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2011.05.01 ボランティアのこと。

東日本大震災は、余りにも甚大で悲惨な災害で、遠く離れた人々も、じっとしては
おられず、何か役に立ちたいと被災地へボランティアへと行かれる方が多いと聞き
ました。この連休をその為に使いたいと実際に被災地に赴いておられる方々も多い
とのことです。

私も16年前の阪神大震災で被災し家が全壊しました。しかし全壊とは言え、残った
梁が歪んでいなかったという、その辺りでは1軒も無いと言われる幸運がありました。
それで、取り壊さず、修理をすることにしました。

しかしそれは反面大きな苦難でした。取り壊しをしない場合は自力での瓦礫搬出の為
の人手が必要でした。これも幸いにも30年以上も前の友人達が結集してくれて瓦礫の
搬出に献身して呉れました。(1年半の避難生活の後神戸に戻る迄支援は続きました。)
私もその友人達もその頃まだ勤めていましたので、1週間に1度土曜か日曜に6~7
人が集合し瓦礫撤去を頑張りましたが、毎回「今日は一体何処を片付けたの?」と思う
程、目に見える進展はなく瓦礫の大きな山は一向に片付かないまま焦りの日々でした。

その内に、私が足を傷め、膝が全く曲がらなくなりました。
それで、友人が区役所に相談に行ってくれて、ボランティアを頼んでくれました。
1月に震災を受けた後、3カ月経った4月の下旬のことでした。
担当者は驚いて、「え?もうボランティアは解散直前ですよ。何故もっと早く申し込ま
なかったのですか?」と言われた由です。
私は、こうした制度は全く身寄りの無いお年寄りの為のものだと思っていました。
加勢してくれる人達が居る私は対象ではないと思っていました。

それから,2回ボランティアの学生が大勢、一輪車などの器材を持って来てくれました。
どんなに助かったか知れません。あっと言う間に瓦礫が片付きました。
その中に、京都から主婦が二人、手弁当持参で来ている方が混じっていました。
そのお二人は私に、「どうしてもっと早く依頼しなかったのですか?」と言われました。
私は、「膝が全く曲がらなくなり、とうとう瓦礫拾いが出来なくなったので、お願いし
ました。自分も対象だとは思っていなかったのです。」と答えました。

私は、そのお二人の姿に心から感動しました。
そして、思いました。
「次に何処かで震災が起こったら、私は絶対に手弁当を持って手伝いに行く!遠くても。」

しかし、あの思いは残念ながら叶わなくなりました。
その後、思うところあり職場を定年前に止めて目指したものが、更に足を悪くさせる座り
きりの仕事で、今では隣のスーパーに行くのさえ辛い日があるようになってしまいました。
その上、お手伝いをして役に立つ歳ではなくなってしまいました。

この連休、ボランティアに行かれる多くの方に、私は御礼申し上げます。
思いだけで、実行出来ない私の代わりをして下さって有難く思っております。



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