日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* しまなみ帰省・一日目 *

2012年08月18日 | 風景・お出かけ

 

夏、 夫の実家を思い浮かべるとき一番に出て来るのは”ノウゼンカヅラ”兄嫁さんが植えたのだろうか。  
私の中では帰る度に暑い夏、枝垂れて咲くノウゼンカヅラはこの家の花、そんな風に思っている。 

そして庭の花は・・義母さんは「きれいじゃのう」そう眺めていたに違いないが、今は花の中に兄嫁さんの少しの息抜きのような姿が見えてしまう。

 

義母さんは以前は早くから起きていたのに、今では起こさないと起きないらしい。
お墓参りに行った。  義兄さんが孫たちを順番に抱きかかえ鐘つきを・・お兄さんはいつもとても良く可愛がってくれる。
この1年半で3人の娘さんが結婚された。  我が孫だったら又どんなにいいだろう、早く孫が出来たらいいのにねと祈りつつファインダーを覗く。

新しくなったお寺、整地された墓、お参りがしやすくなった。  ここから眺める景色には、優しかった義父さんの顔が浮かぶ。 

義兄さんと義姉さんが買い物に行き、兄嫁さんと昼食の用意をする。  嫁同士、なんでも聞いてあげるよ・・そんな気持ちである。 
この間に夫や娘たちはかんたがあせも持ちなので、海に浸かりに行った。  誰もいない海、まるでプライベートビーチだったと夫は言う。



”先の鼻(さきのはな)” 高校の時だったか、遊びに行った時夫は泳いでいて向こうの堤防から「おーい」いと手を振って助走をつけ飛び込んだ
それはいいが、浅瀬でそのとき足を切ったような・・恰好良く見せるはずが、逆にびっこをひき情けない所を見せられた記憶がある。

義姉さんや義兄さんが買い物帰りに寄ったようだ。 こんなショットはまぁ無い。 義姉さんが、「入りたかった~!」 

お昼には弟夫婦も来て賑やかな食事だった。  普段は3人なので、義母さんはどうしたことかと、戸惑っていたかも知れない。
3年前なら笑顔いっぱいで、冗談も言って笑っていたのに・・ね。  顔を見ると辛いと言うか、私は義母さんにあまり話しかけられない。   

午後の予定は、実家へ行き、お墓参り、後ドルチェへ寄って、夜は恒例のバーベキュー。
瀬戸田の花火大会があると言うので、道路事情を考えドルチェを先にした。  夫と娘たち5人・・



私はドルチェには行かず、4月最愛のお母さんを見送ったT美の所に行く為に途中で降ろしてもらった。  
事前に帰省を葉書で知らせていたが、会えるかは分からないと思っていたが、電話をしたらいたので、突然だったが寄らせてもらった。  

彼女とは小学校何年生の頃からだろうつきあい始めたのは、良く覚えていないが以来高校は同じで毎日一緒に通った仲、交流は今に至っている。
お母さんは彼女が定年退職するまで家事をし家を守っていた。 2年前T美が定年退職して家事を交代したが、ゆっくりと娘と過ごす事が出来た。
しもの世話をすることもなくただ、食事が入らなくなり1週間ほどの入院で帰らぬ人となった。 97歳の大往生だった。
お線香をあげさせてもらい、葬儀の写真を見ながらおばさんの話で少しの時間を過ごした。
おばさんが寝ていた部屋に寝ていると言う。  いつも笑顔で迎えてくれたおばさん、最後に会ったのはいつのことだろう。  優しい旦那さんににも会えた。
あっと言う間だったが、お線香があげられ良かった。 気になるもう1人のU子にも会いたかったが、お土産だけことずけた。

夜、花火大会があるサンセットビーチ。  



しまなみ海道をTV番組で見ることは多い。  見るたびに懐かしさで夫と心を躍らせている。
多々羅大橋を見ると、自分が素晴らしいこの島で生まれたと言う自慢、それを再認識しつつ、なぜか心安らぐような気がしている。




実家の庭にはさるすべりやバラの花が迎えてくれた。 そしていつも兄嫁さんが活けてある玄関の花には、庭のサルスベリが入っていた。

兄は朝から花火大会の世話役に行っていて、会えなかった。  
一昨年末、胃を全摘し減った体重、元気だと言うが会ってその元気を目で確かめたかったのに残念だった。
義母さんとは3つ若い母だが、義母さんを思うと母はまだ 手芸をしていてしっかりしていると思う。

「今年はもう、テレビの子守よ、暑いし寝たり起きたり」 電話では大抵こう言っていたので、夏は手作りのもの、していないんだとそう思っていた。
だから「いるのがあったら持って帰りんさい」 見せてくれた作品の数々に、(お母さん、やってるじゃん!) その気力が嬉しかった。  
母の場合、本当に弱った時にはもう針は持てないだろう、そう思っているので(まだ大丈夫)それに子孝行にと健康には特に心がけていることで、
きっと母は手を煩わすことなく生涯を終えるのではなかろうか・・そんな生き方をしているような気がしている。
26日には、兄夫婦、孫、ひ孫11人で宮島に観光に行くらしい。  夫には申し訳ないくらいな、今の母の様子である。



この母を支えてくれているのが、私より1つ年下の兄嫁さん。  私よりもずっと仲のいい母娘のように思っている。
笑顔がいい、いつも笑顔で精一杯のもてなしをしてくれる。  母がいつも有難い、感謝、幸せじゃ、そればかりを言うのが良く分かる。  
電話さえ遠のいている時もある私なのに、夫の実家同様365日を過ごしている日々、帰省するたびにもてなしの心が笑顔から溢れている。  
硬ぶつで厳格だった(過去形)兄にも仕えながら、上手にいい夫婦をしている。  
まさに長男のお嫁さん、母の世話、介護師、しかし繁忙な中にも多趣味で手芸。家具造りなど楽しみも持ち合わせ、すごい人である。
母を看るながら、妹さんがケアマネしている関係で、週2回お泊り介護をしている。 甥っ子のお嫁さんは看護師だし・・母は手厚く守られている。

花火大会には間にあうだろう2人の甥っ子家族には、仕事で残念ながら会えなかったが、ちゃんと娘や愛ちゃん孫4人私にまで色んなお土産を
用意してくれていた。  若いのに・・看護師さん、幼児2人の子育て・・繁忙な中にもいつも心を使ってくれる若い夫婦には頭が下がる。

私は実家に寄っても母と2人で話す事は殆ど無い。 それよりも義姉さんと話す事が大事だと思っている。 
母には愛想の無い娘かも知れないが、母は義姉さんに充分に尽くしてもらっているので、それでいいのだと思っている。
この度は兄嫁さんともゆっくり話す間もなく、ケーキをいただきお墓参り・・と慌ただしかった。 
「みくさん、見て!」 帰り際母の部屋の前にはびっしりのゴーヤの緑のカーテン、陽が少しでも緩和されるようにとの、義姉さんの心を見た。

お盆を過ぎたお寺や墓所はひっそりとしていた。  私が幼稚園時代を過ごしたお寺である。  
お墓は海の見える所がいいと言っていた父、そんな父は海で亡くなった、還暦も迎えずして。  
だから89歳の母はよけいに、お父さんが生きていたらこんなにいっぱい嬉しい事があったのにと、残念さを口にする。
いつもならお墓参りの帰りはお寺の下の父の親元で、叔母さんがお抹茶をたててくれて、スイカやなんやと歓待してくれていたのに・・
昨年早々他界し、今は誰も住んでいない広い家。  
海の見える風景は変わっていないが、40年近くも続いた恒例の叔母さんの家でいただくお抹茶のもてなし、それが無くなったことが寂しい。


夫の実家に戻ったら、長女さん夫婦が来ていてバーベキューの準備がなされていた。  私はお婿さんに初めて会った。  感じのいい人だった。
娘さん3人にお婿さんがついて、兄嫁さんが「このお盆には初めて6人が揃った」と嬉しそうに話してくれた。 
義兄さんは、とりわけ男の子の存在を嬉しく思っていたのでどんなにか嬉しく頼もしく思ったことであろう。 
バーベキューの準備と言うと、夫や弟の出番だったが、若者に変わった。  爽やかな光景だった。

今は毎日いる義兄さんでさえ、息子と分からない義母さん。 一緒にテーブルを囲んだが落ち着かないらしく、食べると早々に部屋に戻られた。
部屋から眺めている潤んだような義母さんの目に、どんな風にこの光景が映っているのだろうか。
(義母さん・・あなたが育てられた子供たちですよ・・お陰で私たちはいつも仲良くさせてもらっていますよ、有難うございます)
そう思いながら義母さんを見ると、涙が出そうになる。

男4人、女1人の兄弟夫婦、私たちが帰省すると言うと、義兄さんは必ず弟たちに声をかけてみんなが揃う。 いつもいつも。
兄弟が多いと疎遠になっている家もあると言う話しを聞く中で、本当に有難いし感謝である。
何と言っても一番お世話になるのは兄嫁さんだ、夫も私も優しい兄さん夫婦、温かい実家があることをとても幸せに思っている。

瀬戸田の花火大会、どうしても気になると言うので夫や弟娘や孫と駄目もとで出かけて行った。
多々羅大橋の手前で道路わきに車を止め、充分に眺められたそうだ。  電話が入った。 「お母さんも来たらどんなに良かったか!」
いえいえとんでもない、私が色々と楽しむ訳にはいかない、お世話下さる兄嫁さんを思うと。

10時前、花火撮影帰りの同級生、生口のアマアツさんが土産に梨のジャムを届けてくれた。 
密なスケジュールだったが、兄弟の和やかな交流、これも無き義父さんや義母さんのお陰である。        (夫画像)



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