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お昼にけんつくさんのブログ「おっちゃんの道草」を開いて読んだ。
涙が流れた。 止まらなかった。
日曜の釣りが決まった木曜の夜「私も行こうかな・・」「おぅ、行こ行こ!」
私が行ったら喜びそうな夫が見えるからそう言った。
土曜の夫のブログの、妹へ返したコメントに「トド参加の、釣り、4、5年ぶりのはず」と書いてあった。
私さえ覚えていなかったのに。
いつか友人と早朝和歌山へ釣りに行った時、見送り寝て間も無い私にひと言メール。
「きれいやで」夫が船から見た関空にかかる朝日のシャメールを送って来たのだ。
赤く染まった空と波を吐く赤く染まった海・・。 (きれい・・)そう思った。
美しさを共有しようとするその思いにじーんときたことがあった。
「朝日が見たいな・・・」と言ったら(撮りたいな・・だろう)と言う笑いをした。
昨日のブログには「物足りない朝日・・トドさん残念」と書いてあった。
私の心お見通しである。 表現が面白くて笑った。
五時間の釣りで、はまち一本の成果。 何度か魚を逃がしたことも残念に違いなかったと思うのに、
最後には、「久しぶりのトドのクルージングでした」と書き止めてあった。
魚もさることながら、朝日が見られて写真が撮れたら、私が喜んだらそれで良かったのかなぁ。
明石海峡大橋の下通って写真撮れたし満足って私が喜んだからそれで良かったのかなぁ。
短い夫の文章の中には、溢れんばかりの思いが込められているような気がした。
世間で良く言われる。
「今度生まれ変わっても、僕と(私と)一緒になってくれる?」と言うせりふ。
私は・・「いいえ、あなたとは一緒にならない」と答える。
三十代のとき、同じ質問をした、その時は可愛く当然の言葉を期待して。
「いいや、今度はもっと可愛げのある女と一緒になる・・」思いがけない返事が返って来た。
「うっそー」なんて言葉を発したかな。 (えー)って顔したかな。
それはそのようになって欲しいと言う夫の願い、夫から私への一生の課題だと受け取った。
私でなく、違った人と一緒になっていたら、もっとゆったりと豊かに暮らせていたと思う。
人には言えない、書けない夫婦の問題も色々とあった。 別れ話をした事もあった。
ごめんなさいと言う私を許したし、ごめんなさいと言えなかった時の私に「例え何度繰り返して
いたとしてもごめんなさいとその時また素直に言うのがほんまの人間やで」と私をさとして
そうして私を受け入れようとした夫。 全てを受け入れ、許してくれた夫。
そんな時も交え、どれだけの年月を私達は重ねてきたであろう。
こんなに沢山の女性がいるのに、私一人で一生を終えるなんて申し訳ない。
誰でも、もし違った人と一緒になっていたら・・また違った人生を歩んでいたかも知れない等と
ちらっとでも思ったりしたことあるに違いない。 私だってある。
この年齢になった時、もし生まれ変わってもあなたと一緒になりたい・・、
心からそう思えたら本物だと思うし素晴らしいと思うのだけれど。
年を重ねるほどに、いい人になって。 そんな夫に私はどんどん甘えて駄目な人になっている。
まるで老後のような夫婦二人の今、お互いに支えあって頑張ろうって励ましあって楽しんでいかないとね。
でも私は言う。 「もし生まれ変わってもあなたと一緒にはならないよ」と。
どうかやり直せるものなら、もっと心からもっとのびのびと生きて欲しいと思うから。
私はいい奥さんではなかったと思うから。
どうぞ生まれ変わったら、別な人と違った人生歩んでよね。
でも・・、もし、もしもよ。 誰もいなかったら・・?
(やさしいあなただからそんなこときっとないけれど・・)
その時は私でも辛抱してよね。 私、やり直すから。
私は生まれ変わっても今の嫁と結婚します。
でも、嫁はどう思ってるのか・・・。
生まれ変わっても、私と結婚すると思われるように頑張っています。
素敵な夫婦から素直なお子様が育って、素晴らしい家族ですね。
目標としたいです。
まず、子供作らなきゃ!?
生まれ変わってもまた奥様と・・。
素晴らしいです、ずっとその気持ち大切にして下さいね。
初めから出来上がった夫婦なんてありません。
一生をかけて本物になって行くのだと思います。
趣味も自分ひとりでは、自己満足蚊も分かりませんが
夫婦で共通の趣味があれば同じ感動が味わえますし、
共通の話題が楽しめます。
って言う事で、主人にブログも。 コンサートも行きますし、釣りにも。
お互いのやりたい事も認め合って寄り添いながらも、
深く干渉せず。 何年も積み重ねて今の私達があります。
寛容な主人のお陰で、今の自分があると思っています。
ぷーさん、今後ともよろしくお願い致します。
追伸:ぷーさん二世、頑張って下さい!
何回も、何回も読み返しました、
自分の子供じみた頭ではどうしても
コメントになる文章がありません。
本当に感動しました!
生まれ変わったらどこかでぜひ、お会いしたいですね。
たぶん、みくさんに見向きもしてもらえませんが(笑)。
いいおはなしをありがとうございます。
主人を見送ってから雨が降り始めました。
今は降ったり止んだりですが、もし今日晴れていたら
この記事書かなかったと思います、多分。
外の薄暗さと雨の音が涙を誘ったような気がします。
晴れていら泣き顔が恥かしいです。
しみじみ主人の温かさや、やさしさを感じています。
育てられたお母さんが素晴らしいのだと思います。
生まれ変わったら、是非お会いしましょう!
お店のお料理食べてみたいんですもの。
見向きもしないなんてとんでもない、その時は
妹さんも是非!
こそっと読んで、こそっと帰っておりましたが・・・(笑)
あまりに素敵なお話なので、思わずコメントなどを・・・・
私とほぼ同じ年代かしら~?いや、お若いかも・・・。
私は「二度とあんたとは結婚せん」と連れ合いに堂々言い放った事がありますし、今でもそう思っております。
でも今日のお話・・・つくづくこんなふうに思える夫婦でありたいものだと思いました。
あちらも反省、こちらも反省・・・こうして今からでも残りの生活を少しでも意義あるものにしたいですねぇ。・・・・考える機会をいただき、ありがとうございました。
またお邪魔させてくださいませ。
いつか機会があればお会いしたいですーー。
言い方下手で、ごめんなさい。
東京に来られる機会があれば、ぜひ。
大阪城ホールで今夜は”けつめいし”のコンサートがあり、
帰りに寄ったのりのり娘達がご飯を食べて今見送りました。
hideさんのブログで何度もお名前、コメント拝見させて頂いております。
一度伺ったことあるのですよ、足跡は残しませんでしたが。
写真と言い、添えられた文章といい、共感を覚えておりました。
兵庫県なのですね。 同じ年代・・?どんな年代?(笑)
いえいえ私より上の女性はきっといらっしゃらないと。
でもご縁です。 考える機会・・そうですか、ならば嬉しく思います。
一つ屋根の下に住みながら、出来れば楽しく生きて行きたいものです。
私は、宝石や洋服なんか特別にいりません。 おしゃれは楽しみますが。
それよりも少しなりとも心豊かに仲良く穏やかに暮らして行きたいなと。
これからが、その旬なのだと思っております。
もし変らないような年代ならばなお嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
生まれ変らなくても・・、もちろん東京に寄せていただく、
そんなチャンスがあれば寄せて頂きますよ。
大の方向音痴ですから一人では何処へも行けないので、
その時は主人と寄せて頂きますので是非よろしくです!
そして赤鬼&青鬼さんの○んどし三回づつなでなでさせてもらいまっす~!
幸い初期だったので、医師は本人にもあっさりと病名を伝えてしまいました。
でも・・出産予定日まであと10日という段階で分かった病気は、私たちにとってあまりにもショックなものでした。
小さな子どもを抱えた私たちは、それからいろいろと考えさせられました。
あれから22年・・。
今でも家族思いで誠実なダンナに対し、私はあまりにもマイペースで申し訳ないぐらいです。
みくさんのおっしゃるように「違った人と一緒になっていたら、もっとゆったりと豊かに暮らせていたと思う」我が家もその通りです。
でもワガママな私は生まれ変わっても、やはりダンナとまた結ばれたいと思っています(*´∇`*)
出産をまじかに癌の宣告・・どんなにショックだったことでしょう。
二度の手術・・長女さんもおられて、どんな思い出産に
望まれたことでしょうか。 母乳はきっと止まったのでは・・。
初期で良かったですね。
しかしずっとそんな事を抱えながらの子育て本当に心をお察し致します。
海外へ旅行へ行かれた次女さん、そう思うと見送った
あなたのその時の気持ちがいっそう感じられます。
誠実で家族思い・・素敵なご主人さま、なんだか似ていますね。
私はまた一緒になってねとは、言いたくても言えません。
きっともっともっと主人は幸せに暮らせるはず、そう思うから。
せめてもの償いは子供達です。 長女、長男、次女、
とても仲が良くて、人の心を大切にする父親思いの家族思いの
やさしい子供達に育ってくれました。
我が家も、主人癌宣告を受けたことあるのですよ。
ブックマークのエッセイの部屋の”祈り”に書いてあります。
(嫌になるほど長いですが・・)
>生まれ変わっても、やはりダンナとまた結ばれたいと思っています(*´∇`*)
廻りでは、別れたいだの、夫君のぐちばっかり言っている方の
いる事を思うとき、mackeyさんの最後の言葉大変嬉しくほっとします。
お互い、大事にしましょう、悲しいかな一度きりの人生なのですから。