日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* そうだ 京都、行こう 2009年 秋 光明寺編 (その1) *

2009年12月03日 | 風景・お出かけ

Jr東~海・・この最後のフレーズは耳覚えがあるが、光明寺の紅葉の紹介だったとは知らなかった。
たいていは、用事をしながら聞いていることが多いいから映像は見ていないのだ、残念!
西山浄土宗 総本山 光明寺・・・京都府長岡京市粟生西条内26-1 

一昨年の11月25日夫と初めて光明寺を訪ねた。 先週28日の土曜日二度目の光明寺に行った。
一昨年なぜか夫はブログにアップしているのに、私は載せていないが・・・なぜだろう。
紅葉のトンネル・・その色の艶やかさは圧巻で感動で「また絶対に来よう」と言っていたお寺なのである。

土曜が休日だったのでいかに過ごすか、前夜夫は計画していたようで、「早うに、ちゃちゃっと行って帰ろう」
そう言いながら出発したのが8時、アクセスをプリントアウトして行ったにも関わらず、行き過ぎて道に迷った。
道端で野菜を売ってるおじさんに、聞いたらすぐそばまで来ていた。
もちろん、白菜、キャベツ、おネギ、大根など買ったけど。 夫はこう言う新鮮野菜にはすごく反応する。 
記憶によれば光明寺の近くに大きな園芸店があって、お花を買うと駐車場無料(あったあった)充分置けた。

竹林のそばを歩いて行きながら光明寺に着いたのが9時半、一気に思い出が甦ってきた。
すでに多くの人が総門に向かい、すでに帰る人も多い。 開門から30分しか経っていないのに、やはり大人気。


朝3時頃目が覚めて、光明寺を検索した。 以前も見たが内容深くは見ていなかった。
HPには、行事やアクセス、一般的な内容に加えて、お坊さんの3分間法話、小坊主さんの紅葉便りがある。
紅葉状況の今で言うブログだったかな。 
一日一日クリックして読んでいたが、開門前の人の映っていない現在の紅葉状況やお土産なるものを、
面白く見せて語ってくれていた。 様ざまな楽しいエピソードあり、引き込まれてみんなクリックして読んだ。
文章の行間には、修行のことや苦労しながらの日々の出来事や、学びや悟りなども書かれてあって、
とても身近な感がした。 笑いの中にも苦労が垣間見えるようで笑いながら涙が出てきた。 
我が子と変わらないような、そんな歳と思うからよけいに。 (現在はありませんでした、残念!)

総門へ入るまでにもう真っ赤なもみじやかえでが! またまた「わ~わ~・・!」の連発。
石畳の真ん中は左右に仕切ってあって、入る人出る人の混雑をうまく分けていた。 前にはあったかなぁ・・。



だいたい歩いたように写真を載せているつもりだが、所々前後していたりしている。
お寺と紅葉の美しさを見ていただきながら、来年は是非光明寺の紅葉を愛でて欲しくてコラージュで。
心の行き届いた温かいお寺、美しい紅葉、HPはそれを充分に伝えてくれている。
今もなお楽しく拝見させて頂いている。
 
総門をくぐると右手が表参道で御影堂へ向かう人、左手はもみじのトンネルの中を帰る人の波。



紅葉の木々はもちろんいいが、散紅葉の風景寂しそうに見えるが精一杯人の目を楽しませてくれたはず。


 真っ赤なもみじも美しいが、黄葉もまた別な美しさで存在感を表している。



観音堂付近で、長岡京らしく、竹細工の販売。


勧化所の前の松の木にかかっていた散紅葉が・・。 好きな一枚。 トップ画像に。


御影堂ではちょうど読経が始まっていた。 こんなに多くいらっしゃるんだ・・あ・・HPで拝見した方。
法然上人の銅像。 手水鉢の中には散紅葉・・・これは自然?
 


鐘楼の姿はとても好きだ。 この鐘が朝の時刻を刻みながら歴史を刻んでいると思うと清々しい。


御影堂のとなりの阿弥陀堂へ、どんな場所にもあますことなく紅く染まったもみじが美しい。


御影堂の回廊を歩いていくと、静寂な信楽庭(しんぎょうてい)が見える。 
18個の石、庭の波紋は小坊主さんが前の日、2時間をかけて描かれるらしい。
これも心のさまによって、うまく書けたり書けなかったするとか、どんな場所でも全てが学び。
生花でもお茶でも、動作には心が表れる、料理にしてもそうであるように。
夫の写真の方がきれいだったので拝借。

 
灯篭のなかを歩くと、時代の中へもどったような。 山も紅葉。


信楽庭から見えていた勅使門を背景に真っ赤なもみじ 、やっぱり美しいものは撮るより眺めるに限る。
人のなんと多いことか。 私たちもその中にいるんだけど。 みんな笑顔笑顔・・。
私たちもテキトーに撮りあう。 最近夫が私を撮るようになったからこれは不思議。

中々ツーショットが頼みにくい。 「撮ってくれい」「二人で撮ろうよ」「どうやんねん」「頼めばいぃ」
私ささっと若い案内の男の子に。 「ごめん! もう一枚!」 信用していないんじゃないんだけど。

 

 まさに競演、競艶である。 
千葉の妹が京都の紅葉を見たとき「やっぱり京都の紅葉は違うね」を連発、光明寺でもそれを痛感。 

そうだ 京都、行こう 2009年 秋 光明寺編 には(その2)がある。


* 平山郁夫さんの訃報に接し・・ *

2009年12月02日 | 雑感

昼下がり、ラジオを聞きながら部屋で用事をしていたとき平山郁夫さんの訃報を聞いた。
何かしら急に一抹の寂しさを覚えたのは、ふるさと生口島出身であることの親近感からだろうか。
お会いしたことはないが、自分の中ではすごく誇らしく(同郷なのだと言う)世界に名前がいきわたるほどに、
嬉しくて嬉しくて、美術館の中で作品をまじかで拝見したときの感動を思い出しながら嬉しく思っていた。

生口島で弟さんが館長をされている”平山郁夫美術館”には、何度か夫や身内と訪ねたことがある。
幼少の頃の絵日記から、現代に至るまでの平山さんの足跡である2000点あまりの作品が展示
平和への情熱、絵に多く使われたこだわりの蒼色に拘られた石も見ることができた。
私が高校へ通った3年間、毎日島を一周していたかのような風光明媚な生口島である、
瀬戸内海や山並み、瀬戸田の町並みなどは特に、あまりにも近くて、それらを描かれているのが、
まさに巨匠、世界的に有名な日本画家平山郁夫さんなんて。 どう言っても、嬉しくて仕方が無い。



平山さんの写真集を二冊、宝物のように持っている。 
一冊は図録”平山郁夫作品集”昭和34年から平成18年までの作品の中から、240ページに渡り150点あまり。
全国21都市で開催された”シルクロード展”は、行かれた方も多いのではと思う。
絵は荘厳である。 人々の平和を願われる平山さんの絵は祈りのような気がする。
A4サイズの大きさとページの重さに、悲しいと感じてい今である。 

もう一冊は”しまなみ海道五十三次”これはちょうど10年前、しまなみ海道が開通してから書き溜められた、
瀬戸内海の景色や島々を繋ぐ橋を含めたしまなみ海道のスケッチや素描、水彩画67点の作品である。     
そんな作品の数々を美術館で目の辺りに拝見させていただき、写真集を改めて見せていただくと、
描かれた場所は懐かしくて郷愁をそそられる。
瀬戸田港の桟橋付近に、描かれた場所と同じ絵が刻まれた石碑などもあった。

美術館を訪ねても石碑や写真集を目にしても、お元気でおられる平山さんを想像しながら
拝見させていただくのと、亡くなられたこれからでは気持ちが違ってくる。 
実家にも平山さんの絵が掛けてあるが、私も写真や絵葉書、蒼の絵のマウスパットを使っている。
もうこの世にはおられないのだ。 病に臥されても絵筆を握っておられたと言う。
これからの絵はもう見られない、平山さんの絵は偲ぶ絵になってしまった。
素晴らしい巨匠、画家として人として関係ある方々出会われた多くの方の無念は大変なものであろう。
特に町の人たちの驚きや悲しみははかり知れない。 
偉そうかもしれないが、紳士であり、また心深く生口島の風景のようにやさしくて穏やかな素晴らしい
人生を数多くの絵に残された平山郁夫さんの精神や魂は、永遠に人々の心に残るであろう。
平山さんを検索する毎に、測り知れないほどに涙が出るほどに偉大な方であったことを深く思い知らされる。

12月20日まで、瀬戸田町の平山美術館では”秋の特別展 平山郁夫 幻想美の世界”が開催されている。
良かった・・開催の間で。 より多くの方々が平山さんの死を悼み訪ねられることであろうか。
我がふるさとの自慢であり大きな誇りとさせていただいている平山郁夫さんのご冥福を心からお祈り致します。

この国はどこへ行こうとしているのか」 1月掲載の記事より。


* ついに 師走(十二月)になりました! * 

2009年12月01日 | 雑感


ついにと言うか、来るべき一年の終わり師走、カレンダーが一枚となってしまいましたよね。
めくっていったカレンダーには、出来事がいっぱい書き込まれ思い出となって詰まっています。

拙い我がブログではありますが、おいでいただく皆さまに支えられて最終月を無事に迎えられました。
気持ちの中には(あ・・まだあれもやっていない、これも出来ていない)いっぱい遣り残しがあるのですが、
もうじたばたしてもね、せめて表面は心穏やかに(水面下では足をばたばたさせてますが)
家のほこり払い、心のすす払いもしながら、大事に過ごしたいと思います。 

還暦同窓会や還暦記念旅行とかで始まった2009年ですが、今月やっと還暦を迎える訳で(今さら?って感じ)
今月は誕生会、ひろとの生活発表会、なつめの保育園面接、クリスマス会などと様ざまな行事があります。
そして何よりも月の終わりには、4人目の孫が生まれる予定です。
心の準備や生活の準備にいそしみながら、みんなで新しい命の誕生を楽しみにしつつ過ごせる日々、
有難いなぁと思いながら、足腰鍛えてがんばらなくては!

風邪などにはくれぐれも注意を払いながら、新しい年を共に気持ちよく迎えられますようにと念じます。
皆さまへ一年の感謝も込めながら、今月もぼつぼつと更新したいと思います。 
どうか事故や怪我のありませんように・・・。 なんと言っても師も走る12月なのですから。


* ついに 師走(十二月)になりました! * 

2009年12月01日 | 雑感


ついにと言うか、来るべき一年の終わり師走、カレンダーが一枚となってしまいましたよね。
めくっていったカレンダーには、出来事がいっぱい書き込まれ思い出となって詰まっています。

拙い我がブログではありますが、おいでいただく皆さまに支えられて最終月を無事に迎えられました。
気持ちの中には(あ・・まだあれもやっていない、これも出来ていない)いっぱい遣り残しがあるのですが、
もうじたばたしてもね、せめて表面は心穏やかに(水面下では足をばたばたさせてますが)
家のほこり払い、心のすす払いもしながら、大事に過ごしたいと思います。 

還暦同窓会や還暦記念旅行とかで始まった2009年ですが、今月やっと還暦を迎える訳で(今さら?って感じ)
今月は誕生会、ひろとの生活発表会、なつめの保育園面接、クリスマス会などと様ざまな行事があります。
そして何よりも月の終わりには、4人目の孫が生まれる予定です。
心の準備や生活の準備にいそしみながら、みんなで新しい命の誕生を楽しみにしつつ過ごせる日々、
有難いなぁと思いながら、足腰鍛えてがんばらなくては!

風邪などにはくれぐれも注意を払いながら、新しい年を共に気持ちよく迎えられますようにと念じます。
皆さまへ一年の感謝も込めながら、今月もぼつぼつと更新したいと思います。 
どうか事故や怪我のありませんように・・・。 なんと言っても師も走る12月なのですから。


* まず、受け入れること・・ *

2009年12月01日 | 雑感

 

昨日は

年に一度の人間ドックだった。 夕食後9時以降水も飲まず朝食を抜くなんてことまぁないから寂しい。
9時予約だったので10分前に行った。 待合室には、4、5人いただろうか。
受付を済ませ持参した雑誌を読んでいると、70歳を過ぎられたくらいのご夫婦が入ってこられて、
別々な場所へ腰をかけられた。 ご主人は中ほど、奥さまは入り口付近で問診表へ記入をしていた。

「そっちは入り口やから寒いで、もっとこっちへ座りいやこっちの方が温かいで」ご主人が言われたので
(偉いなぁ)「なんてお優しいご主人さま」と即行口から出そうになったのと、ほぼ同時に奥さまの口から、
「黙っといて! 書いてんねん,しんどいんやから」怖い顔をして言われた。 ご主人は罰が悪そうに黙った。
奥さまはよほどしんどかったのかどうか、私は身が縮む思いだった。 (ご主人さまお気の毒)
せっかくの、ご主人の思いやりである。 「ありがとう」と場所移動するか、「ありがとう、先に書いてしまうわ」
とでも言おうか。 ご主人はどんな思いだろう。 たまたまか、普段でもこうなんだろうかと思った。

読みかけの本に目をやりながら、すぐさま思った。
私は自分に見せられたんだと思った。 私も良くある、似たりよったりなこと偉そうな妻だし。
夫が何か言った時、受け入れて相づちをうつよりも先に、自分の思いを言ってしまうのだ。
「こうと違うか?」「そうやね」と言えばいいものを、「何言うてんの、それってこうやん」先に否定してしまう。
たとえ夫の方が間違っていたとしても、「そうやね」まず受け入れて「でもそれはこうやとと思うよ」
そう言ったらどうだろう。 夫もいやな思いをすることなく、面子も立つと言うもの。 

人の会話を聞けば(きつい奥さんやなぁ)と思うけれど、何をかいわんや私の姿を見せられたのだきっと。
”人の振り見て、我が振りなおせ”とは良く言ったものだ。 月のはじめ、そして師走である。
出来れば心穏やかに、一年の終わりを閉めようではないか。 
病院の待合室や喫茶コーナーは、あちこちから人々の会話が耳に入る、人生の縮図多くの学びがある。 
来て良かった、時に来ることも必要かも。 有難さ感謝の再認識。
今日一日の間にどれだけこんなことに出合うだろう、”まず受け入れる”自分になれるだろうか、
もう無意識のうちに沁みついている性格、努力して少しでも減らせこんなやりとり、減らせ体重も。

姉から、ポインセチアの花が届いた。 赤い葉には金銀の粉がきらきらと光っていてとても綺麗。
「還暦おめでとう、少し早いけれど」 クリスマスも近づくことだし、還暦色の赤、真っ赤。
電話を持ったらかかってきた(すごい)「届いたかな」と。 近況や孫の話など。
お互いに持病を持っているが、そんな話の最後は母の受け売り、「がんばろうで~」 

ポインセチアの花言葉:聖なる願い