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8日指揮:・ノリントンシュトゥットガルト放送・ベート/ピアノ協奏4番・ブラームス/交響曲第1

2008-02-10 | 外来 演奏会・指揮者

             ミューザ川崎2FLA6-10・7千円妥当な額

 二曲とも、面白い演奏でした指揮:ロジャー・ノリントン節の独壇場かな・・
実に面白い音波動でした・・ピアノ4番各楽章の主張が明確ですね弦の歌わせ方、ティンパニのアタック感等面白いですね・・好きな二楽章がピアノソロ、ピアニッシモが美しい
惹きこまれます・・小菅 優さん20年後40代で度のように変化していくのであろうか
美しい旋律の時に、何と携帯・着信音が・・皆様注意しましょう。

ブラ1番・・ティンパニのアタック感、オーボエの優雅な響き、ソロヴァイオリンの優美な響きと・・美しいブラ1と想います・・総じて横糸の弦、木管の歌わせ方が面白いですね・・其れに織り成す縦糸が・・終着点?の主張が無いのかな??・・関心すれど感動には至らなかった・・
 BSで神尾さんが面白い事を話してました、曲の美味しい所でパン食い競争の様にその場に立ち寄り過ぎては音楽が進まないと・・縦糸の終着点へ・・

後ビックリが・・プログラムが、1,500円とは・・招待客・オマケが大勢??高いの一言、主催者は何を考えているのであろう・・・

8日 東芝グランドコンサート2008 主催フジTV・後援・サンケイグループ
出 演 指揮:ロジャー・ノリントン
ピアノ:小菅 優
管弦楽:シュトゥットガルト放送交響楽団

サリヴァン/歌劇「近衛騎兵隊」序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調
ブラームス/交響曲第1番 ハ短調

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小菅 優
 現在ヨーロッパで、高度なテクニックと美しい音色、若々しい感性と深い楽曲理解で最も注目を浴びている若手ピアニストの一人である。特に、『ダイナミックな音楽表現』(ハノーファー紙)や『天使の翼の先端が頬に触れた瞬間を感じさせるピアニシモ』(フランクフルト紙)などの批評を得て、ヨーロッパの聴衆から熱狂的な支持を得ている。2000年、ドイツ最大の音楽批評誌「フォノ・フォルム」よりショパンの練習曲全曲録音に5つ星が与えられたほか、2002年に第13回新日鉄音楽賞 、2004年にアメリカ・ワシントン賞、2006年に第8回ホテルオークラ音楽賞、2007年に第17回出光音楽賞を受賞している。
  1983年東京生まれ。東京音楽大学付属音楽教室を経て、1993年よりヨーロッパ在住。9歳よりリサイタルを開き、オーケストラと共演している。

YU小菅 HP
ノリントン




サントリー公演のベートーヴェン3番が実に良い出来ですね・・1楽章の明確な旋律と呼吸観が素晴らしい・・

13日 指揮 イルジー・コウト  ・スメタナ :連作交響詩『わが祖国』  プラハ交響楽団   

2008-01-14 | 外来 演奏会・指揮者

今年最初の演奏会へ わが祖国・1882年11月5日、初演

 聴き慣れた出足の旋律が綺麗ですね、ハープ2台の出から,美しい旋律が・・よどみなく流れる旋律が、氣持ち良く,町並み、流れる風を感じます・・前半、後半も40分程で
全曲は初めて聴くかな・・後半が特に曲想が内省,奥深い精神性を感じます、心の鼓動の高まり、高揚感、呼吸感の高まりが・・演奏が熱いですね・・・

 聴きながら,わが祖国とは・・国外から観た我が国への愛国心・・帰国・宅すれば,我が家は良いと思いますが・・わが祖国とは??・・生活する場、稼ぐ場??・・

祖国とは・・・日本軍人,政治家が僅か63年前朝鮮半島、中国・・侵略したのでは・・

 チェコでは1800年代もハプスグルク帝国の・・最近でもナチに占領され、ロシアにも、スロヴァキヤと分離後、民主国家に僅かな年月しか経っていないですね、
 プラハ城へ他国の王・王妃、アドルフ・ヒトラー(独:Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30)も 城で政務をしたとか・・

 初演時、スメタナ1882年に、まさかヒトラーに、わが祖国を占領されるとは思っていなかったでしょうね。
 日本も私の勉強不足で沖縄・琉球国?て,米国領でしたか・・沖縄の米国占領統治下・・音楽を聴き終わり,何かまとまらない,想い,考えが・・

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連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Má Vlast) は、ベドルジハ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩から成る。
 全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にある会場で行われた。この曲は、毎年行なわれるプラハの春音楽祭のオープニング曲として演奏されることが恒例になっている。
ヴィシェフラド
Vyšehrad  『高い城』とも訳される。
 かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯盛衰を歌う、という内容である。この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭-E♭)が音として刻まれている。
ヴルタヴァ
Vltava  『モルダウ』の名で知られる。
一連の交響詩群の中で最も知られた作品であり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様子が描かれている。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ちが現れている。また日本では合唱曲に編曲されている。

 プラハ交響楽団ニューイヤー・コンサート
曲目 スメタナ :連作交響詩『わが祖国』
指揮 イルジー・コウト       
                   サントリーホール2F・P7-7・4千円

ターボル
Tábor
1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名である。フス派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描いている。彼らの間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられているが、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

ブラニーク
Blaník
1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山地の名である。その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖人と勇士達が眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよみがえって救いの手を差し伸べる、という伝説がある。曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という内容である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スメタナ
ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Bedřich (Friedrich) Smetana, 1824年3月2日 - 1884年5月12日)は、チェコの作曲家であり、「ヴルタヴァ」(モルダウ)を含む一連の6つの交響詩から成る『わが祖国』(Ma Vlast)が特に知られる。
生涯
スメタナはビール(→チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリトミシュル(Litomyšl, Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。父親の抵抗にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。
1874年に梅毒に起因して中途失聴者となるが、作曲活動を続け、この出来事の後に書かれた代表的な作品に『わが祖国』がある。
1884年にスメタナは正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終えた。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。
スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であるといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。 彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを多用し、また、彼の書いた旋律は時として民謡を彷彿とさせる。彼は、同じ様にチェコの題材をその作品中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな影響を与えた。

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沖縄は・・琉球独立論・・歴史、独自の文化,行政が
 1952年(昭和27)4月28日発効の日本国との平和条約で、沖縄は潜在的な日本の主権は認めながら、正式にアメリカ軍の管理下に置かれるようになった。アメリカは琉球政府を創設して沖縄を軍政下に置き、沖縄の各地にアメリカ軍基地・施設を建設した。アメリカ兵による事故・事件が頻発し、住民の死亡者も相次いだ。この状況に対し、住民有志は「島ぐるみ闘争」と呼ぶ抵抗運動を起こし、また、このころから住民は日本復帰を目指して活発な祖国復帰運動を行い、1960年(昭和35)に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を結成した。なお、このころの米大統領アイゼンハワーは、沖縄を返還する気は全く無かったようである。
 1960年代のベトナム戦争によって沖縄が最前線基地とされると、駐留米軍が飛躍的に増加し、これに伴って事件・事故も増加した。また爆撃機が沖縄から直接戦地へ向かうことに対し、復帰運動は反米・反戦色を強めた。一方、米軍による需要がある土木建築業、飲食業、風俗業などに携わる勢力は、復帰反対や米軍駐留賛成の運動を展開し、彼等の支援された議員が復帰賛成派の議員と衝突した。1968年(昭和43)11月には琉球政府の行政主席選挙が行われ、90パーセント近い投票率を記録した。この選挙によって復帰協の屋良朝苗が当選、「即時無条件全面返還」を訴えた。
  日本の施政下へ
詳細は沖縄返還を参照
 日本の佐藤栄作政権は、1970年(昭和45)に予定される安保延長と共に、沖縄の本土復帰を緊急の外交課題とした。このため、70年安保延長反対を唱える日本社会党や日本共産党は、安保と同列の沖縄返還論に反発し、新左翼や学生運動、各種労働組合までも反安保、反返還の一大運動を日本国内で繰り広げた。しかし、これらは沖縄県民の運動とはほとんど結びつかず、県民の真意を汲み取ることにはならなかった。
 1970年(昭和45)12月20日未明、沖縄本島中部のコザ市(現・沖縄市)で、米軍兵士が連続して起こした2件の交通事故を契機にコザ暴動が発生した。常日頃から米軍兵士が優遇され沖縄住民が不当に差別されたことに対するコザ市民の怒りが表面化したもので、これ以上沖縄をアメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に知らしめた。アメリカ政府にとっては、日頃温厚な琉球の人々が暴動をおこした事は大変ショックを受けた。
 1969年(昭和44)の日米首脳会談では、アメリカ大統領ニクソンが沖縄返還を約束した。屋良朝苗や復帰賛成派の県民は日本復帰と同時に米軍基地の全面返還を望んだが、米軍基地を維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還とされ、佐藤はニクソンとの取り決めで、非核三原則の拡大解釈や核兵器持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの利益を最大限尊重した。1972年(昭和47)5月15日に琉球政府は沖縄県となり、沖縄は日本へ復帰した。
 また、日本政府は返還協定第7条にもとづき、特別支出金として総額3億2000万ドルをアメリカに支払った。特別支出金の内訳は、米軍政下で設置された琉球水道公社・琉球電力公社・琉球開発金融公社のほか、那覇空港施設・琉球政府庁舎、あるいは航空保安施設、航路標識などの民生用資産の引き継ぎの代金1億7500万ドルが含まれていた。県民の間からは、「これらの施設・資産は無償譲渡されるべきものであって、アメリカ政府に対価を支払うのはおかしい」といった批判が噴出したが、日本政府は取り決めに従いこの巨額の対価を支払った。このため、沖縄県民や沖縄に同情的な人物の中には「沖縄は日本政府によって金で買い取られた」という認識を強く持つ者、琉球独立論を唱える者がいる。
 この本土復帰を日本による琉球再併合と規定し、沖縄返還ではなく第三次琉球処分と呼ぶ者もいる。
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 アドルフ・ヒトラー(独:Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)はドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党党首として民族主義と反ユダヤ主義を掲げ、1933年首相となった。1934年にヒンデンブルク大統領死去に伴い、国家元首に就任。正式の称号は「指導者兼国首相」であり、これは通例、総統と邦訳されている。軍事力による領土拡張を進め、第二次世界大戦を引き起こしたが、敗色が濃くなると自殺した。「指導者原理」を唱えて民主主義を無責任な衆愚政治の元凶として退けたため、独裁者の典型とされる。イスラエル人ピアニストのD・バレンボイム氏、パレスチナの市民権取得
1月14日19時23分配信 ロイター
 1月13日、世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(写真)が、パレスチナの市民権を取得。2006年11月撮影。代表撮影(2008年 ロイター)

 [ラマラ(ヨルダン川西岸) 13日 ロイター] 世界的に有名なピアニスト・指揮者であるアルゼンチン出身のイスラエル人、ダニエル・バレンボイム氏(65)が、パレスチナの市民権を取得した。イスラエルとパレスチナ間の和平の見本になることを願っているという。
 バレンボイム氏はここ数年、アラブとイスラエルの若い音楽家の接触を推進しようとヨルダン側西岸のラマラで活動している。
 同氏は12日夜、当地で開いたベートーベンのピアノリサイタルの後「パスポートをいただけるとは大変に光栄なこと」とコメント。「イスラエルの人々とパレスチナの人々の運命は切り離せないつながりがあると信じていることも(申し出を)受け入れた理由だ」とし、「幸か不幸かわれわれは一緒に生きなければならない。私はそれは幸せなことだと思いたい」と語った。
わが祖国
チェコ
プラハ城

4日・ティーレマン指揮ミュンヘンフィル ・ブルックナー :交響曲第5番 

2007-11-05 | 外来 演奏会・指揮者
カラヤン広場にて個展が・・

 ミュンヘンフィルは前回来日から10年程とか,確かチェリビダッケの指揮で聴きましたが・・健康面で最悪の時期で、演奏中、止まってしまった記憶が・・あれから,10年ですか・・当時の音色は潜在記憶に無いとは・・弦奏者の中に、日本人の方もチラホラと・・まだ、ベルリンの音色が残っていて・・弦が薄い?・・

 1楽章は??,管が強い,弦が管群の最強音で消える・・ナゼナゼ??席は1階最後方指揮者にほぼ,真直ぐで・・
ニ楽章から景色が変わり、闇美な旋律と、フルート、クラリネット、オーボエと弦の旋律の対話が面白い,重唱でありアリアの様で、・・弦の弱音が綺麗です・・
 三楽章が明るく、リズム感が良いですね,小気味良い音楽の流れが,快適です・・
 四楽章は一楽章の主題の繰り返し的な旋律も・・弦の合奏と,木管のフーガの旋律が大盛り上がりですね。
 久し振りのブル5番生聴きで,特に2,3楽章が印象深い演奏、音楽に・・感銘

11月4日(日) <BMW Japan presents> 
                1F23-25・22,000円奮発し過ぎでした
クリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
   曲目 ブルックナー :交響曲第5番 変ロ長調 1875年から1878年 
                  開演 16:00 サントリーホール 

アントン・ブルックナーの交響曲第5番変ロ長調は1875年から1878年にかけて作曲された。初演は1894年4月8日グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で行われた(このときには、後述のシャルク改訂版が用いられた)。
 金管楽器によるコラールの頻出やフーガをはじめとした厳格な対位法的手法が目立つ。作曲者自身はこの交響曲を「対位法的」交響曲あるいは「幻想風」交響曲と呼んでいた(ほかに、国ごとに「信仰告白」「ゴチック風」「悲劇的」「ピッツィカート交響曲」などの愛称もある)。構築性とフィナーレの力強さにおいて、交響曲第8番と並び立つ傑作という評価もある。
1 献呈
2 楽器編成
3 楽曲の構成
3.1 第1楽章 アダージョ - アレグロ
3.2 第2楽章 アダージョ
3.3 第3楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェ
3.4 第4楽章 アダージョ - アレグロ・モデラート

交響曲第5番 (ブルックナー) 献呈
カール・リッター・フォン・シュトレマイアー(ウィーン音楽大学の講師就任を働きかけてくれた文部大臣)
交響曲第5番 (ブルックナー) 楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バス・テューバ、ティンパニ、弦五部。

研究者によると、この曲は一旦1876年に完成され、その後その自筆稿上に直接改訂を加えたとのことである。1876年の完成形の5番

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11月5日(月)
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団
曲目 チャイコフスキー :交響曲第1番 ト短調 op.13 「冬の日の幻想」
ラフマニノフ :交響曲第2番 ホ短調 op.27
開演 19:00

ティーレマン 談話
ティーレマン

エリアフ・インバル フィルハーモニア管弦楽団 マーラー:第9番

2007-07-11 | 外来 演奏会・指揮者
2007年7月10日(火) 午後7時開演 東京芸術劇場 
                  3FI-18・6千円妥当な額、オークで落札

 フィルハーモニアを聴いてから1990年故ジュゼッペ・シノーポリ指揮から17年が経過している・・確かR2階席で聴いた様な1番で泣いた記憶が・・当時の音色は艶、ウネリ、絶妙なアンサンブルが有ったと想いますが・・

今回、弦の響きが薄い感じを受けましたが?当時からとは演奏者も入れ替わっている事で??特に弦が???
 マーラーは一曲の中でオペラを聴く様な・・劇性、アリア、旋律が・・
 今日は1幕、終幕に感じいる旋律美がありました・・果てしない世界へ導かれていく・・其の世界は、精神世界へ・・慈しみ、愛、浄化へ内面の奥深くへ、そして天空の彼方へ導かれ・・清められ・・

 3FL側、意外と音が良く届きますね・・弦群は楽章を追う事に沈む感じが、管楽器の音がキツイ感じも・・今年はマーラー5,1、9番と聴き・・
 5番が良い出来ですね・・ロンドン交響楽団/LSOが最高でした。

エリアフ・インバル フィルハーモニア管弦楽団
マーラー:交響曲第9番ニ長調
Mahler: Symphony No.9 in D major

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過去の感想
2005年3月7日 (月) エリアフ・インバル指揮ベルリン交響楽団
             サントリー 2FP6-8 4000円・超安い
マーラー九番が優れ物・・何回聴いても感動が
自己肯定・絶望・諦め・活きる・・全ての過去の想いが・・音楽に

エリアフ・インバル指揮ベルリン交響楽団
曲目 マーラー:交響曲第9番 ニ長調

横浜みなとみらいホール 大ホール 3F R1-2  安い
4千円・ネット(4200) ワイン・500円ドリンク券付き) 

指揮:エリアフ・インバル◎/ピアノ:横山幸雄 △
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」○
ベルリオーズ:幻想交響曲◎
幻想が 初めて感動であった・・音 響きに 力・劇性が
オケ奏者が 木管が巧い 弦群の合奏力が 見事で 
ベルリンフィルを目標と・・日本オケと大きな違いが・・弦群の合奏力差・・特にバス チェロの 独特の響きの差が・・本質的な技量の差 給料の差??
トイツ・ベルリン周辺にも多数のオケが存在するが・・在京オケの数等 
競争力・聴衆の動員力は同じような環境と思われるが・・何故 日本オケの貧弱さが目立つのか??


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 過去の演奏会で・・
2001年05月31
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
指揮・ジィムズ・コンロン  シノーポリ・メモリアル                       
ワーグナー・歌劇「タンホイザー」序曲・アンコール
ボイムとコンロンとベルリン国立とドレスデン国立とワーグナー 重厚 波が引いては又 押し寄せる 音のウネリ 感動を伝える波動 感性 オーラ 全てが 凄い 凄い 序曲でこの感動が みなとみらいホールが2FのL舞台横が最高の音響で 残響と音のシャワーを浴びる 驚きが 
 メモリアル 拍手が無く・・・静寂の始まりで
シューマン・交響曲第1番より2楽章
ブラームス・ドイツ・レクイエム  
バリトン・ミヒャエル・フォレ ソプラノ・天羽明恵 Akie AMOU
シノーポリが冗談で私の死の時は シューマンの2楽章を 死は突然・・・
レクイエムが 何十年前にサバリュシュで聴く 祈り祈りと コンロンの解釈は長年オペラで培った リズム感 高揚感と 曲の本質?を 浮き彫りにした オペラ的?かも 其れにしてもコンロンの指揮・音楽波動には 驚きと感動が
 シノーポリは東京芸術劇場の柿にマーラー サントリーでエレクトラ 昨年ウィーンオペラのナクソス島のアリアドネを聴き 生で聞けた事に 感謝と 冥福を  音楽は生き つずける
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LSO

18・19日・ドホナーニ指揮、ブラームス4,2番 ・ハンブルク北ドイツ放送

2007-05-20 | 外来 演奏会・指揮者
 二日連続で聴きました・・4番が新鮮・鮮度200㌫でした実に一粒の音が煌びやか、艶、音楽がありますね、各パートの技量が優れものです
 矢張り、1番、2番でティンパニが暗譜ですね、驚愕です・・長年演奏会通いしてますが初めて目にした光景です・・実に上手いし、不安感が無いし 驚きです

 二夜とも、前半の3番4番が超名演ですね・・一楽章から怒涛の求心力とアンサンブルが
新たなブラームス像を創造した・・縦糸の柱が強靭で横糸の織り成す、木管の暗美な旋律と弦群の豊かな響きと、一音の粒の輝きが素晴らしいですね・・
 今回は3番4番に痺れまくりでした、けして、1・2番が悪い訳ではないのですが、テンポが総じて早めの印象と、此れが必要以上に感情に流されること無く、輪郭が確りした印象を与えたのかな、過去に聴いた一,二番の印象と正反対と感じました

 ブラームスはピッチカットがお好きですね、随所に取り入れて効果を出していますね、木管五重奏と弦群と打楽器の壮大な室内楽と感じ入りました。

5/19[土 18:00・・・                  2FR1-18・1万8千円 
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Cond)、
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
[曲目]
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98/同第2番ニ長調 op.73

[アンコール曲紹介]5月18日
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 ホ短調 op.72-2
5月19日
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 ト短調 op.48-8

18日 オペラシティ・初台               2FR1-40・1万8千円
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Cond)、
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

 ブラームスと言えば・・クララとシューマンですか
3番が出足の弦の明るさ、旋律感、爽やかな風が吹き抜けた・・こんなに明るい曲でしたか?・・新鮮、鮮度200㌫ですね、音色のパレット感が活き活きとし、大海原を駆巡る様な大きなウネリが素晴らしい・・木管、弦群の合奏力素晴らしい・・オケ特有の響きが
意外と明るく透明感があり、重たさを感じさせない弦群ですね、8弦の対向配列・・

 1番は私の好きなティンパニの出足からと・・4楽章のアタックが痺れました、上手い
ティンパニ、譜面台が見えない・・まさか、暗譜??指揮者は暗譜でしたが
 1番コンマスのソロも歌がありますね、明るく、そして暗美な・・

1番は ベーム、ウィーンフィルがベスト1でしたが・・ベスト2かな
 2000年のヴァントとハンブルク北ドイツのブルは最高でしたね
[曲目]
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90/同曲第1番ハ短調 op.68

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クリストフ・フォン・ドホナーニ(首席指揮者)/Christoph von Dohnanyi (Chefdirigent)
ベルリン生まれ。法律の勉強を始めるが音楽に転向。ミュンヘン音楽大学で学んだ後、フロリダ州立大学で高名な作曲家・指揮者の祖父、エルンスト・フォン・ドホナーニに師事。
1953年、サー・ゲオルグ・ショルティの指名でフランクフルト歌劇場の指揮者兼コレペートルとなる。リューベック歌劇場、カッセル歌劇場、フランクフルト歌劇場の音楽総監督、ケルン放送響の首席指揮者を歴任。1978年から1984年はハンブルク歌劇場のインテンダント兼首席指揮者を務める。1984年から2002年まで18年間にわたりクリーヴランド管弦楽団の音楽監督として辣腕を振るう。1997年フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者に就任。
アメリカとヨーロッパの主要オーケストラならびに歌劇場のすべてに客演。ザルツブルク音楽祭の常連でもある。録音もウィーン・フィルなどと活発に行っている。
2004/05シーズンから北ドイツ放送響の首席指揮者に就任。

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団/NDR-SINFONIEORCHESTER
第二次大戦直後の1945年夏、指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットの尽力により創設された。1982年首席指揮者にギュンター・ヴァントが就任、妥協を許さぬ厳密な指導によりオーケストラの実力と名声は一段と高まった。その後もエリオット・ガーディナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、クリストフ・エッシェンバッハのもと、ドイツの伝統を受け継ぐがっしりした構成、重厚な響きを聴かせるオーケストラとして高い評価を得てきた。ハンブルク、キール、リューベック、ブレーメンで公演を行う一方、放送局所属のオーケストラとして北ドイツ放送のラジオ・テレビ番組のために膨大な作品を録音している。
2004/05シーズンにクリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。ハンブルクゆかりの指揮者ということもあり、すでに地元の絶大な信頼と人気を勝ち得ている。

 ブラームスは、ハンブルクで生まれた。彼に最初の音楽レッスンを行った父は、コントラバス奏者であった。ピアノの早熟な才能をあらわし、10歳で作曲家でピアニストのエドゥアルド・マルクスゼンに師事。レストランや居酒屋でピアノを演奏することによって家計を補った。
 彼自身はピアニストとして確かな腕を持っていたが、同時代の名手と比べると地味な存在であった。演奏活動は行っていたが後に作曲専業になることを決意して、放棄した。しかしながら、1859年と1881年には、ピアノ協奏曲第1番とピアノ協奏曲第2番の初演を自ら行っている。この2曲のピアノ・パートは共に難度が高く、これを自分で弾きこなしたブラームスのピアノ演奏技術は高いものであったのではないかと思われる[要出典]。
 その後、演奏よりも創作活動に興味を持つようになって作曲を始めたが、1851年になるとすでに自己批判から作品を廃棄し始めていた(19歳以前の作品は記録が残るのみでまったく現存しない)。1853年にハンガリーのヴァイオリニスト・レメーニイと演奏旅行に行き、彼からジプシー音楽を教えてもらったことが彼の創作活動に大きな影響を及ぼした。この演奏旅行中に J. ヨアヒム、フランツ・リストとロベルト・シューマンに会って作品を見てもらった。シューマンは、「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」誌に発表してブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じた。ブラームスは、14才年上のシューマンの妻クララを知り、1854年のシューマンの投身自殺未遂と2年後の死以降も、生涯に渡ってクララと親しく交流を続けることになった。恋愛に近い関係になった時期もあったようだが、ブラームスが彼女と結婚することはなかった[要出典]。・・
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ブラームス
ハンブルク