ロンドン日本語改革派教会(ロンドンJRC)

英国ロンドンの日本人キリスト教会です。正統プロテスタント信仰である改革派(リフォームド)の信仰に立っています。

6月予定

2016年06月03日 | 日記

6月2日(木)祈祷会(United Reformed Ch. in Catford)

5日()日本語礼拝(St. Botolph Ch. in the City)聖餐     

10日(金)ダリッチ集会

12日()日本語礼拝
 この日、地下鉄労組のストが予定されています。前日に、各地下鉄駅の交通情報をご参照ください。ストがない場合でも、ロンドン地下鉄は、土・日(土・日でなくとも)に(一部路線)不通になることがよくあります。

16日(木)祈祷会

19日()日本語礼拝

26日()日本語礼拝 / 牧師は出張:オランダJRC礼拝奉仕

28日(火)セヴンオークス集会

30日(木)祈祷会

***6週間の日本デピュテーションと5月のロンドンの様子***

4/5 満開の桜(四日市市富田・十四川沿い)

小野静雄先生と、建って間もない南仏風の多治見教会玄関前で。
(教会を射照らす午後の陽光も地中海風?ラベンダーも隅に写ってます。)

突然訪れたのに、主日の前日にも拘わらず、ご家族との晩餐にも入れてくださった上に宿もご用意くださり、CS礼拝の御用もさせていただき、東濃のホスピタリティに感謝いたします。

高蔵寺教会特別伝道集会にて

尾張旭教会牧師就職式

しばらく無牧だった尾張旭教会に久保田証一牧師が着任されました。
高蔵寺教会での主日礼拝説教奉仕を終えて、高蔵寺教会の皆さんとお祝いに参列しました。

ちなみに久保田先生は、青年時代からの友人J.I.の友人です。

 西武池袋線・小手指駅から伸びる道路脇の花水木の並木。32年前に会社員をしていたときに、毎日ほとんど終電での帰路、桃色の花びらを透かして射す月光に、疲れを癒されたことが思い出されました。

信楽キリスト教会のユキ&スティーブン先生が毎月持たれている「帰国者の分かち合いの会」。

スティーブン先生は、少し体調を崩されているのでお祈りします。

それから、写真は撮りませんでしたが、この会のあと、引退教師の鈴木英昭先生ご夫妻とお会いしました。10年ぶりくらいでしょうか。
鈴木先生は、前の名古屋教会牧師で、その前は高松教会(香川県)の主任牧師でした。
私が1990年に神戸改革派神学校を卒業して、最初に赴任したのが、高松教会協力牧師としての同教会所属坂出伝道所(現在は四国中会所属飯山坂出伝道所)でした。

鈴木先生は、私の父のような存在でもあり、多くのことを教えてくださいました。2003年に英国に向けて日本を発つ前の準備の時にも、また渡英してから一時帰国する度に、有益なご助言をくださいました。

短い再会時間でしたが、一言一言が学ぶことの多い含蓄のある深い愛に満ちた言葉をかけてくださり、また、命ある限り主に仕える牧師の祈りとはこうあるべき、と思えるような祈りをお別れのときにしていただき、大変感動しました。

写真はありませんが、瞼に焼き付けたご夫妻の様子を思い出しては、励まされています。

今回もデピュテーションの巡回(南は高松、北は仙台の間を)の旅が多いので、仲の良い高校時代の同級生たちにはこっそり黙って帰国したのに、高松から帰った夕、家近くのJR駅前で同級生の一人にばったり遇って、身近な皆に知れ渡ることになり、私を肴に集まってくれました。
”水臭い”私を赦し温かく迎えて、キリスト教会の牧師になった私を今も10代の頃と変わらず接してくれて、嬉しかったです。

↑と↓ 両方とも中津川教会

美しい玄関と玄関前の新緑と白い花のついた満天星ツツジ(どうだんつつじ)

※今回のブログの日本での写真のほとんどは戴いたものです。奉仕はほとんど礼拝説教・祈祷会奨励なので、自分で撮るのは憚られたため。

5/3 日本キリスト改革派教会創立70周年記念信徒大会
(仙台近郊・東北学院中等高等学校の礼拝堂にて、約900名参加)

その仙台で会った東京在住の友人J.I.夫妻

↑と↓ 日本滞在最後の奉仕は春日井教会。
昼食時、教会有志のフラダンスをご披露くださいました。

今回は、ほとんど大阪の両親宅を基点にして日本デピュテーションを行いました。
中部の教会の奉仕が多かったので、家の最寄り駅(近鉄)と近鉄名古屋間を6往復しました。

大阪から近鉄を利用すると名古屋までに奈良県と三重県を通ります。
↑の風景は、奈良県・長谷寺駅付近の竹林のある田園の谷あいの景色。
家あたりから出る煙は、火事ではありません。おそらく、家事や農作業で薪を焚いていると思われます。悠久の万葉の風情です。これにも疲れを癒されました。

ダリッチ公園

42日ぶりに戻ったロンドンは5月晴れが続く。
(「五月晴れ(さつきばれ)は6月の梅雨の合間でる晴れの空の様子で、俳句では6月の季語。「5月晴れ(ごがつばれ)」は実際の5月の晴れの空の様子らしいです。知らなかったなぁ!)

ペンテコステ(今年は5/15)の教会付近(バービカンセンター内)

セント・マーガレッツのGさん宅最寄りのバス停の前に
薄紫の藤の花に覆われたパブ

セント・ボトルフ教会(いつも日本語礼拝を行っている教会)の庭にある「ハンカチの木」。英語では「白鳩の木(Dove Tree)」。原産は中国で宣教師がヨーロッパに持ち帰って以来世界に広まったようです。

セヴンオークス集会の前にお茶。
私を撮ってくださるKさんを私が撮ったもの↑ と、Kさんが撮ってくださった私 ↓

 


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4月・5月予定

2016年03月24日 | 日記

3日()日本語礼拝 午後2時半~
    (牧師は6週間、日本デピュテーションで不在です) 

10日()日本語礼拝  

17日()日本語礼拝 LCPC英語礼拝と合同ランチ:正午

24日()日本語礼拝  

5/1 ()日本語礼拝  

8日()日本語礼拝  

13日(金)ダリッチ集会

15日()ペンテコステ・日本語礼拝 聖餐有り

16日(月)セントマーガレッツ集会

19日(木)祈祷会 午前11時~(於:URC)

22日()日本語礼拝

24日(火)セヴンオークス集会

27日(金)ブライトン集会

29日()日本語礼拝
     (牧師はオランダJRC出張)

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~ 3月(25日まで)回顧 ~

訪英する人を空港に迎えに行く朝、騎馬隊の馬の移動にぶつかって、乗っていたバスは2キロ以上ノロノロ運転。

セヴンオークス集会は、いつもの会主催者Hさん宅を離れて、小さなヴィレッジにある求道者Yさんの家で行われました。

聖書の学びを終え、ランチの用意。

ダリッチ集会のあるDさん宅の近く、ホーニマン博物館内の水仙やクロッカスが咲く庭。

Dさん宅にも水仙が。その↓下は聖書の学び後のランチ。


春遠からじ。久しぶりに晴れた日曜。

 ↓教会隣、ポストマン公園

セントマーガレッツ集会のあるGさん宅近くのリッチモンド橋。その↓下は聖書の学びの始まる前の部屋と、お家前のモクレンの花木。

3月のオランダ・アムステルダム

この日は受難週の主日でした。

受難週の主日は、英語ではパームサンデー(棕梠の日曜)と呼ばれます。新約聖書の4つの福音書は、金曜に十字架に架かられるその週の主イエスのエルサレム入城から十字架を含む復活の主日までの一週間を詳しく描いています。

受難週とそれに続く復活日(イースター)の出来事を描いた聖書記事は、罪から私たちを贖(あがな)ってくださった主イエス・キリストの、実際に歴史の中で起こった記録であり、キリストを主と受け入れた弟子たちの証言です。

十字架と復活の主の恵みを、キリスト者は一年中覚えているので、どの日が特別に大切ということではありませんが、使徒パウロがローマの信徒への手紙(14.5-6)で言っている通りだと信じます。:

「5 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。6 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。」
(新共同訳・新約)ローマの信徒への手紙 14章5-6節

さて、今年の3月20日(パームサンデー)は忘れがたい日となりました。

オランダJRCの礼拝を終えると同時(16時頃)に、携帯電話にイージージェット(航空会社)からテキストメールが入りました。

同夜20:15の私の乗るはずだった飛行機が、フランスの空港労組ストライキの影響で、取り止め(キャンセル)になったという連絡でした。

どうしてフランスの空港労組ストライキが、オランダの空港の離着陸便に関係するのかわかりませんが、おそらくパリからアムステルダムに来る予定の飛行機が飛ばなくなったりして、その影響で私がアムステルダムからロンドンに帰る飛行機機体そのものがない、というようなことだと思います。

いずれにしても、空港に行ってみないとわからないこともあり、礼拝後のお茶の交わりを失礼して、アムステルダム空港に向かいました。

空港に着くと、アムステルダム空港内のイージージェットの旅客サービスデスク前は、長蛇の列!(↑上の写真はその列の様子)

夕方5時半から3時間並んで、イージージェットの旅客サービス担当職員と話せましたが、要するに①同夜のフライトはない、②3日後以降のフライトは手配できるがそれまでのフライトはほぼ満席でここでは手配できない、③今晩の宿泊はここでは取れない(宿泊場所と費用は自分で、ということ)、④宿泊費をイージージェット側に請求する場合はインターネットの同社ウェブサイトから後日に本人が行うこと、ということでした。

途方に暮れたので、いいアイデアはないかとオランダJRCのSさん(当日礼拝に出席されたオランダJRC世話人のお一人)に電話しましたが、Sさんもどうすればいいのか思いつかないということでした。

私はとりあえずホテルがたくさんあるアムステルダム中央駅に戻りました。(空港駅から中央駅までは所要15分ほどです)その時点で夜9時ごろでした。

駅前周辺のホテルを当たりましたが、どこも一泊150ユーロ(2万円弱)以上で、50~100ユーロぐらいを想定していた私は、またまた途方に暮れてしまいました。

レッドゾーン(赤線地帯)近く(駅の南東)に小さな安宿が密集していますが、そこは避けたかったので、駅前大通りの西側(駅の南西)に足を向けました。

夜10時前の人影の少ない通りで、一人の男が英語で「ホテルを探しているのか」と声をかけて来ました。

最初は用心していたのですが、その人は、目の前に見える通りを横切った先の小さな“ジミーホテル”を指し、そこで以前働いていた、と言うのです。
身なりは普通で、訛りのある英語を話す人でした。
イラク人であることは後でわかりました。

私は心身ともに疲れ切っていたので、たとえこの男がホテル前での客引きであってもここでいいか、と思いその男に従いました。

ホテル受付で男は、親しげに英語でレセプションの人(パキスタン人)と話していました。
ホテルはパキスタン人が家族で営むホテルでした。

トイレシャワー付シングルで90ユーロ(一万円強)でしたので、そこに決めました。
現金で支払いを終えると、
男がホテル側に「客の仲介料として2,3ユーロでもいいから欲しい」と要求しました。お金を乞うたのは、私にではなくホテル側にでした。

さらに、男はレセプショニストに、自分はイラク人で所持金がなくホテルに泊まることはできないこと、せめてわずかでもお金を仲介料としていただきたい、と切羽詰まった様子で訴えていました。

外は雨、この男が可哀想になって、5ユーロ札(600円ぐらい)を差し上げました。

男は私に礼の言葉を言いましたが、それでもまだホテル側に対しては食い下がっていました。

私はとりあえず部屋に
行って上着を掛けて荷物を置くと、ついさっきまで途方に暮れていたのに、とりあえず暖かい部屋に夜を過ごすことが出来るようになった今を神様に感謝しました。
と同時に、あの男が今晩も雨降る寒い外で過ごすのかと思うと、申し訳なく思えて、もう一度レセプションに戻りました。

もう、すでに男の姿はなく…。
パキスタン人のレセプショニストがお金を握っている私に気付き、「そこまでする必要はありませんよ」、と言いました。

一旦また部屋に戻りましたが、あの少し気恥ずかしそうな男の様子が思い出されて、身の安全と安らぎ確保が第一の自分の方がみじめだと感じられ、もう一度上着を着て外に飛び出しました。
しかし、男はもうその周辺には居ませんでした。

翌日は、ホテルの簡単な朝食をとってからチェックアウトし、空港に行くとすでにまた長蛇の列!
しかし、とりあえず並びました。

デスクで「昨日の情報と今日では状況が違う」と言われ、①夕方5.50のロンドン・ガトウィック空港行きのフライトにわずかの空席があること、②その席をここでは確保できないので、③そのチェックインの列(フライトの2時間前)に並ぶこと、④しかしその列に並んでも座席確保の保証はない、という情報を得ました。

その後、アムステルダムの空港と直結している空港駅構内で過ごしましたが、することもなく、もう一度、デスクの長い列に並びなおし、今度は6時10分前のフライトの3時間前だったので、保証はないがEチケットにデスクの人の手書きの保証なき保証(?)のしるしを書いてもらいました。

5時50分の2時間前より少し早く、チェックインカウンターの列に並び、ようやく乗機パス(ボーディングパス)を手にしました!

空港内に入りましたが、その一時間後に、予定フライトがさらに一時間遅れると表示板に出ましたが、2日にわたり通算13時間ほど空港で過ごした私にとって、たった一時間の遅れなど何でもありません。

19:20、ロンドン・ガトウィック空港着、電車とバスを乗り継いで、夜10時に家に着きました。
安全が守られ家に着けたことをお祈りしました。

12時間寝たあとの翌日、イージージェットのウェブサイトで確認したところ、二つの理由で宿泊料金の返金の条件には合わないとわかりました。:
①今回のフライトがキャンセルされた理由がイージージェット社の内部の事情ではないこと。
②私のフライトで保険に入っていなかったこと。(←毎回の飛行で節約のため保険には入っていません)

ベルギー・ブリュッセルの街と空港で31人が死亡200人以上が負傷したテロが起こったのは、私が家に着いてから9時間後のことでした。

ちなみに翌日のBBCニュースでは、トップニュースは当然ベルギーのテロのことでしたが、フランス空港労組ストライキとその影響で遅延・キャンセルのフライトがあったことも続いて報道されました。:

3/20はロンドンと近郊の5つの飛行場で、欧州への50フライトそして欧州から着く予定だった32フライト、合計82フライトがキャンセルされました。影響は21日と22日にも及ぶとのことで、数千人の旅客が巻き込まれたということでした。

↑ まだ座席確保されていないときの小さな安らぎ(アムス空港内)


 

 

 

 

 


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3月予定

2016年03月01日 | 日記

3日(木) 祈祷会(Catford URC)

6日() 日本語礼拝、聖餐

8日(火) セブンオークス集会

11日(金) ダリッチ集会

13日() 日本語礼拝

14日(月) セントマーガレッツ集会

17日(木) 祈祷会

18日(金) イーストボーン集会

20日() [受難週主日]:日本語礼拝;牧師オランダ出張

25日(金) [受苦日]

27日() [復活日]:イースター日本語礼拝
      サマータイム(1時間早まります)開始

29日(火) 牧師:日本デピュテーションのため離英

30日(水) 牧師:関西国際空港着

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~2月をふりかえって~

春節を祝う中華街

 

ダリッチ集会

ブライトンの町とザ・ロイヤル・パヴィリオン

ブライトン&イーストボーン集会

↓ アムステルダム中央駅と日本語礼拝のある教会前のスパイ広場

 

↓ 12月に日本領事館で申請した「在外選挙人証」が2月下旬にやっと届きました。

 これで、7月の参議院選挙にロンドンから投票できます

日本国外に住み日本に国籍がある者が、6年前から外地で国政選挙に参加できるようになりました。ロンドンにいる人たちも欧州にいる人たちも、日本国民として、また信仰者としての当然の義務を果たしましょう。


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2月予定

2016年02月01日 | 日記

グリニッチ公園
2016年1月1日…と言いたいところですが、あいにく元日は曇り時々小雨が降ったので、天気のいい12月31日の家の周りの様子をご紹介します。

↑ グリニッチ・(古い)プラネタリウム
↓ グリニッチ天文台

↓ 天文台の丘から:カナリーウォーフ辺りの摩天楼の眺望

↓ 私の家がある集合住宅の入り口:元・砲撃軍の学舎

↓ 家から0.5マイル(約800メートル)先のウーリッチ商店街

↓ ウーリッチにあるグリニッチ区役所
 ※石の彫刻が立派なこの玄関が区役所の裏側の入口。
 英国の威信をかけた砲撃軍隊の町にどれだけ力を注いで来たかが分かります。
 サッカーの名門チームの「アーセナル(意味:火薬庫)」は、もともとウーリッチで誕生しました。しかし、現在のサッカーチーム・「アーセナル」の本拠地はロンドン北に移転しています。

↓ 新年2週目の日曜、礼拝に行く途中。ミレニアム橋の南岸からのセント・ポール寺院。

↓ 礼拝堂の正面のステンドグラスの下の壁には、「主の祈り」・「十戒」・「使徒信条」が金文字で書かれています。ここでの「十戒」は、“テン・コマンドメンツ(十戒)”ではなく、“出エジプト記20章”と題されています。

↓ 家の前の私道から見たある日の夕焼け

↓ 霧雨に煙るアムステルダム運河沿い

↓ アムステルダム:教会そばの小路の喫茶店(いつも礼拝前に過ごす)の目の前の小さなレストラン(1627年建築)。

 1627年、日本では徳川家光が江戸幕府第三代将軍になって3年目で、長崎の出島に平戸オランダ商館がありました。その平戸オランダ商館をめぐって当時の長崎代官とオランダ行政長官との間に起こる摩擦、いわゆるタイオワン事件は、翌年1628年のことでした。

12月第二週、オランダのJ姉が第二子を出産されました。おめでとうございます。

1月は、昨秋に久しぶりにロンドンに戻られた方がまた帰国されました。1月最後の礼拝には、短期の語学学生の方とお仕事でロンドンに来られた方が来会されました。

例年よりも温かい1月で、2つの集会もオランダも雨でした。日本は記録的な寒さと積雪だそうです。

~2月の予定~

4日(木)祈祷会

7日()日本語礼拝、聖餐

9日(火)セヴンオークス集会

12日(金)ダリッチ集会

14日()日本語礼拝

18日(木)祈祷会

19日(金)ブライトン集会

21日()日本語礼拝

28日()日本語礼拝;牧師はオランダ日本語礼拝に出張


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年末の様子&1月の予定訂正

2015年12月30日 | 日記

23日、この日は日本では天皇誕生日で国民休日のはず、と思いを少しだけ日本に馳せながら、久しぶりの陽光に促されて、街に散歩に出かけました。

24日夕方から26、27日まで、交通機関が止まるので、-特に25日丸一日まったくすべての電車・バス・地下鉄がストップします-、食料の買い出しのためでもあります。

家を出たのは午後1時半でしたが、3時を過ぎると暮れ始めて、4時には真っ暗でした。

テムズ川のチャリングクロス橋を渡るときに気づいたのですが、月はほぼ満月に近いなぁ、と。

調べると、今年は25日が満月で、クリスマス当日に満月になるのは、38年ぶりとのことでした!
“だから、なんだ?”と言ってしまえばそれまでですが…。

しかし、今年の25日のロンドンはほぼ一日曇りで、夜には雨も降りました。
日本ではきれいな満月が見えたでしょうか。

24日は今年最後の私たちの教会の祈祷会が、キャットフォードのURCの教会でありました。
この月と一年を振り返って神様に感謝し、また現状の世界と身の回りのことのために祈りました。

往復のバスから見える街は、いつもより多い人混みでした。

25日は午前に、エリザベス女王の国民に向けた恒例のクリスマスの挨拶がテレビ・ラジオで流れました。
この一年を moments of darkness (暗闇のとき)とまとめられ、ヨハネ福音書1章5節「光は暗闇の中で輝いている」から、必ず世界は光が暗闇を凌駕する、と言われました。

女王は英国国教会の長でもあり、クリスマスの毎年の挨拶で、その年を象徴する言葉と聖書を引用されるので、さすがにこの国はキリスト教の国だと覚えます。

以下の写真は、最近のメディアからのもの。
9月初めの欧州に押し寄せたシリア難民は、その前にすでに周辺諸国に流出していました。
↓の4枚は、6月末にトルコ国境に向かうシリア難民が撮影されています。:

24日のクリスマス・イヴ、25日のクリスマス・ディ、26日のボクシング・ディは、あっと言う間に過ぎて27日(日)は今年の最後の礼拝でした。

今年の年の瀬は、気温も二ケタで温かいです。

皆さま、一年間、お祈りに覚えて戴き感謝いたします。
善い年をお迎えください。

来る新しい年、世界が平和でありますように。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なお、一月の予定は以下の通り:

3日()日本語新年礼拝、聖餐あり

7日(木)新年祈祷会、年度報告会

10日()日本語礼拝

17日()日本語礼拝

18日(月)セントマーガレッツ集会

21日(木)祈祷会⇒ 28日(木)に変更

24日()日本語礼拝;牧師はオランダ出張(日帰り)

27日(水)イーストボーン集会⇒ 29日(金)に変更

31日()日本語礼拝 ←書き忘れていました!

 

 

 


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