ヨハネ福音書1章1-18節
福音がユダヤから広いギリシャ文明世界へ伝えられてゆく過程で、ヨハネはロゴスというヘレニズムで最高の言葉を使用しました。相手の立場に立って語るためだったとおもいます。
しかし、ヘブライ、ユダヤでは、言葉は創造の力であり、人格でありました。創世記1章にすでに、父なる創造主と、言葉である御子と御霊なる神が示されています。「光あれ」という言葉からすべてが創造されたのです。
神は霊でありますが霊も息も、同じル-アッハ(カ)です。
言葉は、強い息によって発せられます。特に有気音カ行、タ行、ハ行、パ行です。
「カッとなる」「タ-とは走る」「パッと咲く」などの擬音語の際も使われます。
つまり、創造において、父の思いと言葉である御子と聖霊の力は一体だということです。
永遠に輝くいのちに満ちた創造主は太陽を作られたのですが、光と共通した性質があります。
太陽の光は粒子或いは波長(エネルギ-)となって地球に届き、地球生命の一部を形成します。
神はご自身を注いでくださって、私たちを神のいのちに生まれさせ、永遠のいのちと交わりに引き上げてくださりました。
御子が人になられ、十字架の贖いと復活によって、聖霊を住まわせてくださることによって実現されたのです。
14節の「住まわれた」の言語は「幕屋を張られた」という意味です。
モ-セによって建てられた幕屋の至聖所に神が宿り、栄光が現われました。
7つの奇跡をヨハネは「しるし」と表現しますが「現われ」という意味でもあります。
イエス様は聖霊を迎えて、言葉を使用されました。
言葉を通して、電気が電線を通して伝わるように、霊の力が流れました。聖霊が働かれたのです。
神殿(幕屋)は、神と人が出会い、交わり、結ばれる所です。
ヨハネ福音書は「幕屋の構造と祭儀」に沿って描かれます。
人間は神を宿す尊厳性を持つことも示されています。
真の幕屋になるとは真の人間性を回復することで、聖霊を宿すことによって実現します。
ここに神がご自身を与えられ、罪びとを滅びから救って永遠の神のいのちを与える大いなる奇跡が語られています、
創造主が私たちのうちに住まわれることによって実現された偉大な恵みです。
神聖歌144