凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

ある職場の話

2011-12-03 20:55:32 | 組織・集団
 私はある組織に、請われて、途中から管理職として入った。右も左もわからないが、職場のトップだ。いろいろ困難はあったが、その職場のうまくいかなさの一つの要因が、退職してから見通すことによってわかった。
 その職場には、古株の監督職にあたる人たちがいたが、それぞれ、外部にメンターと思しき人を持っていた。さらに、私の前任者も、外部にメンターを持っていた。内部で対立や不具合が生じた時に、自力で解決できない人たちは、外部のメンターにそれぞれ助言を仰ぐ。時には、その外部のメンターが持っている影響力や権力を恃む。もちろん、頼られている外部のメンターは、積極的に、快く、助言を与え、時には具体的な方針を授けるだろう。外部のメンターといっても、全くの門外漢ではもちろんなく、その職場と微妙に関係のある立場の人、時にはその職場に強い権力を行使できる立場の人だ。しかし、あくまで外部だ。

 私は、途中で入った新参者なので、そのような複雑な人間関係までは見えない。内部の指示系統に沿った仕事をしようとした。しかし、指示はうまく伝わらない。末端の職員に行くまでに曲がりくねる。指示したことが通っていない、指示しないことが私の指示になっている、というような奇妙なねじれが多々起こっていた。当然、職場はうまく機能しない。いったい、どうしてこのようなことが起こるのか、わからなかった。職場は紛糾し、絶えず紛争の種をはらんでいた。

 外部のメンターは、相談を受けるが、内部にいるわけではないから、全てを見通してはいない。相談者のフィルターのかかった見方を聞かされた上で、助言をする。が、相談した方は、自分が自分に都合の良い助言を誘導したとは思っていない。尊敬するメンターの言う通りだ、と、そこで力を得て、新参者の私の判断よりも、そちらを優先しようとする。内部の指示者である私は、自分の指示の通りの悪さに四苦八苦する、ということになる。私は、古参職員を特に優遇するわけではないので、せっかく自分たちに都合の良い職場を築き上げてきた古参職員は、私の動きに危機感を感じるのだろう。せっせと反トップの動きを作るのだが、それすら、私にはよくわからない。「あの人たちは何がしたいのだろう?」という疑問だらけになる。時には恭順になるその人達の動き方が、はっきり見えたのは、結局、退職してからだった。

 この人達には、自分たちが面従腹背だった、という自覚すらないだろう。外部のメンターの力を恃んで内部を混乱させた自覚もないだろう。

 そして、外部のメンターもまた、自分が所属しない組織を混乱させた、などとは知るよしもないだろう。自分は、相談されたから、相談に乗ってあげただけ、親切に助言しただけ、と思っているだろう。自分は外部の人間だから、内部のことはわからないから、内部のことは内部で解決しなさい、と突き放す人はいなかったようだ。みんな、頼られたら力になってあげようとするのだ。そして、自分の助言が、他人の組織を混乱させ、疲弊させ、そこのトップを病気にまでしてしまった、などとは思いもしない。
 
 その組織の初代のトップだった人は、途中で辞めさせられることになり、訴訟まで起こした。が、訴訟を起こされても、誰一人責任を感じる人はいない。なぜなら、事を推し進めた張本人などいないからだ。あれこれ、うまくいかないところを継ぎを当てながらやりくりをしていた、そのやりくりの中に何人もの外部の人の無責任な助言がからむ。提訴された中には、外部の助言者、メンターは当然含まれない。だから、提訴された後も、おそらく無責任なコメントを続けているだろう。余裕なく、アップアップしながら組織を運営する中で、内部で自力解決ができないために、外部のブレーンを恃む。それも、公式に恃めばややこしくならないが、それぞれの人が個人的な関係の中で、力を持っている人を頼みにするのだ。だから、どこまでも、個人的なアドバイス、何の責任も発生しない中で無責任な助言が繰り返される。

 テレビドラマのように、単独で、あるいは共犯でもいいが、意図的に悪意で仕組まれた事件の方がよほどわかりやくていいな、と思う。現実は、そういうものではない。本人には自覚がない。意図があったとしても、無意識の意図だ。誰かを排除しようと企んだのなら、犯人が存在するが、排除の願望があっただけで、誰も実際には排除の計画も相談もしていなかった、となると、犯人はいないことになる。
 そのようなものだ。組織のややこしさはそこにある。

 自分の位置がわからないで、無責任でいること、それが事件をつくる。誰一人として、(私も含めて、と敢えて自戒をこめよう)、この罠から自由な人はいない。時には助言者として、時には傍観者として、時には不作為の人として、この集団のからくりから自由な人はいない。




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