「だれでもイエスを神の子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」(Ⅰヨハネ4・15)
"We live in union with God and God lives in union with us"
神である聖霊が私たちの霊に内住することは、私たちが神の至聖所に活きることだという意味です。
被造物である相対的な人間が、超越と絶対の創造主を理解することは不可能なことですが、聖霊によって神の内側に活きることによって可能にされます。光によって光を見、神によって神を知る ということです。
これは日常生活においては、神が私たちの中で活きられるということです。私が主格である限り、人間レベルのことしか知りえず、その体験も限定されていますが、神が主格となって働かれる時、私たちは、神と共に永遠のいのちを活きそのレベルでの生活を体験します。
どれだけ相手の立場に立って考え行動できるかで人生が決まるとカ-ネギ-は述べています。私たちにとって絶対的な存在は創造主であり、歴史と自分の主であるこのお方を理解することが最重要な課題です。
そのために神が私たちの内側から御自身を知るという方法をとられました。なぜなら人間の限られた知解能力では、その範囲の理解しかできません。そこで認識されるのは人間の自己投影の存在、人間によって想定された偶像です。
超越者を理解するには、超越の側からの開示[啓示]以外にないのです。創造主自らが歴史の中に受肉され、
御自身の霊を私たちのうちに住まわせ、共に御自身との交わりを与え、共に活きたもうことによって御自身を知らせてくださいます。
アウグスチヌスは「誤りを露わにするには、その誤りを導きだした諸前提からそれを解釈する方法では不可能で、ただ真理であると信じられる諸前提から解釈することによってのみ可能である。」と語りました。
「パラダイム」とかポランニ-が説いた「暗黙知」という概念を、仮にこの前提と言い換えると、人間はそれぞれの霊的背景を前提条件として思考して、世界と自己そして神を解釈しているということではないでしょうか。
自分の持つ物指しの範囲でしか知解できないということです。
生物学的視点、天使的レベルの宗教的知識それぞれが、絶対者とこの世界を読み解きます。
しかし、ほんとうに永遠者を知るためには、永遠の聖い霊ご自身が必要です。創造主への私たちの断絶と無知を解決されたのは主の側からの相互内住の愛であります。
今日は徳島は雨です。
キャロライン・ケネディ大使は東日本被災地を訪問されていると報道されています。
http://www.youtube.com/watch?v=0ewOOb--bSs
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