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2009.09.29 フォークをUPして思ったこと。「若い時の苦労は買ってでもせよ」

(1)
先日、純チタン製フォークをUPしました。
その前に、スプーンをUPして以来、1カ月半程経っていました。

スプーンでは、思った以上に難航し、七転八倒、これではどう
か?これではどうか?と何十回もやり直し、それが解決したら、
次の難問にぶつかり、ああでもない、こうでもないと、自分の
ひつこさにあきれる程の試行錯誤の結果、ようやく完成に漕ぎ
着けました。(スプーンの頁)

(この辺の苦労をぜひ知りたいので、ブログに載せて下さいと
熱心に言って下さる方があり、私も、その気になって、何日も
かけて、「スプーン奮闘記」なるものをまとめかけていました
が、時間を取るのと、専門的なことをどう説明するかに、頭を
悩まさねばならず、こんなことをしていると、前へ進めないと
思い、中断してしまいました。)


そんな訳で、スプーンの作業では、大分目を傷めました。
スプーンをUPしてから、ドライアイで、涙ボロボロの日が
1カ月以上続きました。

でも、その間も1日置きにブログをUPしているので(最初の数年
間は毎日更新!)、目が休まる時がなく、ブログも長編になると
何部作かの続き物になり、それをまとめる為に、結構心血注ぐ
必要があり、ブログが大切なのか、ショップが大切なのか分ら
ない程の、本末転倒ぶりを発揮して、ますます目は治らず、結局
ブログへの傾倒が、ショップの充実のさまたげになっていること
に改めて気付きます。


(2)
そうこうしている内に、ようやく目は治まりました。
それで、次にフォークのUP作業をしようと、試しに、ほんの
少し、出だしだけをやってみようと思って始めました。

ところが、何と、どんどん進んでしまい、2日程で大方出来て、
本腰入れて作業した結果、3日目には完成してしまいました。

え~?!ウッソ~!
ちょっとだけよ…と試しにやり出しただけなのに、もう完成?

これは、あのスプーンの苦労があったので、一気にやれたのだ
と思いました。本当に、想像以上に楽勝でした。

考えてみると、私のこの10年間のWeb生活は、すべて同じこと
が言えるのです。
奮闘の結果やり方を習得すると、次に自分のものとなっていて、
割合楽に乗り越えている自分が居る。これの繰り返しでした。
真剣に取り組んだ結果(苦労の結果)得たものは、後で生きて
来る。有難いことです!


(3)
こんな時、いつも、「『苦労は買ってでもせよ。』とは、
よく言ったものだな~!」とつくづく感心するのです。

…とここ迄書いてから、私は、ふと思い付いて、<苦労は買っ
てでもせよ。>を、ネットで検索してみました。
(先日お話しました様に、愛用の辞書が、今手許にないので、
不便です。「2009.09.23 パセリのこと(その3)」


すると、私は、びっくりしました。
その諺は、<苦労は買ってでもせよ。>ではなく、その前に
”若い頃の”という言葉が付いているらしいことでした。

ん?そうでした。そうでした。!
確かに、「若い頃の苦労は買ってでもせよ。」が、正しいように
思います。忘れていました。

そうか~?
確かに、年輩者が苦労するのは大変だ。
身体を壊すのがいいところ。
若いからこそ、苦労が実るのだ。
私のような年輩者に、苦労せよとは、さすが諺も言っていない。
定年と同時にパソコンを始めて、初めてのマウスで首をつらせた
私に、ショップまで始めろとは言っていない。

でも、その年輩者の私においてさえ、やっぱり「苦労は後で必ず
生きる。」ことを、認めざるを得ない…、
「いわんや若者においてをや」と、私は強く感じたのでした。


(4)
そして又、考えました。私が若い頃、苦労したことはあったか?

何にも頑張らなかったな~と、思った瞬間、ふと気付きました。
たった一つ、あったと思いました。
それは、家庭料理と言うより、健康長寿料理の研究でした。

父母が年取ってから生まれた私は、その上、母が苦労して娘3人
を、終戦後、外地から連れ帰ってくれた感謝で一杯で、父母に
何をして上げられるか、そして、どうやったら長生きして貰える
か、それが一番の願いで、二番三番四番は無くて、五番か六番に
ようやく自分のことだった…、とちょっとふざけて言いました
が、実際、純粋だった子供の頃の思いは、こう言っても決して
過言ではない程、ひたむきだったと思います。
一生、孝養を尽くすのだと、幼心に固く固く誓っていました。
父母をこれほど愛した人は、少ないのではないかと思います。(?)
(いえ、言い過ぎました。もっと親思いな人は人は多い筈です。) 


長じて、勤め始めた頃、今の栄養学など無くて、薄っぺらな紙の
印刷の悪い本で、たしか「40才からの栄養」と言う本を見付けた
のが、私の料理道の最初でした。
(小さな縦書きの文字で、写真は真っ黒でよく見えず、今の料理書
ような上質紙でカラー写真の本は、その頃全くありませんでした。)
その本で、推賞されていた豆腐料理や野菜料理を勉強しました。


結局、阪神大震災前には、料理本は200册以上になっていました。
(料理人のエッセーを含みます。これが大変面白かったです。)
地震で家が全壊した私は、それらの殆どを捨てましたが。

そして、最近になって、その頃の、真摯な思いは、何と!年輩者
となった今の私の、日々の生活の中に役立つものとなっていること
に気付かされ、感謝で一杯になることがよくあります。
歳取った父母の健康を思って研究した長寿料理が、いのまにか歳を
とってしまった私の今の生活に、必要なものとなっていたのです。
それに気付いた時は驚きました。思いもかけなかったことでした。


又それらの年月に得た料理は、私にできる唯一のご恩返しとして、
震災後、復興のお世話になった多くの支援者の方々をご招待して、
私の感謝を伝えることが出来ましたし、震災後10数年、欠かさず、
毎年お正月のおせちご招待も、させて頂くことができました。
(昨年ファイナルおせちパーティーをして終了しましたが、叉、
今年も友人達が来ると言うのでおせちを作りました。^^)


そして、期せずして、そのことによって、ますます友情は深まり、
絆が強まったと思います。


「私の若い頃って、苦労なんてしてないからだめなんだよね」と
悲観しかけていた私にも、唯一、苦労というか、心血注いだことは
あり、そして、私自身、それを”買ってでもやった”ことは、確かに
正解だったな~と、今にしてつくづく思うのです。





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