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17日カルメン・カサロヴァ ・ヴェロニカ ・カンジェミ(ミカエラ) ・ダルカンジェロ(エスカミーリョ

2009-03-18 | 音楽鑑賞 外来オペラ・・
3月17日(火)   サントリーホール 2F・RA6-3・17,000円・ヤヤ高い

ヴェッセリーナ・カサロヴァ(カルメン/M-s)、・・薔薇の騎士以来の生聴きです
カサロヴァのカルメン像ですが・・バロック唱法?の感じを受けましたが・・
 歌唱、声質は好みですね・・真赤なドレス姿で1幕登場から容姿が大きく見えます・・ ビゼー の音楽は舞台上で聴くと結構オーケストレイションが良いですね
 3幕の有名なフルートの旋律、歌から弦楽5重奏に変化していく、音楽の流れが綺麗です・・オケピット内では中々解らない音楽の流れですね・・
 其れと合唱、東京少年少女合唱隊 ・・上手いと感じました・・

 ヴェッセリーナ・カサロヴァ(カルメン/M-s)、と
 イルデブランド・ダルカンジェロ(エスカミーリョ/Bs)とのニ重唱が素晴らしい、この重唱が白眉でした・・

 ロベルト・サッカ(ドン・ホセ/T)・・・二度目(14日)の歌唱ですね・・他の歌手は暗譜歌唱でしたが、・・終始楽譜とニラメッコで、まだ、自分の物にしてない感じが・・ホセが割り負け気味で・・ホセ嫉妬に狂い、カルメンを殺害・・感情移入も無い感じで・・盛り上がりに欠けていた様な印象を・・・
 歌唱によるのかな?・・結構ブラヴォー受けてましたが・・私の苦手な声質で?

佐藤亜希子(フラスキータ)、鳥木弥生(メルセデス) ご両人が存在感高いし良い味でてました・・素晴らしい歌唱ですね

ヴェッセリーナ・カサロヴァ主演 オペラ『カルメン』


ヴェッセリーナ・カサロヴァ主演 オペラ『カルメン』(演奏会形式)
曲目 ビゼー :オペラ『カルメン』全4幕
指揮 デイヴィッド・サイラス
出演 ヴェッセリーナ・カサロヴァ(カルメン/M-s)、
ロベルト・サッカ(ドン・ホセ/T)、
ヴェロニカ・カンジェミ(ミカエラ/S)動画
イルデブランド・ダルカンジェロ(エスカミーリョ/Bs)、
田島達也(スニガ)、森口賢二(モラレス)
、豊島雄一(ダンカイロ)、小山陽二郎(レメンダード)、
佐藤亜希子(フラスキータ)、鳥木弥生(メルセデス)

合唱 藤原歌劇団合唱部、東京少年少女合唱隊

演奏 東京フィルハーモニー交響楽団

開演 18:30 ・・二度休憩で22時終演・・終バスに乗れて23時過ぎ帰宅

NBSから
 オペラ『カルメン』は、プロスペル・メリメの小説『カルメン』を基にしたもので、アンリ・メイヤックとリュドヴィク・アレヴィがリブレットを作った。音楽(歌)の間を台詞でつないでいくオペラ・コミック様式で書かれている。全4幕。 1875年、パリのオペラ=コミック座で初演されたが不評であった。ビゼーは初演から間もなく死去するが、その後エルネスト・ギローにより台詞をレチタティーヴォに改作されて上演され、人気を博すようになった。フランス歌劇の代表作として世界的に人気がある。近年ではオペラ・コミック様式に復元した原典版である「アルコア版」による上演も行われる。現行の主要な版は原典版のほか、オペラコミック版、グランド・オペラ版、メトロポリタン歌劇場版がある。ギロー版はフランス語圏以外のオペラハウスで、台詞に訛りが付くのを避けるために現在でも使用されている。ビゼー

 ジョルジュ・ビゼーは1838年、フランス・パリに生まれた。最初につけられた名前は、アレクサンドル=セザール=レオポール・ビゼー(Alexandre-César-Léopold Bizet)だったが、洗礼時に改名された。・・ビゼー
 父は声楽教師、母はピアニストで、幼い頃から音楽に親しみ、記憶力が抜群であった。9歳でパリ音楽院に入学し、フランソワ・マルモンテル、シャルル・グノー、ユダヤ人ジャック・アレヴィらに師事してピアノ、ソルフェージュ、オルガン、フーガで一等賞を獲得した。19歳でカンタータ『クローヴィスとクロティルデ』でローマ大賞を獲得。1861年にはリストの新作(リストは、「この曲を正確に弾けるのは私とハンス・フォン・ビューローだけ。」と豪語していた。)のパッセージを一度聴いただけで演奏し、さらに楽譜を渡されると完璧に弾いてのけてリストを驚かせた。この時、リストは「私は間違っていた。3人というべきでした。正確に言えば、最も若いあなたが最も奔放で輝かしいというべきでしょう。」といってビゼーを賞賛した。しかし、オペラ作家としての成功を夢見ていたビゼーは、ピアニストになることを潔しとはしなかった。
 歌劇などの劇音楽を作曲の中心とし、25歳のときの歌劇『真珠採り』でオペラ作曲家の地位を確立する。その後フランス人の作家アルフォンス・ドーデの劇『アルルの女』の付随音楽や、歌劇『カルメン』などを作曲したが、1875年3月にパリのオペラ=コミック座で行われた『カルメン』の初演は、ヒロインが女性労働者だったこともあり失敗に終わった。ヒロインの声域をそれまでに一般的だったソプラノではなくメゾソプラノに設定したことも新しさの一つだった。
 1869年にビゼーは師アレヴィの娘であるジュヌヴィエヴ・アレヴィと結婚した。師は既に1864年に亡くなっていた。『カルメン』初演の約3ヵ月後である1875年6月3日、敗血症のため36歳の若さで死去したが、のちにビゼーの音楽は世界的に認められるようになった。
 なお妻のジュヌヴィエヴは後にビゼーとの間の息子のジャックを連れて、ロスチャイルド財閥の顧問弁護士であるユダヤ人エミール・ストロースと再婚し、花形サロンを形成した。ジャックの学友のマルセル・プルーストが後に自分の小説『失われた時を求めて』のなかで彼女をモデルとしてゲルマント公爵夫人を造形した。

黒田恭一氏 オペラの

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