阪神淡路大震災より13年、万年青に赤い実がついた。
時々私たち夫婦が尋ねる神戸の一人暮らしの婦人の、無二の親友の方からいただいたものである。
震災の年、崩れかけた灘区の岸壁に船を止め、家が全壊し婦人が身を寄せていた親友の家へ
灯油や食料品を買いこんで見舞った時に、お礼にと下さったのだ。 この方も一人暮らしだった。
この方のことは良く聞かされ、喧嘩するほど仲が良いと言われるようにお互い言いたいこと言いながら、
学生時代からずっと親交を深めていた。
長女が二人にお揃いのマフラーをプレゼントしたのを、年賀状に”あの時は本当に嬉しかった
温かいマフラーで今年も冬を過ごしています”と書道教室をされていて達筆な文字で毎年送って下さった。
私も年賀状には”万年青はいつも青々と育っていますよ”と書いていた。
我が家の鉢を整理する時、実をつけないがこの万年青だけはその方のようで処分出来なかった。
昨年からあの唯一墨の文字ですらすらと流れるような文字で書いた年賀状が届かない。
一昨年のクリスマスに急死された。 その二日前婦人に”親の墓参りしないから頭に腫瘍ができるのよ、
お墓参りに行きなさいよ”と電話の声を残して。
その万年青がはじめて赤い実をつけた、まるでその方の生まれ変わりのように・・。
私には、親友を亡くして一段と気弱な婦人をどうかよろしくね、その方の遺言ではないだろうかと思う。
震災の日を迎えるからでなく、水をやるたびにその時のことを思い出すから。
二泊三日の短い鹿児島旅行から帰った翌日からひろとが熱を出していて我が家へ一泊していた。
昨日は早朝ひろとが段々と熱くなり40度の熱、12月は入院したし小さな子供のこと、心配だった。
次女がタクシーで往復してくれたが、インフルエンザでもRSウィルスでもなくてひと安心である、
インフルエンザならあずかれないし、愛ちゃんも困るだろうし。
病院から帰ると元気になって、食欲もあり夕方は熱が下がった、しかし昨日40度あって
今日完全に下がるはずがない、やはり夜中息子から次女へ申し訳ないが頼むと電話があった。
今日は友人三人で有馬温泉、昨日は早朝から一人がお葬式が入って到着が遅れるよとか
一人先に到着すると言う時刻の電話、「私もね孫が熱でね、あずかっているのよ」
”楽しみにしているよ”と言いながら、用意もしていない私は少々後ろ髪ひかれる思い。
それに一番の寒さだと言う。 この再会は私に何を教えてくれるのだろう。
今日の子守は次女しかいないから大変だけど、夫も”がんばれ”と次女に言う。
”休みをもらったばかりで休みを言えなかった愛ちゃんの気持ちが良く分かる”そう言いながら、
引き受けてくれた次女に感謝である。 見てやりたくとも簡単に休めなかった親の辛さも分かる。
こんな時に、なつめの元気でいてくれることがどれだけ有難いことか。
ひろとは寝言に「なっちゃん・・」と言っていた。 喧嘩しながらも一緒に育って行くことはきっといいことに。
万年青・・「玄関に飾ると縁起がいいのよ」そう言って下さった、今は亡き方からの贈り物、
寒い冬もいつも青々として、震災後の荒地の神戸で生きて来られた逞しさと笑顔私に忘れさせない。
ブログも今年は順調な滑り出しかと思いきや、孫から目が離せず訪問も出来ないけれど、
子供たちにしてやれること、子供たちの連係プレーをこの上なく幸せな自分たちであることを思う。
27日は神戸の婦人の81回目の誕生日、(前日お祝いに夫と行きますよ)万年青に語りかける。