読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『街は記憶するIII 平成28年熊本地震』 災害からの復興に「まち」が果たすべき役割が、雄弁に語られている証言集

2019-04-16 22:16:49 | 本のお噂

『街は記憶するIII 平成28年熊本地震』
上通商栄会編、上通商栄会(上通新書)、2018年


2度にわたる震度7の大きな揺れが熊本を襲った、3年前の熊本地震(熊本・大分地震)。熊本市中心部にある商店街・上通も、震度6という激しい揺れの直撃を受け、さまざまな形の被害や影響がもたらされました。上通商店街における被害の状況やその後の復興への歩みを、上通で商店や事業をされている人びとへの聞き書きによりまとめたのが、この『街は記憶するIII』です。
『街は記憶する』は、上通商店街の歴史と変遷、そして現在を、上通の商店主や事業主へのインタビューをもとに記録した新書判のシリーズ。熊本地震による被災と復興がテーマとなる第3巻の本書は、22軒の店舗、事業所の代表者に加え、上通エリアにある「手取天満宮」の宮司さんの証言が収められています。

老舗の店舗が多く、太平洋戦争の空襲の被害を免れた上通には、歴史ある古い建物が点在するエリアです。地震による激しい揺れは、それらの貴重な建物を容赦なく襲いました。
明治時代に建てられたという、眼鏡や補聴器のお店「熊本眼鏡院」の店舗兼住宅は、4月14の前震には持ちこたえたものの、16日の本震により2階の天井は崩落し、建物自体も傾いてしまいました。グループ補助金を利用して店舗を建て替えることにしたものの、補助金を使うと5年間は報告する義務があり、少なくとも5年間は商売を続けなければならないのだとか。店主は、
「八十の坂を越えて新しく家を建てるのは笑い話のようだった」「あと二十年ぐらい働けるといいのですが、娑婆はそうもいかんごたるですね」
と語ります。
おなじく明治時代建築の建物で営業する写真館「原田写真場」はスタジオこそ倒壊したものの、幸い建物自体は持ちこたえました。地震後は柱を補強した上で、新しく設計し直したスタジオを建設したとのこと。
江戸時代に創建された上通エリアの神社「手取天満宮」。前震で石灯籠が倒れたのに続き、本震では石鳥居も倒壊し、それが前の道路をふさぐ形となりました。防犯カメラの映像で確認すると、本震の発生する直前にタクシーが前の道路を通行していて、まさに危機一髪だったとか。
一方で、古い建物に耐震工事を施していたことで、被害が最小限にとどまった店舗もありました。築40年以上のビルで営業している「大谷楽器店」は、熊本地震の15年前に市内で発生した最大震度4の地震に直面した当時の会長が、「これで震度6や7の地震がきたらビルはどうなるのだろうか」と耐震対策の必要性を説き、柱を強化して壁を薄くする耐震工事を進めました。そのため壁にヒビは入ったものの、建物の躯体には何の問題もなかったのだとか。耐震対策の大切さを教えてくれるエピソードでした。

上通にもさまざまな被害と影響をもたらした熊本地震。しかし、そこから得られたこともありました。
学生服の企画・販売を手がける「学生服のタケモト」では、地震の後片付け作業を1週間ほど、従業員みんなで協力してやったこともあり、会社の中の風通しやまとまりが良くなったといいます。地震後に倒産したり給料カットしたりする会社があった中で、社員や社員の家族を不安に感じさせなかったことが理由だったのでは、とお店の経営者は語ります。
店舗の壁にヒビが入り、工場にも大きな被害を受けたという「田中屋パン店」は、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを通して、全国の皆さんから応援をいただいたといいます。地震前にお店に立ち寄った有名ロックグループのメンバーは、地震後にも何回かお店を訪れてくれた上、それを知ったグループのファンが、青森や福島といった遠方からも来てくれたとか。お店の女性は、全国のたくさんの人に支援していただいたことで、人のつながりを強く感じた、と語ります。

本書には、上通にある3軒の老舗書店の被災証言も収められております。
3軒の中で一番ダメージが大きかったのが、大正時代創業の「金龍堂まるぶん店」でした。本震により店の壁や天井が破れ、15万冊の本のほとんどが落下。その上、倒れた屋上の貯水タンクの水が店内に漏れたため、濡れてしまった本もあったとか。それを目にした店長は「これは二度と営業できないだろうな」と思ったそうです。店舗に修理と耐震対策を施し、一度解雇した従業員のほとんどを再雇用した上で再オープンしたのは半年後。上通では一番遅い再オープンでした。
休業を余儀なくされていた期間、閉めていたシャッターに当面の営業休止を伝える2枚の紙を貼ったところ、その余白には百通を越える激励のコメントが書き込まれました。さらに、自分で激励のメッセージやイラストを書いて貼ってくれる人も。
わたしも、地震のあった年の秋に熊本を訪れた際、実際にそれらのメッセージを目にしました。見ているうちに、往来の真ん中にもかかわらず目頭が熱くなるのを抑えきれなかったものでした。
(下に掲げるのが、そのときに撮った写真であります。ちなみにカッパは、まるぶん店のシンボルともなっている店頭のカッパ像を指します)


地震の直後は、「本は食べ物や服とかと違って生活必需品ではないので、震災で大変なときに本屋なんて必要とされないのではないか」と思った店長でしたが、多くの激励に接したことで、街に本屋が必要なことを改めて思ったといいます。そして、企業理念である「本屋の力で街を明るくする」を頑張って実践することで、上通の街を明るくしていきたいとの決意を語っておられるのを読むと、またしても胸が熱くなってくる思いがいたしました(実は本書も、昨年熊本を訪れたおりに「まるぶん店」さんで購入した一冊であります)。

明治時代創業とこちらも歴史のある「長崎書店」では、地震後に地域の子どもたちが避難生活を送っているのを知ったスタッフが、「避難所の小学校に絵本や紙芝居の読み聞かせに行ってもいいですか。何か役に立ちたいので」と申し出て、絵本の担当者が読み聞かせに行ったりしたのだとか。店長は、「スタッフにそういう意識が芽生え、自発的に行動に移してくれたことがとてもうれしく、頼もしかった」と語ります。
震災後に増えた家屋解体で本を売りにくる人が多くなり、一年で五年分ぐらいの本を仕入れたという、古書店の「舒文堂(じょぶんどう)河島書店」。その経営者は、上通の先代たちが常に危機感を共有して、街の発展を考えていたことを思い起こしつつ、これからの上通の発展を考える上でも危機感の共有が必要、と訴えます。そのために、震災で被害を受けたハード面の復旧に加え、人づくり、意識づくりのソフト面の復興が、街の発展には一番大事であると力説します。

舒文堂の経営者をはじめとして、本書には上通の未来を見据えた、意欲的な提言や決意も散見されます。
熊本の名物グルメのひとつ「太平燕」(たいぴーえん)でも知られる中国料理店「紅蘭亭」の代表は、飲食業は震災前から課題が山積みであったということを述べたうえで、「ハード面とソフト面の両面でリニューアルする宿題の提出が、震災によって早めになった感じがしています」と語ります。そして、
「四川料理とか広東、北京、フレンチやイタリアンなどさまざまなスタイルから学び、日本や熊本の食文化をもう一度とらえ直して、汎アジア的な視点を持って新しい流れを創りだしていきたい」
との展望を述べています。
また、地震で大きなダメージを受けた自社ビルを解体した、テナントビル業「オモキ屋」の代表は、更地となったビルの跡地を利用して、熊本で生まれる価値がある物に触れたり食べたりできる、熊本の魅力を凝縮したイベントや、若手アーティストの製作活動やライブパフォーマンスをやったりする文化発信ができる広場をつくりたい、との構想を語っています。実現したら、さぞかし面白い場所となりそうな気がいたします。

震災後は郊外店の休業が多かったこともあり、上通は多くの人で賑わったといいます。やはり明治創業の老舗である「大橋時計店」の社長は、「被災された方々は、非日常的な場所に行きたいという気持ちがあったのだと思います」と分析しつつ、そういうときに多くの店が営業して、来てくれた人たちの期待に応えていた、上通商店街の存在意義を再確認しつつ、次のように締めくくります。

「上通の街は以前にも増して活力と優しさに包まれた雰囲気が漂っていました。これからも、上通に来る人たちに元気になってもらえるように、まず自分たちが元気に頑張ろうという気持ちでやっていけたらいいですね」

地震によってさまざまな被害や影響を受け、困難に直面しながらも、やってくる人たちの期待に応え続けた熊本・上通商店街の方々。その姿勢は、災害からの復興にあたって、商店街を含めた「まち」が果たすべき役割を、雄弁に語っているように感じました。
災害に遭って打ちひしがれている多くの人たちに、活力と安心感、そして癒しを与える場として機能する「まち」の役割。その価値は、郊外型ショッピングモールやネット通販が広まっていく中にあっても、失われるようなことはないのではないか・・・わたしはそう感じました。

わたくしごとですが、5月のはじめに1年ぶりとなる熊本への旅行に出かける予定です。
再建が進みつつある熊本城の天守閣を見たり、熊本の美味しいものを味わったりするのも楽しみなのですが、上通をゆっくりと散策して街の活気に触れるのも、また大いに楽しみであります。