い、4世紀初期に斬首された聖カタリナを描いた「アレクサンドリアの聖カタリナ」。書物を片手に、凛とした表情ですっくと立つカタリナの足下には、迫害者であるはずのローマ皇帝が拳を握りしめて悔しがっています。この作品もまた、学ぶことの強さと尊さを見るものに語りかけてきます。
その一方で、知識や学びのはかなさを描いているのが、ハンス・ホルバインの「ヴァニタス」。墓標のような台の上に書物を広げて読んでいる骸骨が描かれていて、立てた肘にもたれかかっているその様子は、どこかくたびれているように見えます。限りある人生にあっては、世俗における知識や学びも「すべてはむなしい」( “ヴァニタス” という言葉の由来)・・・これもまた、一つの真理といえるかもしれません。

専門の写字者により一文字ずつ書き写される「写本」の時代には、書物はごく限られた人のものでしかありませんでした。それを一変させたのが、活版印刷術の登場でした(本書には、その立役者であるグーテンベルクを描いた作品も収められています)。書物の大量生産への道が拓けたことで、それまで書物を読むことができなかった層も、本を入手して読むことができるようになりました。
書物の普及によって増えたのが、女性の読者。本書には、本を読む女性たちを描いた作品も多数収められています。ヨハネ・マティルデ・ディートリクソン「農家」は、お手伝いさんらしき若い女性が、掃除をサボって(?)小説本に読みふけっている姿を描いています。本書冒頭の解説文では、享楽的で社会のモラルを脅かすという理由で高まった、小説への批判的風潮を反映した作品のひとつだと述べられていますが、それだけ書物が多くの層に行き渡り、広く読まれるようになったということなのでしょう。
イーストマン・ジョンソン「主はわたしの羊飼い」には、台所の炉床でスツールに腰かけ、聖書を読んでいる黒人の姿が描かれています。この作品が描かれたのは、リンカーン大統領が奴隷解放宣言をしてからまもない頃のこと。社会的に虐げられていた人びともまた、書物から知恵や勇気を得ながら、自由と尊厳を獲得していったことを教えてくれる、感動的な作品です。
17世紀のヨーロッパで、農村地方を旅しながら本を売り歩いた行商人を描いた絵画も収められています。通俗的な廉価本や俗謡、政治的・宗教的な小冊子などを売り歩いていた行商人たちは、革命思想を広めるとして統治支配層から行動を制限されながらも、農村部における本の普及に大きな役割を果たしました。イタリアの山奥にある小さな村から、本を売り歩きつつ旅を重ねた人びとの歴史を丹念に発掘した、内田洋子さんの名著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)の内容が思い起こされてくる、やはり印象深い一作であります。

そして現代。書物は大量に生産され、大量に読み捨てられるようになりました。そんな時代の側面を鋭く切り取った、現代アーティストの作品にも、面白いものがいろいろとあります。
アンドレアス・グルスキーの「Amazon」は、アリゾナ州フェニックスにあるアマゾンの倉庫を撮影した大判の写真。画面を覆い尽くすようにひしめきあう「消費財」としての本。ぬいぐるみやサッカーボールなどの本以外の商品も、ところどころに混じったりしています。欲するものを自由に得ることができる、便利さと豊かさの象徴に見えると同時に、大量のモノが氾濫する現代の混沌と混乱を表しているようにも見えます。
リチャード・ウェントワースのインスタレーション作品「吊り天井」は、ギャラリーの天井からさまざまな種類の本を吊り下げて展示することで、書籍文化の自由と多様性を賞賛しています。一方、アリシア・マーティンのその名も「現代」という作品は、ギャラリーの壁の一角が決壊し、そこから大量の本が雪崩れ込んでいるさまを表現することで、膨大な量の情報が氾濫する文化のあり方に警鐘を鳴らします。
限られたごく一部の人しか本を読めなかった昔よりも、多様な書物に自由に接することができる今の時代が、遥かに恵まれていることは間違いありません。しかし、それは大量の書物と情報が氾濫することで、肝心なことが見えにくくなることと表裏一体でもあるということは、認識しておく必要があるのではないか・・・と、これらの作品を見て思いました。

書物の読者への問いかけや皮肉を込めた作品も、いくつか収録されています。
キャロル・ボヴェの「預言者の塔」は、自由、喜び、自己認識、愛、死などについて語った26編の詩を集めた、ハリール・ジブラーンの詩集『預言者』を68冊集め、それを塔のように重ねて作った作品です。詩に込められた叡智が、既成の制度や価値観に反発するヒッピーたちに好まれ、読まれたのですが、作者のボヴェがこれを古書店から集めたところ、かつての所有者がほぼ一様に、同じ箇所に下線を引いていたのだとか。資本主義社会での画一的な生き方を拒否していたはずの反体制文化が、実は画一的な考え方に支えられていたということが、痛烈な皮肉となって響いてきました。
塔といえばもう一点。さまざまな本が、やはり塔のように積み重ねられたフィル・ショウの作品には、なんと「無知」という題名がつけられています。たくさんの本を買うものの、それを積読にしておくばかりでたいして物事を知っているわけでもない、わたしのような人種に対する皮肉のように思えて、思わず首をすくめずにはいられませんでした。
さらに、シュールな作風で知られるルネ・マグリットの作品。本を読みながら、両方の眼を思いっきりむき出しにした、過剰なほど大袈裟な表情で驚いている人物の絵につけられた題名は「従順な読者」。これもまた、けっこう皮肉が効いているように思えました。

本書には、禁書や焚書といった、書物と文化の受難をテーマにした作品も収められています。
ベルリンのベーベル広場に作られた、ミハ・ウルマンの作品「図書館」。広場の石畳の一角にガラスの板が張られていて、その下には図書館の棚が設けられているのですが、そこには一冊の本も入っていません。ベーベル広場はかつて、ナチスによって “非ドイツ的” と決めつけられた2万冊におよぶ本が燃やされた場所。そこに作られたこの作品は、文化や人間を抹殺した暴虐と愚行を記憶にとどめるモニュメントとなっているのです。
同じくナチスによる焚書が行われたフリードリヒ広場で、2017年に制作されたマルタ・ミヌヒンの「本のパルテノン神殿」。さまざまな時代と地域で禁書となった10万冊もの本(アインシュタインやカフカ、トルストイ、マーク・トウェインの作品など)で、実物大のパルテノン神殿を再現した壮大な作品です。禁書や焚書となってその存在を封じられても、優れた書物はまた甦って、時代を越えて生き残っていくということがメッセージとともに感じられ、胸を打ちます。
冒頭の解説文で、本書の著者はこう語ります。

「多くの人の目に、焚書は野蛮な行為と映るだろう。つまるところ、書物は文明社会の文化、価値観、信念の象徴であり、書物の破壊は文化の一部の破壊といってよい。検閲と焚書の歴史から学べることがあるとすれば、いくら破壊し、消し去ろうとしても、書物は——人間の魂と同じく——生き残るということだ。デジタル技術は発展の一途をたどるが、紙の本は消えてなくならない。本がつくられているかぎり、アーティストたちはその社会的位置づけを模索し、作品で表現しつづけるだろう。そこにはわたしたち自身を映し出す鏡としての本がある」

これから先、書物を取り巻く状況はさらなる変容を迫られていくことは確かでしょう。しかし、「本を読む」という営み自体がなくなるとはわたしも思えませんし、優れた叡智や感動はこれからも、本というかたちを通して受け継がれていくことでしょう。
そしてアーティストたちもまた、さまざまな形で「本を読む」ということをテーマにした作品を世に送り出しつづけていくに違いありません。それが、これからとても楽しみであります。
ちょっと値は張りますが、本を愛する皆さまにぜひ、座右に置いていただけたらと願わずにはいられない、豊饒なアート作品集です。


【関連おススメ本】

『読む時間』
アンドレ・ケルテス著、渡辺滋人訳、創元社、2013年

『書物のある風景』とおなじ版元から出ている、やはり「読む」ことをテーマにした写真集。報道写真家として活躍したハンガリーのカメラマンが、パリやニューヨーク、日本などの街角で撮影した、本や雑誌、新聞を読んでいる人びとの姿を捉えた写真を一冊にまとめたものです。一心に「読む」ことに集中する人びとの姿はもちろん、それぞれの写真から伝わってくる街の息づかいも実に魅力的。こちらもぜひ、座右に置くことをおススメしたい一冊です。巻頭に置かれた谷川俊太郎さんの詩「読むこと」も素敵です。