ロンドン日本語改革派教会(ロンドンJRC)

英国ロンドンの日本人キリスト教会です。正統プロテスタント信仰である改革派(リフォームド)の信仰に立っています。

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4月・5月予定

2016年03月24日 | 日記

3日()日本語礼拝 午後2時半〜
    (牧師は6週間、日本デピュテーションで不在です) 

10日()日本語礼拝  

17日()日本語礼拝 LCPC英語礼拝と合同ランチ:正午

24日()日本語礼拝  

5/1 ()日本語礼拝  

8日()日本語礼拝  

13日(金)ダリッチ集会

15日()ペンテコステ・日本語礼拝 聖餐有り

16日(月)セントマーガレッツ集会

19日(木)祈祷会 午前11時〜(於:URC)

22日()日本語礼拝

24日(火)セヴンオークス集会

27日(金)ブライトン集会

29日()日本語礼拝
     (牧師はオランダJRC出張)

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〜 3月(25日まで)回顧 〜

訪英する人を空港に迎えに行く朝、騎馬隊の馬の移動にぶつかって、乗っていたバスは2キロ以上ノロノロ運転。

セヴンオークス集会は、いつもの会主催者Hさん宅を離れて、小さなヴィレッジにある求道者Yさんの家で行われました。

聖書の学びを終え、ランチの用意。

ダリッチ集会のあるDさん宅の近く、ホーニマン博物館内の水仙やクロッカスが咲く庭。

Dさん宅にも水仙が。その↓下は聖書の学び後のランチ。


春遠からじ。久しぶりに晴れた日曜。

 ↓教会隣、ポストマン公園

セントマーガレッツ集会のあるGさん宅近くのリッチモンド橋。その↓下は聖書の学びの始まる前の部屋と、お家前のモクレンの花木。

3月のオランダ・アムステルダム

この日は受難週の主日でした。

受難週の主日は、英語ではパームサンデー(棕梠の日曜)と呼ばれます。新約聖書の4つの福音書は、金曜に十字架に架かられるその週の主イエスのエルサレム入城から十字架を含む復活の主日までの一週間を詳しく描いています。

受難週とそれに続く復活日(イースター)の出来事を描いた聖書記事は、罪から私たちを贖(あがな)ってくださった主イエス・キリストの、実際に歴史の中で起こった記録であり、キリストを主と受け入れた弟子たちの証言です。

十字架と復活の主の恵みを、キリスト者は一年中覚えているので、どの日が特別に大切ということではありませんが、使徒パウロがローマの信徒への手紙(14.5-6)で言っている通りだと信じます。:

「5 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。6 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。」
(新共同訳・新約)ローマの信徒への手紙 14章5-6節

さて、今年の3月20日(パームサンデー)は忘れがたい日となりました。

オランダJRCの礼拝を終えると同時(16時頃)に、携帯電話にイージージェット(航空会社)からテキストメールが入りました。

同夜20:15の私の乗るはずだった飛行機が、フランスの空港労組ストライキの影響で、取り止め(キャンセル)になったという連絡でした。

どうしてフランスの空港労組ストライキが、オランダの空港の離着陸便に関係するのかわかりませんが、おそらくパリからアムステルダムに来る予定の飛行機が飛ばなくなったりして、その影響で私がアムステルダムからロンドンに帰る飛行機機体そのものがない、というようなことだと思います。

いずれにしても、空港に行ってみないとわからないこともあり、礼拝後のお茶の交わりを失礼して、アムステルダム空港に向かいました。

空港に着くと、アムステルダム空港内のイージージェットの旅客サービスデスク前は、長蛇の列!(↑上の写真はその列の様子)

夕方5時半から3時間並んで、イージージェットの旅客サービス担当職員と話せましたが、要するに‘洩襪離侫薀ぅ箸呂覆ぁ↓3日後以降のフライトは手配できるがそれまでのフライトはほぼ満席でここでは手配できない、今晩の宿泊はここでは取れない(宿泊場所と費用は自分で、ということ)、そ蒜馮颪鬟ぁ璽検璽献Д奪搬Δ棒禅瓩垢訃豺腓魯ぅ鵐拭璽優奪箸瞭閏劵ΕД屮汽ぅ箸ら後日に本人が行うこと、ということでした。

途方に暮れたので、いいアイデアはないかとオランダJRCのSさん(当日礼拝に出席されたオランダJRC世話人のお一人)に電話しましたが、Sさんもどうすればいいのか思いつかないということでした。

私はとりあえずホテルがたくさんあるアムステルダム中央駅に戻りました。(空港駅から中央駅までは所要15分ほどです)その時点で夜9時ごろでした。

駅前周辺のホテルを当たりましたが、どこも一泊150ユーロ(2万円弱)以上で、50〜100ユーロぐらいを想定していた私は、またまた途方に暮れてしまいました。

レッドゾーン(赤線地帯)近く(駅の南東)に小さな安宿が密集していますが、そこは避けたかったので、駅前大通りの西側(駅の南西)に足を向けました。

夜10時前の人影の少ない通りで、一人の男が英語で「ホテルを探しているのか」と声をかけて来ました。

最初は用心していたのですが、その人は、目の前に見える通りを横切った先の小さな“ジミーホテル”を指し、そこで以前働いていた、と言うのです。
身なりは普通で、訛りのある英語を話す人でした。
イラク人であることは後でわかりました。

私は心身ともに疲れ切っていたので、たとえこの男がホテル前での客引きであってもここでいいか、と思いその男に従いました。

ホテル受付で男は、親しげに英語でレセプションの人(パキスタン人)と話していました。
ホテルはパキスタン人が家族で営むホテルでした。

トイレシャワー付シングルで90ユーロ(一万円強)でしたので、そこに決めました。
現金で支払いを終えると、
男がホテル側に「客の仲介料として2,3ユーロでもいいから欲しい」と要求しました。お金を乞うたのは、私にではなくホテル側にでした。

さらに、男はレセプショニストに、自分はイラク人で所持金がなくホテルに泊まることはできないこと、せめてわずかでもお金を仲介料としていただきたい、と切羽詰まった様子で訴えていました。

外は雨、この男が可哀想になって、5ユーロ札(600円ぐらい)を差し上げました。

男は私に礼の言葉を言いましたが、それでもまだホテル側に対しては食い下がっていました。

私はとりあえず部屋に
行って上着を掛けて荷物を置くと、ついさっきまで途方に暮れていたのに、とりあえず暖かい部屋に夜を過ごすことが出来るようになった今を神様に感謝しました。
と同時に、あの男が今晩も雨降る寒い外で過ごすのかと思うと、申し訳なく思えて、もう一度レセプションに戻りました。

もう、すでに男の姿はなく…。
パキスタン人のレセプショニストがお金を握っている私に気付き、「そこまでする必要はありませんよ」、と言いました。

一旦また部屋に戻りましたが、あの少し気恥ずかしそうな男の様子が思い出されて、身の安全と安らぎ確保が第一の自分の方がみじめだと感じられ、もう一度上着を着て外に飛び出しました。
しかし、男はもうその周辺には居ませんでした。

翌日は、ホテルの簡単な朝食をとってからチェックアウトし、空港に行くとすでにまた長蛇の列!
しかし、とりあえず並びました。

デスクで「昨日の情報と今日では状況が違う」と言われ、〕縞5.50のロンドン・ガトウィック空港行きのフライトにわずかの空席があること、△修寮覆鬚海海任漏諒櫃任ないので、そのチェックインの列(フライトの2時間前)に並ぶこと、い靴しその列に並んでも座席確保の保証はない、という情報を得ました。

その後、アムステルダムの空港と直結している空港駅構内で過ごしましたが、することもなく、もう一度、デスクの長い列に並びなおし、今度は6時10分前のフライトの3時間前だったので、保証はないがEチケットにデスクの人の手書きの保証なき保証(?)のしるしを書いてもらいました。

5時50分の2時間前より少し早く、チェックインカウンターの列に並び、ようやく乗機パス(ボーディングパス)を手にしました!

空港内に入りましたが、その一時間後に、予定フライトがさらに一時間遅れると表示板に出ましたが、2日にわたり通算13時間ほど空港で過ごした私にとって、たった一時間の遅れなど何でもありません。

19:20、ロンドン・ガトウィック空港着、電車とバスを乗り継いで、夜10時に家に着きました。
安全が守られ家に着けたことをお祈りしました。

12時間寝たあとの翌日、イージージェットのウェブサイトで確認したところ、二つの理由で宿泊料金の返金の条件には合わないとわかりました。:
〆2鵑離侫薀ぅ箸キャンセルされた理由がイージージェット社の内部の事情ではないこと。
∋笋離侫薀ぅ箸琶欷韻貌っていなかったこと。(←毎回の飛行で節約のため保険には入っていません)

ベルギー・ブリュッセルの街と空港で31人が死亡200人以上が負傷したテロが起こったのは、私が家に着いてから9時間後のことでした。

ちなみに翌日のBBCニュースでは、トップニュースは当然ベルギーのテロのことでしたが、フランス空港労組ストライキとその影響で遅延・キャンセルのフライトがあったことも続いて報道されました。:

3/20はロンドンと近郊の5つの飛行場で、欧州への50フライトそして欧州から着く予定だった32フライト、合計82フライトがキャンセルされました。影響は21日と22日にも及ぶとのことで、数千人の旅客が巻き込まれたということでした。

↑ まだ座席確保されていないときの小さな安らぎ(アムス空港内)


 

 

 

 

 


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3月予定

2016年03月01日 | 日記

3日(木) 祈祷会(Catford URC)

6日() 日本語礼拝、聖餐

8日(火) セブンオークス集会

11日(金) ダリッチ集会

13日() 日本語礼拝

14日(月) セントマーガレッツ集会

17日(木) 祈祷会

18日(金) イーストボーン集会

20日() [受難週主日]:日本語礼拝;牧師オランダ出張

25日(金) [受苦日]

27日() [復活日]:イースター日本語礼拝
      サマータイム(1時間早まります)開始

29日(火) 牧師:日本デピュテーションのため離英

30日(水) 牧師:関西国際空港着

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〜2月をふりかえって〜

春節を祝う中華街

 

ダリッチ集会

ブライトンの町とザ・ロイヤル・パヴィリオン

ブライトン&イーストボーン集会

↓ アムステルダム中央駅と日本語礼拝のある教会前のスパイ広場

 

↓ 12月に日本領事館で申請した「在外選挙人証」が2月下旬にやっと届きました。

 これで、7月の参議院選挙にロンドンから投票できます

日本国外に住み日本に国籍がある者が、6年前から外地で国政選挙に参加できるようになりました。ロンドンにいる人たちも欧州にいる人たちも、日本国民として、また信仰者としての当然の義務を果たしましょう。


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2月予定

2016年02月01日 | 日記

グリニッチ公園
2016年1月1日…と言いたいところですが、あいにく元日は曇り時々小雨が降ったので、天気のいい12月31日の家の周りの様子をご紹介します。

↑ グリニッチ・(古い)プラネタリウム
↓ グリニッチ天文台

↓ 天文台の丘から:カナリーウォーフ辺りの摩天楼の眺望

↓ 私の家がある集合住宅の入り口:元・砲撃軍の学舎

↓ 家から0.5マイル(約800メートル)先のウーリッチ商店街

↓ ウーリッチにあるグリニッチ区役所
 ※石の彫刻が立派なこの玄関が区役所の裏側の入口。
 英国の威信をかけた砲撃軍隊の町にどれだけ力を注いで来たかが分かります。
 サッカーの名門チームの「アーセナル(意味:火薬庫)」は、もともとウーリッチで誕生しました。しかし、現在のサッカーチーム・「アーセナル」の本拠地はロンドン北に移転しています。

↓ 新年2週目の日曜、礼拝に行く途中。ミレニアム橋の南岸からのセント・ポール寺院。

↓ 礼拝堂の正面のステンドグラスの下の壁には、「主の祈り」・「十戒」・「使徒信条」が金文字で書かれています。ここでの「十戒」は、“テン・コマンドメンツ(十戒)”ではなく、“出エジプト記20章”と題されています。

↓ 家の前の私道から見たある日の夕焼け

↓ 霧雨に煙るアムステルダム運河沿い

↓ アムステルダム:教会そばの小路の喫茶店(いつも礼拝前に過ごす)の目の前の小さなレストラン(1627年建築)。

 1627年、日本では徳川家光が江戸幕府第三代将軍になって3年目で、長崎の出島に平戸オランダ商館がありました。その平戸オランダ商館をめぐって当時の長崎代官とオランダ行政長官との間に起こる摩擦、いわゆるタイオワン事件は、翌年1628年のことでした。

12月第二週、オランダのJ姉が第二子を出産されました。おめでとうございます。

1月は、昨秋に久しぶりにロンドンに戻られた方がまた帰国されました。1月最後の礼拝には、短期の語学学生の方とお仕事でロンドンに来られた方が来会されました。

例年よりも温かい1月で、2つの集会もオランダも雨でした。日本は記録的な寒さと積雪だそうです。

〜2月の予定〜

4日(木)祈祷会

7日()日本語礼拝、聖餐

9日(火)セヴンオークス集会

12日(金)ダリッチ集会

14日()日本語礼拝

18日(木)祈祷会

19日(金)ブライトン集会

21日()日本語礼拝

28日()日本語礼拝;牧師はオランダ日本語礼拝に出張


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年末の様子&1月の予定訂正

2015年12月30日 | 日記

23日、この日は日本では天皇誕生日で国民休日のはず、と思いを少しだけ日本に馳せながら、久しぶりの陽光に促されて、街に散歩に出かけました。

24日夕方から26、27日まで、交通機関が止まるので、−特に25日丸一日まったくすべての電車・バス・地下鉄がストップします−、食料の買い出しのためでもあります。

家を出たのは午後1時半でしたが、3時を過ぎると暮れ始めて、4時には真っ暗でした。

テムズ川のチャリングクロス橋を渡るときに気づいたのですが、月はほぼ満月に近いなぁ、と。

調べると、今年は25日が満月で、クリスマス当日に満月になるのは、38年ぶりとのことでした!
“だから、なんだ?”と言ってしまえばそれまでですが…。

しかし、今年の25日のロンドンはほぼ一日曇りで、夜には雨も降りました。
日本ではきれいな満月が見えたでしょうか。

24日は今年最後の私たちの教会の祈祷会が、キャットフォードのURCの教会でありました。
この月と一年を振り返って神様に感謝し、また現状の世界と身の回りのことのために祈りました。

往復のバスから見える街は、いつもより多い人混みでした。

25日は午前に、エリザベス女王の国民に向けた恒例のクリスマスの挨拶がテレビ・ラジオで流れました。
この一年を moments of darkness (暗闇のとき)とまとめられ、ヨハネ福音書1章5節「光は暗闇の中で輝いている」から、必ず世界は光が暗闇を凌駕する、と言われました。

女王は英国国教会の長でもあり、クリスマスの毎年の挨拶で、その年を象徴する言葉と聖書を引用されるので、さすがにこの国はキリスト教の国だと覚えます。

以下の写真は、最近のメディアからのもの。
9月初めの欧州に押し寄せたシリア難民は、その前にすでに周辺諸国に流出していました。
↓の4枚は、6月末にトルコ国境に向かうシリア難民が撮影されています。:

24日のクリスマス・イヴ、25日のクリスマス・ディ、26日のボクシング・ディは、あっと言う間に過ぎて27日(日)は今年の最後の礼拝でした。

今年の年の瀬は、気温も二ケタで温かいです。

皆さま、一年間、お祈りに覚えて戴き感謝いたします。
善い年をお迎えください。

来る新しい年、世界が平和でありますように。

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なお、一月の予定は以下の通り:

3日()日本語新年礼拝、聖餐あり

7日(木)新年祈祷会、年度報告会

10日()日本語礼拝

17日()日本語礼拝

18日(月)セントマーガレッツ集会

21日(木)祈祷会⇒ 28日(木)に変更

24日()日本語礼拝;牧師はオランダ出張(日帰り)

27日(水)イーストボーン集会⇒ 29日(金)に変更

31日()日本語礼拝 ←書き忘れていました!

 

 

 


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12月三分の二報告

2015年12月22日 | 日記

朝7時半のロンドンシティ空港の朝焼け。土曜からアムステルダムに行くのは久しぶり。

空港の待合所の隅で、イスラムの女性たちのグループが、一斉にカーバ神殿方向(?)に向かってお祈りを始めた。パリでのISによる事件が起こってまだ3週間なので、周囲の人々は何か生々しい見てはならないことに接した衝撃と緊張があったよう。

いつも聖書の学び会のためにお家を提供してくださるSさんのお宅で。この日は過去最高の10人が集まりました。

15年ぶりにアンネ・フランクの家に行きました。この銅像の台座の裏には、ナチスの鍵十字の落書きが…

7歳くらいの女の子が、アンネの写真の横で一緒に撮ってほしいと、お母さんにおねだりしているところ。70年の時を超えて、アンネの新しい友だちができました。

アドヴェント第三週主日、セント・ポール寺院前で、市井のアマチュア音楽家たちの吹奏楽団。吹奏楽器だけの柔らかい音で、クリスマスソングのメドレーが奏でられていました。

寺院のすぐ隣にはモダンな広場があって、そこにシンプルな三本のクリスマスツリーが飾られました。

⇓下は、ダリッチ・アート・ギャラリーの内庭.

ダリッチ集会のクリスマス会のランチ.

Dさんの夫君の手作りケーキ.

アドヴェント第四週主日の朝、道路工事でバスが走っていないルートを、サザーク駅からテムズ川を、右にブラックフライヤー駅とその向こうのセント・ポール寺院を見ながら渡って、教会まで歩くこと約20分。

こんな狭い敷地のパブが!

クリスマス日本語礼拝には普段来られない方々3人も加わり、クリスマスを覚えて礼拝と祝会のときを持ちました。礼拝を終えて、雨も上がり、日も暮れて、ライトに照らされるセント・ポール寺院の中庭を通ってバス停へ。


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