創造

創造主とセルフイメージの世界

被造物を超えたいのち

2016-01-28 09:36:58 | ゴスペル

永遠のいのち(ゾ-エー)とは創造主のいのちそのもです。創り主であり、Spirit(霊)である神のいのちがどのようにして私たちに伝授、伝達されたのか、それが福音書に記されています。

教会ではパン裂きのサクラメント(聖餐式)が行われますが、主の裂かれた体の一部をいただくというサクラメント(象徴的儀式)です。

御子イエスご自身が、神から生まれた神であり、アダムの体の一部からイヴが生まれたように、創造主はご自身を永遠の昔から父と子と聖霊の、それぞれ異なる位格をもたれる分霊として、その交わりの中に存在されるのです。

2016年前に御子が人の体をとられてこの世に来られたのは、神である聖霊を自ら受けられて、十字架と復活を通して、その創造霊を私たちに住まわせるためでした。

聖霊は、助け主とも慰め主(カウンセラ-)とも訳されています。言語のパラクレ-トスは近くで呼ぶ、語るという意味があるからです。いのちの本源である神が聖霊として、私たちの霊に内住されることによって神のいのちの一部を分与されるのです。このようにして神は私たちの創り主であることを超えて、救い主、贖い主、さらに内住の慰め主であることを明らかにされます。また「父と子」といういのちでつながります。

神から造られたという一般的な恵みを超えて、神から生まれた神の子とされます。聖霊を持つ者、神を持つ者という次元に引き上げられます。そこは死の力をもつサタンよりも高く、もっとも神ご自身に近い至聖所であり、復活の世界です。

霊が解放されよみがえると、やがて体も栄光の体に復活されることが、主ご自身によって確証されました。

真のいのちと力は被造物からでなく、創造主から与えられます。

私自身やこの世が主であるなら、私たちは真の主を除外し、いのちの根源を失います。自分が被造物であることを認めてへりくだり、創造主を主として迎えるときに、永遠のパ-トナ-であられる主はあらゆることを祝福してくださいます。

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