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2024.04.09 昨日、初めて行った近所の整形外科。

一昨日の晩、ミエちゃんから電話があった。
私が、連日、彼女に足の弱りを訴えていたことから、我が家の近所の整形外科を探して
くれて、一度そこへ行ってみたらどうかしら?とのことだった。

彼女は、母親の介護が終わったと同時に、今度はご主人の介護が始り、長年の介護生活後、
久しぶりに会った時、背丈が低い感じだったので、「ミエちゃんって、そんなに背が
低かったかしら?」と私は聞いた。
すると、介護の日々の間に、気がついたら5センチ背丈が縮んでいたとのこと。
「激痛の日々だったけど、でも、一度も痛いと言ったことがないよ。」と言った。

え〜?信じられない。まるで、私と一緒だ。
私の場合、阪神大震災で全壊した家を、献身的に再建してくれた仲間にも、避難先で
苦しい不整脈で、毎夜、明日は冷たくなっているだろうという恐怖で、寝れない日々の
ことも、胃の激痛なども、一言も言えなかったし、その後、職場退職後、CGとの死闘
の実態を知る人は、9年前に亡くなったのばらさんとご主人だけだった。

近所に住んでいて、もし、私が入院した場合、近所にSさんがいるから安心、彼女が
下着などを持ってきてくれるはずだからと、すっかり頼っていたその人が、最近
「え?足が痛かったの?』と言った時にはすっかり驚いた。20年近く苦しんだのに、
地獄の様な生活だったのに、言ってなかった?
そんな身障者の私が、腕と足の激鬱に苦しみながら、健常者のお世話に邁進する姿は、
今になって考えると、異常だったと思える。でもそうする決心の方が強すぎたと思う。

おしゃべりな(?)私が、今まで生きてきた長年の間、いつも肝心なことを伝えて
いなかったという、ふしぎな結果に自分で呆れている。
ということは、大きな誤解の中で、泳いでいたというイメージである。
今更気づいても、遅すぎると思う。頭が悪いと思う。

さて、その整形外科の先生は、穏やかな方で、私に、体操を教えてくださった。
そして、「これを続ければ、1年後には見違える様になりますよ。」と言われた。
1年後には治ると、それはそうだろう、1年を決して長いとは思わなかった。
ここまで悪くしたので、当然! 1年後に治ると言われたら、ありがたいぐらいだ。
頑張りについては、私ほど辛抱強い人には、正直私は今まで1度も会ったことがない。
1年後にはスイスイ歩ける!そのことだけで、光輝く明日が見える。
後日、改めてその体操の方法を、こちらでお知らせしたいと思います。
なお、骨密度も測ってもらった。実は、私は骨密度は、昔から大変優秀だったので、
安心していたが、10年程経ってみると、大分落ちていた。
その点も、昔の数値へ戻す努力をしたいと思っている。


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