凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

受け身でついてくるだけの人たち

2012-02-16 09:50:49 | 組織・集団
 つくづく、何かイベントを行うというのは難しいな、と思う。今回、所属しているグループで、公開学習会を行う。確かに、私が先導している。

 が、何度も話し合いを重ね、皆に意見を求めながらやっているのに、どうでもいい話はいろいろするが、肝心の内容の構成について、完全に受け身なのだ。

 グループワークの経験が薄いから、あのようなおかしなことになるのか? 私の会じゃないよ、と言いたい。まるで私の会に、皆に協力して貰っているような状態で、すべてお任せ状態の上に、こちらが何か言うと、ちょっとムッとしているのがわかる。

 でも、主体的に関われないなら、下りてくれればよかった、とも言えない。その主体性のなさに乗っかって、私が今まで引っ張って来たのは確かだから。主体性があり過ぎて、今度は、船頭が多すぎるのも困るし、、、、。
 主体的に関わるが、先導する人の足を引っ張らないように配慮しながら、しかしここ一番、というときはちゃんと意見を言って軌道修正をする、決まったことについてはごちゃごちゃ言わず黙ってコマンドに徹して動き回る、、、。私はそうしてきたのだけどな、、、。だから、なのか。だから、私は、どんな会社に入っても組織に入っても、結局すぐに重い役に就いてきた。管理監督的立場になってきた。要するに、そういうことが出来る人が少ないということなのか。私から見れば当たり前と思う動き方のできない人が多すぎる。中に、的確に動くことが出来る人がいるが、結局、重用されるのはそういう人だ。
 どの組織に入っても、頭角を現す、というのは、そういう動き方が出来てきたからなのか、と、今、気づく。

 ずっと子ども時代からのコンプレックスが拭えず、すぐにくじけそうになるが、この部分は、自分を褒めてやってもいいことかもしれない。

 そうなると、そういうことが出来ないのは、女の人の特徴なのか、男の人でもそうなのか、そこが気になる。組織を動かす、組織で働く、ということが、裏で私情のレベルで機能する力関係に敏感であったり、うまくそこを泳ぐこと、ではないと私は思っている。組織で働くということは、組織の機構をよく理解して、その機構をよく機能させるために動くことだ。それでも不具合が生じるなら、機構を修正する必要があるということだ。すべて、表で、公的に事が運ぶことが、組織の動かせない特徴だと思っている。
 それをなかったことにするような、タテマエとホンネの二重基準を平気で持ち込む人が多すぎて、駆逐したい輩だ。






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