凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

かけがえのないあなた

2013-04-08 12:01:52 | 考え方
 それは、魔法のような言葉だ。

 他の人は知らない。そんなことを言ってほしい、なんて思っていないのかもしれない。しかし、私はずっとそれを望んでいたのだろうと思う。なにしろ、親からそのメッセージを貰っていない(ように思っている)から、自分がただ存在するだけでいい、というメッセージを他者から受け取れたら、さぞ、人生は肯定的に見えるだろう、などと夢想してきた。

 恋愛幻想は、それに基づいていたような気がする。

 が、意外とそのメッセージは受け取れないものだ。ハリウッド映画に見られるような、恋愛する人々の常套句が、私の人生には無に等しい。
 こういうことは、結婚詐欺師くらいしか言わないものなのだろうか。

 もう亡くなってしまったが、生前その生活をドキュメンタリー映画に残したロバート・イーズというアメリカのFTMの人がいる。唯一残った女性の部分、子宮癌で亡くなってしまった。その人が、MTFの恋人、ローラのことを「こんなに素晴らしい女性はいない」とベタ褒めだった。「男はみんなローラに夢中になる」と。ローラは、仕事をするときはまだ男性として仕事をしている人であるから、一般の女性とはだいぶん異なる。それでも、ロバートは、ローラを完璧な女性として遇し、一貫してこの世の最高の美女を恋人にした男として振るまい続けた。
 本当にそう思っていたのか、アメリカ文化の中にある、自分の恋人、あるいは子ども、親、そういった立場の人々を「この世で最高」というように讃える習慣のせいなのか、わからない。もし、それが文化習慣であるなら、人がそのように遇されたい、そうであることによってエンカレッジされる、ということをよく知っている文化である、という気がする。

 日本人は、自分の身内については謙遜することを美徳としていた、とはよく言われる。私は子どもの頃、他人に褒められる私を、母がそれを打ち消すようにけなしていた場面を(そういう場面しかなかったのだが)、とても悲しい思いで聞いていたのを覚えている。そして、それは自分はやめようと決めていた。子どもは褒める、他人の前でも褒める、それしかない。そして、子どもをエンカレッジする。それが、親にできる子ども孝行の最たるもの、という気がしていた。

 こんな古いエピソードがある。アメリカ人の男性と日本人の女性が結婚することになり、それぞれの親が顔合わせをした。アメリカ人の親は自分の息子を世界一自慢の息子だというように褒めそやす。が、日本人の親は、娘をひたすらけなす。アメリカ人の親が次第に困惑し始めた、という話だ。それほど、ひどい娘なのか? 親がそれを言うのか? と顔色が変わっていった、という話なのだ。

 そういうエピソードを見ると、文化的な習慣なのだろう。日本人には、自分の子どもを良く思っていないはずがない、という大前提がある。私の親もそうだった。だから、いつでも私を低く評価した。が、その親の大前提を、子どもは共有していない。低く評価されれば、それが自己評価とつながる。
 いったいいつから、親は自分の子どもを良く思っていないはずがない、という大前提ができたのだろう。

 親密な相手には、かけがえのないあなた、と言い続ける方がよいような気がする。その時点で、それが嘘ではないなら。
 恋人に、「誰でも良かった。偶然、あなただった」と言われるなら、それは恋人の意味がないような気さえする。その相手くらい、自分の良いところを認めてくれる人でなければ、親密な関係が成立しない気がする。
 恋愛くらい、過酷な人生の良きものでないと、人はいくらでも萎縮する気がする。

 私はいつも他人の良いところを見ようとする癖がある。だから、基本的に私の他人に対する評価は高めだ。それがもちろん、誤解も生む。「わかってくれるのは、虎之助さんだけ」などと言われて、妙に慕われてしまうことも起こる。そして、それが私の癖だとわかると、裏切られたような気持ちになって、勝手に恨まれたりするので、困ることもある。文化的習慣ではなく、個人的な癖なので、誤解が起こるのだ。
 もちろん、「あなたは私にとってかけがえのない人」などと、結婚詐欺師みたいなことは言わない。しかし、この世にあなたという人はたった一人、かけがえのない存在だ、という意識でいることは事実。誰に対してもそうだし、また、それには嘘はない。

 やっと、ナンバー1よりオンリー1という考え方が始まった。しかし、文化に根付いていないこの考え方は、どんなふうに意味を歪めていくのだろう、と心配の種は山ほどある。すでにもう、若い人の間では、他の人にはない自分独自のものを身につけなくては、というプレッシャーが始まっているようだ。
 この国に生まれながら、この国の厄介な風土に、いつも悩まされて生きてきた気がする。
 
 

2 コメント

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Unknown (Mシエン)
2013-04-14 21:48:24
先日、職場の10代の人が、「~~して、しかられた」と、聞きもしてないのに、自分の失態を自分自身で確認するかのように、繰り返し、独り言を聞かせてきました。ああ、この子は、こんなにも、叱られたことを、自分で、何度も何度も思い起こして、低下した自尊心をさらに下げ続けているのだなあ、まるで、ぱっかりあいた傷口を、みずからさらに、拡げるかのように、、、。そのとき、ようやく、あなたの、叱られ続け、もはや、これ以上下がることもできぬほどに、叱られたつらさを想いました。
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Unknown (虎之助)
2013-04-15 17:01:30
共感的なコメントでありがとう。

ただ、なんか、本文とずれていない?
ま、いいのだけど。
それって、違う文脈で話した内容のような。

いいんだけどね。
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