道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

08/06 パウンドケーキ&クレマカタラーナ

2014年08月06日 | スイ-ツ・お菓子

【パウンドケーキ】

「パウンドケーキ」は、バターケーキの一種。

小麦粉、バター、砂糖、卵をそれぞれ1ポンドずつ使って作ることから「パウンド」ケーキと名付けられた。

フランス語では「カトル・カール」と言い、「4分の4」の意味。これも小麦粉、バター、砂糖、卵の4つの材料を同量ずつ使うことに由来する。

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【クレマカタラーナ】

「クレマカタラーナ」は、別名を「クレマ・デ・サント・ジョゼフ」または「クレマ・クレマーダ」ともいう。
クレームブリュレによく似たかたカタルーニャ地方のの洋菓子である。
カスタードの上にパリパリしたカラメルがトッピングされている。
通常3月19日の聖ヨゼフの日に食べられる。

カスタードは卵黄と牛乳またはクリーム、小麦粉から作られる。砂糖、オレンジの皮、シナモンで味付けされている。
食べる直前に冷やしたカスタードの上に砂糖をまぶし、バーナーで炙ることで、冷たく軟らかいカスタードの上に熱いパリパリしたカラメルの層ができる。

バーナーが発明される以前は、サマランドという鉄製の火こてをよく熱して砂糖の上にかざすことでカラメルを作っていた。

クリームブリュレの起源を主張する地域はたくさんあるが、カタルーニャ人も、「クレマカタラーナ」はフランスのクレームブリュレの祖先であると主張する。

2つの主な違いは、「クレマカタラーナ」はクレームブリュレのように湯煎が行われないことである。また、クレームブリュレが主にクリームを使っているのに対し、「クレマカタラーナ」はクリームと牛乳の両方を使って作られる。

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08/03 クロカンブッシュ&クリスマスプディング

2014年08月03日 | スイ-ツ・お菓子

【クロカンブッシュ】

「クロカンブッシュ」は、フランスの菓子。
台の上に、カスタードクリームを入れた小さなシューを飴などの糖衣で貼り付けながら円錐形に積み上げた飾り菓子。フランスではウエディングケーキとして使われる。

シューはキャベツを表し、子孫繁栄の願いと豊かな収穫を願うものである。二人で持った木槌で割りながら分けて参列客に配る。
「クロカンブッシュ」頂上には夫婦の像や
ドラジェや飴細工のバラを飾る。シューが祝福してくれる人々を表すとも言われ、出来る限り高くする傾向がある。また洗礼式や結婚式以外のお祝いにも使われる祝い菓子である。「ビエスモンテ」の一種とされれる。

名称はフランス語で糖衣やシューが口の中でカリッと崩れる様子を表す。

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【クリスマスプディング】

「クリスマスプディング」は、イギリスの伝統的なクリスマスケーキ。具材にプラムが使われることが多いため、「プラム・プティング」とも呼ばれる。

味や食感、外見は日本人が想像するケーキや一般に「プリン」と呼ばれるカスタードプディングとは大きく異なる。
味は濃厚で芳醇、その食感は「ドライフルーツが舌に絡む」とも言われる。

『歴史』

中世のクリスマスに作られた濃厚なスープ、あるいは肉と果物が入ったポリッジが「クリスマスプディング」の起源とされている。この粥はケルト神話の収穫の神ダグザに肖って作られたものが起源とする説もある。

16世紀までにクリスマスのシンボルとしての地位を確立し、清教徒革命中のクリスマスでは、「クリスマスプディング」はミンスパイと共に製作を禁止された。
チャールズ2世の時代に、材料に増粘剤が加えられて現在のような固形の料理になり、チャールズ・ディケンズが著した「クリスマス・キャロル」にも固形状の「クリスマスプディング」が登場する。
そしてヴィクトリア女王が「クリスマスプディング」を英国王室のデザートに採用して以降、イギリス国民のクリスマスに欠かせないデザートとして定着した。

各家庭ごとに異なる味とレシピがあり、イギリス人にはこれについて一家言持つ人が多い。しかし、今日では手製の「クリスマスプディング」の代わりに市販のものを購入する家庭が多くなっている。

『製法』

生パン粉と小麦粉、ミンスミートと呼ばれる牛脂、卵、砂糖、ブランデーなどにつけて柔らかくしたドライフルーツ、クルミなどのナッツ類、香辛料(ナツメグ、シナモン、クローブ等)、ラム酒などの材料を混ぜ合わせて一晩寝かせる。「クリスマスプディング」の材料についての迷信に、13種類の材料が使われていなければならないというものが存在する。
生地をオーブンで焼き上げると、イギリス風クリスマスケーキになる。

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08/02 ミルフィーユ&ミル・クレープ

2014年08月02日 | スイ-ツ・お菓子

【ミルフィーユ】

「ミルフィーユ」は、フランス発祥の菓子の一種

歴史のある菓子であり、形状や製法も様々なものがあるが、現在では3枚のフイユタージュ(日本では通称パイ生地)にクリームを挟み、表面に粉糖がまぶされたもの。あるいはフォンダンがかけられているものが基本とされている。

『一般的な種類』

・ミルフィユ・ロンー丸い形状のミルフィユ、側面にはカスタードクリームを塗り刻んだフイュタージュをまぶし、上面に粉糖をまぶしたもの。

・ミルフィユ・グラッセーフォンダンがけにしたミルフィユ、チョコレートで矢羽模様などを描き飾りとしているもの。

・ミルフィユ・ブランー3枚のフイュタージュ生地を用いる代わりに、中央の1枚をスポンジケーキに置き換えたもの。

・ミルフィユ・オー・フレーズー苺のミルフィユ、ナポレオン・パイとも言われる。クリームだけでなく苺も挟みこんだもので、冷やして供される。

ミルフィユに用いられるクリームとしてはカスタードクリームがよく知られているが、生クリームやバタークリームなども広く用いられている。叉クリーム以外にも、アブコットジャムやリンゴのコンポートなどが使われる場合もある。

『由来と歴史』

フランス語で「ミル」は(千)、「フィユ」は(葉)を意味しており、一般的に「千枚の葉」という意味だと理解されている。

「ミルフィユ」に用いるフイュタージュは、四角く広げた小麦粉生地に平らにしたバターを乗せ、何回も折りたたんで作るもので、折りたたむ工程を重ねるほど層が増し、パリパリとした食感になっていく。
工程を5回繰り返し729層となったものや、6回繰り返し2187層になったものが主に用いられており、その層になった生地を何枚か重ね合わせて、さらに沢山の層をしているという状態を「千」で表現し、また層になったフイユタージュの落ち葉をイメージさせるような独特の焼き上がりを「葉」として表現し、ミルフィーユという合成語として文学的に言い表した名前となったとも考えられている。

偉大なる古典と言われる菓子であり、1807年にはフランスの「食通年鑑」の食味鑑定委員会が「ミルフィユ」を鑑定している。創造者は同時代の著名な菓子職人であったアントナン・カレームだとも言われており、フランスのルージェが得意としていたとも伝えられている。

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【ミル・クレープ】

「ミル・クレープ」は、ケーキの一種。クレープを何枚も作り、間にカスタードクリームや果物を入れながら重ねたもの。
日本発祥のケーキで「千枚のクレープ」という意味のフランス語が名前となっている。「ミルク」」と「クレープ」の合成語ではない。
実際には20枚前後のクレープを使うことが多い。

西麻布のカフェ、ルエル・ドゥ・ドゥリエールと、南麻布のカフェ、ペーパームーンがそれぞれ元祖を主張している。
どちらも同じ工場でケーキを作っていた時期があった事からこのような事態になっている。

「ミル・クレープ」が日本中に広まったっかけは、ドトールコーヒーがルエル・ドゥ・ドゥリエールから許可を得て売り出した事だとされている。

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08/01 マルチパン&パンドーロ

2014年08月01日 | スイ-ツ・お菓子

【マルチパン】

「マルチパン」は、スペインのトレドやラ・リオハ、ドイツのリューベックやシチリアのパレルモの名物として知られる洋菓子である。砂糖とアーモンドを挽いて練り合わせた、飴のような食感のある菓子で、独特の風味がある。

本来のスペイン語により近い読みは「マサパン」である。ドイツ語で゛は「マルツィパン」という。イタリアでは「マルツァパーネ」または「パスタ・レアーレ」という。
フランス語では「マスパン」または「パトダマン」、英語では「マージパン」、ポルトガル語では「マサパン」という。日本ではドイツ語読みが由来の「マルチパン」と英語読みが由来の「マジパン」の両方が普及している。現在のところ後者の方が主流である。

『歴史』

「マルチパン」は中世にアーモンドと砂糖が手に入りやすくなった中東で発明されたようである。10世紀のアッパース朝時代には、アーモンドを挽いてシロップに加えて煮詰め、色々な形に成形した。
ロージナージュ・ヤビースという菓子があり、ハルヴァーの一種として親しまれていたる
ヨーロッパににはトルコ人によって東ヨーロッパ経由でドイツのバルト海沿岸に伝わったルートと、南からアルダス(イベリア半島)やシチリアに伝わったルートの2つが考えられる。中世ヨーロッパでは、貴族の宴会で「マルチパン」が食べられていた。

ドイツでは1407年にリューベックか゛飢餓に陥った際、市参事会がパン職人に、市の倉庫に大量に眠っているアーモンドを使って食べる物を作って欲しいと依頼し創らせたのが起源と伝えられている。現在では市庁舎近くのカフェ・ニーダーエッガーが「マルチパン」の店としてドイツ全土にその名を轟かせている。

シチリアでは、マルトラーナ教会の修道院で、教会を復活祭の祈りに訪問した大司教を驚かせるために果物そっくりの形をした「マルチパン」が発明されたと言われている。

この他、スペインのトレドやポルトガルのアルカルヴェ地方も「マルチパン」で有名である。

形と文化』

「マルチパン」は様々な形に造形して着色した、一口大のものが一般的である。果物や野菜の形をしたものが多く、そのほかにも動物や人物など、色々なものがある。鮮やかに着色されているので、店先では菓子というよりままごと遊びの玩具のように見える。

モーツアルトクーゲルのようなチョコレートやシュトレンの中の詰め物に使ったり、薄く伸ばしてアイシングやクリームの代わりにケーキのデコレーションに使うこともある。ドイツの伝統的なウェディングケーキやクリスマスケーキはこの「マルチパン」を使ったデコレーションケーキが使われる。

ドイツでは祝い品として使われることも多く、有名なのは紙製の金貨をくわえた豚をかたどった「グリュックシュヴァイン」(幸福の豚)である。オーストリアやドイツの一部の地域などでは大晦日にこれを贈りあう習慣がある。

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【パンドーロ】

「パンドーロ」は、イタリアのヴェローナの銘菓である。バネットーネと共にクリスマス特有の菓子の一つである。

『概要』

一説によるとによると、元々の製法はオーストリアで研究され、そこで「ウイーンのパン」と呼ばれていたものに由来すると言われている。他の説では、逆に、裕福なヴェネツィア人のテーブルに供されていた「パーネ・デ・オーロ(黄金のパン)」に由来するのだろうと言われている。

生地は軟らかく、玉子由来の黄金色で、バニラの香りである。形状は先端のない円錐形で星型にえぐられていて、通常は8つの頂点がある。
材料は、小麦粉、砂糖、卵、バター、カカオバター、酵母である。
作製技術は特に複雑で、多数の作業工程を経て作られる。
ちなみにドライフルーツが入るものは「パネットーネ」と呼ばれるが、ひちらはミラノの銘菓である。

 

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07/31 ウエハース&マカロン

2014年07月31日 | スイ-ツ・お菓子

【ウエハース】

「ウエハース」は、洋菓子のひとつで焼き菓子の一種。

小麦粉、卵、砂糖などを混ぜ合わせ、格子模様の入った型で挟み薄く焼いたもの。短冊形で、非常に薄くパリパリした食感が特徴。

アイスクリームにつけて出されたり、2枚のウエハースにクリームを挟んで売られることが多い。
「ウエハース」自体は主に食感を楽しむものであり、味のバリエーションはクリームやアイスクリームに依存していることが多い。子供向けの栄養補助としてカルシウムを添加されている商品もある。
チョコレートが挟んである商品も多く、一世を風靡した「ビックリマンチョコ」やネスレの「キットカット」もその一例である。

アイスクリームにつけて出される場合、アイスクリームで冷えて味が分からなくなった舌を、「ウエハース」を食べることで舌の感覚を戻し、またアイスクリームを美味しく食べられるうにする目的がある。そのため、この場合の「ウエハース」はクリームも付けられない単なる1枚の板である。

半導体材料となる薄い円盤を「ウエハース」と呼ぶが、これは洋菓子の「ウエハース」に由来する。

キリスト教の儀式で使用される「ウエハース」のような無発酵の薄焼きパンも「ウエハース」と呼ばれることがある。

『語源と歴史』

英語の「wafer」の語源は、中世のオランダ・ベルギー・北部ドイツなどの中欧諸国において使用された中低ドイツ語の「蜂の巣」を意味する。「wafel」からきており、中世英語の「wafre」として確認できる。ゴーフル、ワッフルとも語源は一緒であり、蜂の巣状の凸凹のある焼き菓子を示している。
14世紀にはイギリスで「ウエハース」が街中で売られていた。

『日本の事情』

ゴーフル・ワッフルなどとそもそも始祖は一緒なのであるが、ワッフルは、日本国内では格子状・ハニカム状の凸凹のある厚手の焼き菓子の名称となっており、より薄手のものを「ゴーフル」と呼称する。

フランス語における「Gaufre」は、日本語でいう「ワッフル」のことを示す。しかしゴーフルは日本国内で東京風月堂、神戸風月堂、および上野風月堂の登録商標となっており、こらは薄手でパリパリした食感の薄手の焼き菓子である。

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【マカロン】

「マカロン」は、アーモンドを使ったフランスを代表する洋菓子である。

『概要』

「マカロン」と名の付く菓子には色々な種類があり、単に「マカロン」と言えば、通常は固く泡立てたメレンゲに砂糖、アーモンドプードル(パウダー)等を加えて混ぜて焼き上げた柔らかい2枚の生地にクリームやジャム、ガナッシュを挟んだ「パリ風マカロン」のことを指し、正式には「マカロン・ムー」と言う。彩りも豊富で贈り物としても人気がある。

「パリ風マカロン」は、パリにある「ラデュレ」菓子店の経営者ピエール・デフォンテーヌが、1930年に2枚の「マカロン」にジャムやクリームを挟んで売り出したのが始まりである。

日本では生地を小さく絞ったまま焼いたものも「マカロン」として売られていることがある。

「ラデュレ」の「マカロン」は、日本経済新聞の日経プラスの「おすすめマカロン」で見事一位を獲得した。
バニラ以外には、チョコレート・ローズ・ピスタチオ味が有名だが、梅や抹茶などの「和風マカロン」も作られている。

現在でもフランスの各地で、様々な「マカロン」が作られている。13世紀から作られているサン=テミリオンの「マカロン・クラックレ」や、16世紀から作られているナンシーの「スール・マカロン」などが有名である。

最も古い「マカロン」は、791年から現在まで製造されているロワール地方のコルムリー修道院の物である。この他、ピレネー=アトランティク県=ジャン=ド=リュズなどにも名物の「マカロン」が存在する。

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07/30 シャルロット&ピーチ・メルバ

2014年07月31日 | スイ-ツ・お菓子

【シャルロット】

「シャルロット」とは、女性の帽子に見立てた洋菓子。

パン、スポンジケーキまたはビスケット、クッキーを型に貼り付け、その中にフルーツやピュレやカスタードなどを詰め、冷やしたものである。

元来は、硬くなったパンを型に合わせて切ってバターに浸して型の内側に貼り付け、中にリンゴやナシなじの果実を詰めて焼いた、熱い「シャルロット」が作られていた。

アントナン・カレームがロシア皇帝アレクサンドル1世に仕えていてた時、型の内側にビスキュイ・ア・ラ・キュエールを貼り付け、ババロアを詰めて冷やした「シャルロット・リュス(ロシア風シャルロット)」を考案した。

現在では主にスポンジケーキやビスキュイ・ア・ラ・キュエールが使われ、中にはホイップクリーム、イチゴやチョコレート、ババロアなどが使われ、また、それらを同じ味付けをしたゼラチンの薄い層で覆い、冷やして供するのが一般的である。

『形式』

1・大きな皿を帽子のツバに、本体を頭の部分にして一般的にはリボンを架けて見せる。

2・シャルロット型(約10センチの深さのある円柱または円錐の型)の内側にビスキュイ・ア・ラ・キュエールやパンを貼り付け、クリーム、ムース、ババロアやフルーツを詰めたもの。温および令アトルメ、氷菓の3種類がある。中に詰めるフィリングによって名前が変わる。

「シャルロット」は下ごしらえが簡単なため、多くの種類が作られてきた。「シャルロット」のほとんどは冷やして供されるため、暖かい季節によく好まれる。「フルーツ」は、フルーツビュレやジャムをカスタードまたは生クリームと組み合わせる。イチゴ、ラズベリー、リンゴ、ナシ、およびバナナなどを使う。

果物を使わないタイプはカスタードやババロアを使う。「チョコレートシャルロット」は層の間にムースを使用する。近年ではレモンバター(レモンカード)も使用される。

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【ピーチ・メルバ】

「ピーチ・メルバ」とは、1892年か1893年に、ロンドンのサヴォイ・ホテルの料理長だったオーギュスト・エスコフィエによって考案されたデザート。

『概要』

バニラ・アイスクリームの下地にバニラ・シロップ漬けの桃を乗せ、ラズベリー・ソース、アーモンドのスライスを掛けたデザートて、オーストラリアの歌手ネリー・メルバがサヴォイ・ホテルで食事をした際、特別製のデザートとして供されたのが始まりとされる。

また、このデザートをメルバが気に入り名前を尋ねたところ、エスコフィエが「ピーチ・メバルと呼ばせて頂ければ光栄です」と答えたとされることが名前の由来とされる。

古内東子の楽曲「Peach Melba」は、デザートを指すものではなく架空の香水の名称である。

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07/29 スフォリアテッレ&パスハ

2014年07月29日 | スイ-ツ・お菓子

【スフォリアテッレ】

「スフォリアテッレ」は、イタリア、ナポリ地方の名物の焼き菓子。
その名称はイタリア語で「ひだを何枚も重ねた」という意味を持つ。アマルフィ地方の修道院が発祥であるとの説がある。

貝殻をかたどったひだが何層もあるパイ状の生地の中にリコッタチーズ、カスタードクリームやアーモンドクリーム等を入れ、オーブンで焼き上げる。パリパリとした非常に硬い焼き上がりとなるが、美味。
ナポリ以外でもイタリアを代表する菓子として高級レストランのデザートなどに登場する。

『発祥』

「スフォリアテッレ」は17世紀、アマルフィ海岸に面した、サレルノ県コンカ・ディ・マリーニにある「リマの聖ローサ修道院で生まれた。
その誕生は極めて偶然だった。ある日のこと、修道院の厨房にあるセモリナ粉が痛みつつあった。これを見つけた厨房係りの修道女は、それを捨てる代わりに、乾燥果物、砂糖、リモンチェッロを少量ずつ加えることである餡を得た。
そして出来上がった餡を包むため折りパイ生地の先端部分を利用し、餡を詰めたパイを高温の竃に入れた。出来上がったこの菓子は修道女たちや修道院近隣の住民の間で人気となり、修道院にちなんで「サンタローサ(聖ローサ)」と呼ばれるようになった。

1818年、ナポリ人バスクアーレン・ピンタウロが経緯は不明ながらそのサンタローサの秘密のレシピを手に入れた。
彼はレシピに軽いアレンジを加え、新しく貝の形に作ることを思いつき、今につながる「スフォリアテッレ」を生み出した。
現在でも彼の菓子屋は、営業の仕方は変わってしまったが、200年前と変わらずナポリのトレド通りに店舗を構えている。

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【パスハ】

「パスハ」は、正教会が広く信仰されている諸国で作られる菓子である。大斉の間に節制されていた乳製品と鶏卵を用いて作られる。復活祭のためのクリーチという円筒形のケーキと共に受難週間の間に作られ、聖大に教会に持ち寄られ、復活大祭の徹夜の後に成聖される。料理の名は正教会の復活祭である「パスハ(復活大祭)」から来ている。

『概要』

「パスハ」はトヴォログと呼ばれるカッテージチーズに似たカード、バターと卵黄から作られる伝統的な復活大祭の料理である。その白い色はハリストス(キリストのギリシャ語読み)の純潔、神の子羊、そして復活の喜びを象徴している。

ロシア正教の伝統では、「パスハ」は普通、四角錐形に成形される。この形は教会の象徴であり、ハリストスの墓を表すとも言われている。
「パスハ」は伝統的に分解して洗うことが可能な「パソチニツァ」と呼ばれる木枠で作られるが、近年では、プラスチックのような近代的な素材の型も使われている。
型には乳精が抜けるように穴が開いている。バニラやアーモンドエッセンスで香りをつけ、レーズンや果物の砂糖漬けを加えることもある。

作り方は、「パスハ」の材料をよく混ぜ合わせて鍋に入れ、弱火で加熱してからガーゼを敷いた型に詰めて18~24時間ほど重石をして乳精を抜いて押し固めるものと、加熱せずに型に入れて固める物の二通りがある。

「パスハ」の表面は、アーモンドや果物の砂糖漬けを用いて、伝統的な宗教的象徴で飾られる。

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07/28 ロクム&バクラヴァ

2014年07月28日 | スイ-ツ・お菓子

【ロクム】

「ロクム」は、砂糖に澱粉とナッツ(クルミ・ピスタチオ・アーモンド・ヘーゼルナッツ・ココナッツ)を加えて作る、トルコの菓子。
マシュリク、バルカン半島、ギリシャの他、欧米でも知られる。英語ではターキュシュ・ディライト(トルコの悦び)と呼ばれる。
食感は柔らかく弾力があり、日本の「ゆべし」に似ている。

『作り方』

砂糖を水に溶かして火にかけ、コーンスターチなど澱粉を溶き入れ、飴状になったらナッツを混ぜ入れ、澱粉をまぶした型に入れて、冷まして固め、冷めたら正方形に切って澱粉と粉砂糖をまぶす。マスティック・ガムで香りをつけることもある。

『歴史』

アッバース朝時代の9世紀には、すでに砂糖と澱粉を使った餅状の菓子の記録があるが、油が入っているなど、名称と製法は「ロクム」とは異なっている。
18世紀末に創業したイスタンブルのアリ・ムヒッディン・バジュ・ベキル製菓会社によると、トルコでは15世紀から作られていた。
語源はアラビア語のラーハトゥル=ハルクム「喉の満足」である。
当時の「ロクム」は澱粉の代わりに小麦粉を使い、蜂蜜や糖蜜で甘みをつけていた。コーンスターチと砂糖を用いる近代的な製法は、同社によって19世紀に発明された。ヨーロッパには19世紀に伝来しもてはやされた。

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【バクラヴァ】

「バクラヴァ」は、中東、西アジア、中央アジア、カフカース地方、バルカン半島、北アフリカで人気のある甘いペーストリー。
フィロ生地の間に刻んだクルミ・ピスタチオ・ヘーゼルナッツ・アーモンドなどを挟み、焼き上げてから濃いシロップをかけたもの。
他の料理と同様、地域によって調理法に違いがあり、特に大きな違いとして、ナッツの種類、フィロ生地の材料や厚み、調理時のシロップの量、シロップに蜂蜜を加えるかどうか、が挙げられる。
シロップにはレモンの果汁やローズウォーターが入ることもある。

『概要』

「バクラヴァ」は複雑な層を成すデザートである。長方形または円形の焼き皿の上に紙のように薄いフィロ生地を溶かしたバターを塗りながら何枚もむのせて作られる。バターは保存性を考慮し、澄ましバターが好まれる。
生地を6,7層重ねたところに砕いたナッツや少量の砂糖やシナモンをのせる。
ナッツはクルミやピスタチオが好まれるが、時にアーモンドやペカンの組み合わせが用いてられることがある。ギリシャには、炒ったヒヨコマメを用いる地域もある。
ナッツ層の上にさらにバターを塗ったフィロ生地を重ね、鋭いナイフで刻み目を入れ、焼く。
オーブンから取り出し、シロップをかける。通常は菱形、三角形または正方形に切り、食卓に出される。
澄ましバターで作られた「バクラヴァ」は長持ちし、冷凍保存もできる。バターと砂糖を多量に含んでいるため極めて甘く濃厚な味わいである。

トルコでは、主に「バクラヴァ」の専門店で職人が作るので、ガズィアンテブの「バクラヴァ」をもって最高とする。ナッツの代わりにカスタードクリームを挟んだ「クレマル・バクラヴァ」もあり、黒海沿岸のハムスが豊富な地域では、ハムスの「バクラヴァ」も存在する。イラクではゲイメルという水牛の乳から採った濃厚なクリームを挟むこともある。

地方によっては、「バクラヴァ」を生地から作ることが花嫁修業の一種であった。

『歴史』

「バクラヴァ」の起源はよく知られていない。アッバース朝の首都・バグダードでは、マスティック・ガムとローズウォーターで香りをつけた極薄い生地で包み、アーモンド・オイルで揚げた菓子が10世紀すでに知られており、現在の「バクラヴァ」の素材のほとんどが揃っていたことがうかがえる。中世のアラブ社会には今日の「バクラヴァ」とほとんど同じ製法の菓子があったが、「バクラヴァ」という名称はずっと後まで出てこない。トルコ語の記録には、16世紀むに「バクラグ」という名称で初めて登場する。

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07/25 ブールドロ&カンノーロ

2014年07月25日 | スイ-ツ・お菓子

【ブールドロ】

「ブールドロ」は、丸のままのリンゴの実をパイ生地で包んで焼いたフランスの菓子。

16世紀には作られていた記録がある伝統的な菓子である。古くは脱穀作業の季節の?に、近所から持ち寄った材料で作る習慣があった。ノルマンディー地方が本場とされる。

「ブールドロ」というのはノルマンディーでの呼び名であり、語源はフランク語起源のフランス語の古語「bihurder(冗談を言う)」とされる。パリ郊外のベルシュ地方では「ブールデーヌ(私生児)」、オルレアンでは「ガロパン(小僧を指す名詞だが関連性は不明)」、ピカルディ地域圏やアルデンヌ県では「ラポート(オランダ語の古語でウサギ)」、の地方名を持つ。

『作り方』

焼きリンゴと同じようにリンゴの芯を抜いて砂糖とバター、あるいはグロゼイユのジャム、アーモンドのパウダーなどを詰める。リンゴはノルマンディー特産のカルヴィル種を使うのが正統。折り無パイ生地や練りパイ生地で包み、卵黄を塗ってオーブンで焼く。
ラボートの地方名で呼ぶアルデンヌ県では、生地で作った耳やレーズンの目で飾り付けて、ウサギの顔に見立てた形に作って焼くこともある。

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【カンノーロ】

「カンノーロ」は、イタリアのペストリー菓子である。「カンノーロ」の発祥地はシチリア島であり、シチリアの菓子の中でも最も有名なものの一つである。「カンノーロ」は現在一年中食べられるが、本来は謝肉祭を祝って作られる季節菓子である。イタリア系アメリカ人のデザートとしも大変人気が高い。

『語源』

「カンノーロ」の意味は「小さな筒」で、ラテン語のカンナ(canna)を語源としている。直訳すると〇〇だが、竹やサトウキビの茎の意味もある。ちなみに、かって「カンノーロ」を円筒状に調理するためにサトウキビの茎が多く利用されていた。現代でも、家庭内で「カンノーロ」を調理する際はサトウキビを利用する人もいるが、公共衛生観念からレストランや菓子店などの商業施設での使用は許可されていない。

『概要』

イタリアの「カンノーロ」は、小麦粉ベースの生地を薄く延ばし、正方形に切ってから金属製の円筒に巻き付けて低温の植物油かラードで筒状に揚げた皮の中に、甘みをつけたリコッタ・チーズにバニラ、チョコレート、ピスタチオ、マルサラ酒(シチリア地方のワイン)、ローズウォーターやその他の風味のうち幾つかを混ぜ合わせたクリームを詰めたものである。

シチリア地方では羊乳製リコッタが使用されるが、その他の地方では牛乳製も使用される。
「カンノーロ」が元々季節菓子だったのも、冬の間羊乳の脂肪分などが増え、コクと旨味が増すからである。菓子職人によっては小さく切った果物の砂糖漬けやズッカータを、クリームに混ぜたり両端を飾ったりする。シチリア地方以外ではリコッタではなくカスタードクリームを使用する菓子職人もいる。

皮の生地には砂糖、塩、重曹、シナモン、卵黄、マルサラ酒、ラードが入り、ココアを混ぜてチョコレート味にすることもある。
「カンノーロ」の大きさは様々で、指よりも細い「カンヌーリッキ」から、シチリア島パレルモの南にビアーナ・デッリ・アルバネージ特産の拳サイズのものまで見受けられる。
クリームを詰めると皮が水分を吸って湿ってしまうため、大きさに関係なく、食べる直前まで待ってから皮にクリームを包めた方が、クリームの柔らかさと皮のパリパリ感の対比を最大限に楽しむことが出来る。

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07/24 ビュッシュ・ド・ノエル&カヌレ

2014年07月25日 | スイ-ツ・お菓子

【ビュッシュ・ド・ノエル】

「ビュッシュ・ド・ノエル」はケーキの一種。ブッシュ・ド・ノエルともいう。

『概要』

フランス語でノエルが「クリスマス」、ビュッシュは「木、丸太」で「クリスマスの薪」の意。
基本的にはクリスマスケーキとして食べられる。他のケーキ同様に洋菓子店で売られるが、一部出来合の材料を使うことで、家庭でも比較的簡単に作ることが出来る。

輪切りにしていない長いままのロールケーキの表面をココアクリーム(ココアで茶色く着色したバタークリーム)で覆い、そこにフォークでひっかくようにして波形の筋をつけて、樹皮をかたどる。さらに枝を模したチョコレートや、雪を模したホイップクリームや粉砂糖でデコレーションして作られる。

なぜ薪の形なのかについては幾つかの説があるが、一つは「キリストの誕生を祝い、暖炉で夜通し薪を燃やした」ことに由来するとも言われる。
ただし、クリスマスかキリスト教以前の冬至祭を起源とするのと同様、元々北欧の古い宗教的慣習から続くものとの説も存在する。

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【カヌレ】

「カヌレ」はフランスの洋菓子。正式名は「カヌレ・ド・ボルドー」。

フランスのボルドー女子修道院で古くから作られていた菓子。蜜蝋を入れることと、カヌレ型と呼ばれる小さな型で焼くことが特徴。

そもそもカヌレとは、「溝のついた」という意味である。外側は黒め焼き色が付いており固く香ばしいが、内側はしっとりとした柔らかい食感を持つ。

ボルドーではワインの澱を取り除くため、鶏卵の卵白を使用していた。そのため大量の卵黄が余り、その利用法とて考え出されたものという。

コーヒーの液体を生地に混ぜた「コーヒーカヌレ」という種類も存在する。

『作り方』

鍋で牛乳を沸騰させ、そこにラム酒、バター、砂糖、薄力粉、全卵、卵黄、バニラを加えたのち生地を漉して反日寝かす。カヌレ型に蜜蝋を塗り、休ませておいた生地を流し込みオーブンで焼き上げる。蜜蝋の代わりにバターを使用してもよい。

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07/22 オペラ&クラフティ

2014年07月22日 | スイ-ツ・お菓子

【オペラ】

「オペラ」は、チョコレートとコーヒーのアントルメである。

それは、クラン・マルニエまたはコアントローのシロップをしみ込ませたビスキュイ・ジョコントで、またガナッシュとバタークリームで層になっていて、チョコレートのグラサージュで覆われている。

「オペラケーキ」の発案は、1960年代のガストン・ルノートルによるものだという主張があるが、ダルワイヨの館で発案された可能性もある。またさらに早いのが1899年にルゴロワの広告で提案された「オペラケーキ」で、同質の可能性がある。

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【クラフティ】

「クラフティ」はフランスの伝統菓子。

ルムーザン地方の伝統的なタルト生地の中にサクランボを並べ、卵、牛乳、生クリーム、砂糖を混ぜたものを加えて焼き上げたプリンのような菓子。
リムーザン地方が発祥地だが、19世紀にはフランス全土にひろまっていた。

リムーザン地方ではタルト生地を省略したり、果物を別のものにしたものは「フロニャルド」と呼び区別しているが、他の地域ではそこまでの拘りはない。

果物はサクランボ以外にもスモモ、キイチゴ(ラズベリー)、クロイチゴ(ブラックベリー)、クランベリー、リンゴ、プルーンなどでも代用できる。

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07/19 ジンジャーブレッド&ガレット・デ・ロワ

2014年07月19日 | スイ-ツ・お菓子

【ジンジャーブレッド】

「ジンジャーブレッド」は、生姜を使った洋菓子の一種。
ジンジャークッキー、あるいはそれを家の形に組み立てた「ジンジャーブレッドハウス」を指すこともある。

『概要』

「ジンジャーブレッド」の起源は、古代ギリシャ時代に、ロードス島のパン屋が焼いたものと言われる。
中東から十字軍が欧州に持ち帰ったことで各地に広まり、現在では東欧からアメリカまで広く見られる。小説「メリー・ポピンズ」の中にも登場する。

イギリスではとても一般的なケーキてある。ローマ時代に、アフリカ産の良質の生姜とともに伝わったとも言われる。なかでも、ヨークシャーなどイングランド北部には、パーキンというオートミールと糖蜜を使った「ジンジャーブレッド」があり、ガイ・フォークス・ナイトに食べる習慣かある。
アメリカでは冬、特にクリスマスの前後に食べることが多い。

『材料』

生姜はジンジャーパウダー(乾燥粉末のもの)、あるいは摺り下ろしたものの絞り汁のみを使う。また甘味を付けるには糖蜜(トリックルもしくはモラセス)を用いるため「ジンジャーブレッド」も黒みかかった色となる。
生地の中にマスタードやレーズン、ナッツ類を加えることや温めたレモンソースなどを添えることもある。

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【ガレット・デ・ロワ】

「ガレット・デ・ロワ」は、公現祭の日に食べるフランスの菓子である。

『概要』

フランスの地方ごとに少しずつ異なるが、最も一般的なものは紙の王冠がのった折りパイにフランジパーヌ(アーモンドクリーム)が入ったパイ菓子で、中にフェーブと呼ばれる陶製の小さな人形が一つ入っている。公現祭(1月6日)に家族で切り分けて食べ、フェーブが当たった人は王冠を被り、祝福を受け、幸運が1年間継続するといわれる。

伝統的には、家族が集まった中で一番小さい子供をテーブルの近くに呼び、目隠しをさせて大人の誰かか切り分け、この子供に誰が配るかを指名させる。
そして、昔は毎週家族が集まって食事をするのが常であったので、フェーブが当たった者は次の週末の会食の際に「ガレット・デ・ロワ」を自作するか鵜入して皆に供した。この際、前回王冠を手にした者は、この者が男性であった場合は女王を、女性であった場合は王を家族の中から選ぶ。
子供を喜ばせるため、しばしばこの女王か王には子供が選ばれる。

「ガレット・デ・ロワ」は1月1日の14時に売り出されるのが慣習になっており、フランス人はこれを食べないと1年が始まらないという。
日本でも「ガレット・デ・ロワ」を置く店が増えており、フェーブだけを単独て゛販売する店もある。

『起源』

「ガレット・デ・ロワ」の起源は、古代ローマのサートゥルヌスの祭典サートゥルナーリアに遡る。サートゥルナーリアの饗宴では豆を一つ入れたケーキが供され、豆が当たった出席者を宴の王とする習慣があった。公現祭を祝う習慣のある地域では、フランス同様公現祭に豆やコインを隠したケーキを食べる習慣があり、カタールニャ州には「トルテリュ」、ブロバンスにはブリオッシュ生地で作る「ガトー・デ・ロワ」、ギリシャやキプロスは「ヴァシロビタ」、アメリカ合衆国南部の旧フランス領には「キングケーキ」がある。

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07/18 アフォガート&ズコット

2014年07月19日 | スイ-ツ・お菓子

【アフォガート】

「アフォガート」は、バニラ風味のアイスクリームやジェラートに飲料をかけて食べるスタイルのイタリアのデザート。「affogato」とはイタリア語で「溺れた(アイスクリーム)」の意である。
かける飲み物はエスプレッソが最も一般的であるが、コーヒーや紅茶やリキュールなどバリエーションが豊富で、かける飲み物によって「〇〇アフォガート」と呼び名が変わる。

日本ではバニラアイスにエスプレッソコーヒーをかけた「コーヒーアフォガート」がよく知られている。

『作り方』

あくまでアイスクリームが主役なので、注ぐ飲み物の量は少なくしたほうが良い。

「コーヒーアフォガート」にコーヒーをアイスクリームに注ぐ際は、溶けたアイスクリームによってコーヒーの味が薄まるため、コーヒーの香りや味を楽しみたければ濃い目のコーヒーを用いる必要がある。
好みで香りをつけたココアパウダーやシナモンパウダー等を少量ふりかける。

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【ズコット】

「ズコット」とは、ルネサンス期、イタリア・トスカーナ地方、フィレンツェで誕生した丸いドーム型のセミフレッドのケーキ。

名称は15、16世紀の兵士のドーム型金属製ヘルメットを指す「ズコット」、またはカトリック教会の聖職者の半球型頭巾を指す「ズケット」に由来する。

16世紀中頃フィレンツェで、建築家・彫刻家であったベルナルド・ブオンタレンティがメディチ家のために創作したとされている。彼は氷に硝石を加える食品冷凍技術の発明者としても知られる。
半球形の形は敬愛するフィリッポ・ブルネレスの代表作であるフィレンツェの象徴であるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーボラへのオマージュとも言われている。

フランスのアンリ2世に嫁いだメディチ家のカテリーナ・メディチが、菓子職人とともにフランスに持ち込んだと言われ、現代のアイスクリームの原型の一つとされる。現代のアイスクリームとの違いはクリームに鶏卵を含まず乳製品主体である。

長く忘れられていたが、1950年代にフィレンツェの老舗洋菓子店「シエニ」が16世紀のレシピを復元し、復活させた。フィレンツェのリストランテ、トラットリアのデザートメニューとして登場するが、ティラミス、パンナコッタなどに比べ製法が複雑で時間がかかることから自家製である場合は少なく、また家庭で作られることも比較的希である。

『製法』

オーブンでパン・ディ・スパーニャを焼き、帯状に切り分け、半球形の型の内側にパン・デイ・スパーニヤの表面の焼き色をクーボラのリブに見立てて放射状に敷き並べる。
パン・デイ・スパーニヤにヴィンサント、アマレット、サンブーなどの酒精強化ワインやリキュールを染み込ませ、細かく刻んだヘーゼルナッツなど種実類やチョコレートを入れた生クリーム、リコッタチーズ、ヨーグルトチーズなどを詰め、パン・ディ・スパーニャでフタ開けるとして冷凍庫などで凍らせる。
型から取り出し、室温でセミフレッドに戻し提供される。粉糖、ココアパウダー、溶かしチョコレートなどで飾られる場合もある。

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07/17 カイザーシュマーレン&クイニーアマン

2014年07月17日 | スイ-ツ・お菓子

【カイザーシュマーレン】

「カイザーシュマーレン」は、最も有名なオーストリアのデザートひとつであり、オーストリア=ハンガリー帝国の時代から人気で、バイエルン州でも人気のデザートである。

『名称』

「カイザーシュマーレン」の意味するところについては、語源に関する論議がある。
「Kaiser」は文字通り「皇帝」の意味に翻訳できるが、「Schmarm」は難しい。「Schmarm」は「ごたまぜ」「混乱」「パンくず」「トライフル」「つまないもの」「ふわふわしたもの」「温和な虚辞」とさえ翻訳される。

『調理』

「カイザーシュマーレン」は、軽い、キャラメルをかけたパンケーキで、穀粉、卵、砂糖、塩、および牛乳を材料とする甘い生地を、バターで焼いて作る。
「カイザーシュマーレン」は様々な方法でも調理できる。生地は通常より卵を多く使う。「カイザーシュマーレン」を作るとき、白身から黄身を取り分け、つのが立つまで混ぜてから、穀粉、砂糖を混ぜた黄身、その他の材料(ナッツ・サクランボ・スモモ・リンゴジャムや小さく切ったリンゴ・キャラメルをまぶした干しぶどう・アーモンド片)を加える。
パンケーキを焼くときに、小片にする。調理後に細長く裂いて、通常、砂糖をふりかけて、アップルソースやプラムソース、またはスモモ、コケモモ、イチゴやリンゴといった果物のコンポートと添えて温製で供される。
「カイザーシュマーレン」は、デザートとして供されるが、観光地のランチとしても供される。オーストリア・アルプス山岳のレストラン、宿泊施設では、十分な食事である。

『由来』

この料理は、オーストリア皇帝・フランツ・ヨーゼフ1世のために最初に調理されたと一般に信じられているが、由来には諸説ある。
ある疑わしい説は、皇帝とヴィッテルスバッハ家からの妻エリザベートに関わるものである。
皇后エリザベートは腰回りを細く保つことに執心し、王室のシェフに軽いデザートのみを調理するよう命じて、厳格なことで悪名高い皇帝に狼狽といらだちを与えた。
シェフが菓子を用意すると、エリザベートは栄養豊富すぎることを理由に食べることを拒否した。激怒したフランツ・ヨーゼフは「では、シェフがどんなシュマーレンを即席で作ったか見せてくれ」と皮肉を言った。これが見かけ上、彼と彼の妻への調理を終える承認となった。
こうして、このデザートは帝国中で「カイザーシュマーレン」と呼ばれた。

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【クイニーアマン】

「クイニーアマン」とは、フランスのブルターニュ地方における伝統的な洋菓子の一種である。フィニステール県ドゥアルヌネの名物で、イヴ=ルネ・スコルディアというパン職人によって1860年頃に創出された。名称はブレイス語の菓子という意味。

作り手によって差はあるものの、一般的に外側は固めの食感で香ばしく、内側は甘味だけでなく塩気も感じられるものが多い。フランスではブルターニュ産の塩バターを用いる。

『作り方』

強力粉と薄力粉を混ぜたものにドライイースト、砂糖(グラニュー糖)、塩、バターを加えたブリオッシュ風の生地を作り、冷蔵庫でしばらく寝かせる。
薄く延ばした生地を折り込んでは冷蔵庫で休ませる工程を繰り返したのち、砂糖とバターを敷いたアルミホイルなどの小さな型で発酵させ、オーブンで焼成する。

『歴史』

イヴ=ルネ・スコルディアは1828年7月5日に生まれ、1855年7月16日にマリー・アンヌ・コレンティーヌ・グェグァンと結婚して1856年にドゥアルヌネでパン屋を開業した。

1860年頃のブルターニュでは、小麦粉が不足し、バターが豊富にある状況であった。このため、小麦粉400g、バター300g、砂糖300という異常な配分のパン生地が作られた。もちろん、パン生地としては失敗であったが、準備したものを無駄にするのは避けようとこれをそのまま焼いたところ、小ぶりなしっかりとしたケーキとなり、美味であった。

イブ=ルネ・スコーディアは1878年10月11日に他界する。1861年生まれの娘ユルシュール・ガブリエル・スコルディアは、エルヴェ・ロラン・クロゾンと1879年7月14日に結婚し、パン屋を継いだ。
「クイニーアマン」は定期的に注文されるようになり、しばしば複数の従業員に助けられ、イーストを使わないパン類で素早く作るレシピを発見するに至った。

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07/16 シュトレン&フランクフルタークランツ

2014年07月16日 | スイ-ツ・お菓子

【シュトレン】

「シュトレン」は、ドイツの菓子パン。シュトーレンとも表記される。
生地はドライフルーツやナッツが練り込まれており、表面には砂糖がまぶされている。

ドイツではクリスマスを待つアドベンの間、少しずつスライスして食べる習慣がある。
フルーツの風味などが日ごとにパンへ移っていく為、今日よりも明日、明日よりも明後日、とクリスマス当日が段々待ち遠しくなる。

発祥はザクセン州のドレスデンで、その歴史は14世紀にまで遡る。ドレスデンでは、12月の第1土曜日に巨大な「シュトレン」がパレードする祭りが行われる。

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【フランクフルタークランツ】

「フランクフルタークランツ」は、ドイツ西部のライン川の支流のひとつ、マイン川の下流域に位置する都市・フランクフルト・アム・マインの銘菓である。

リング形の王冠のような形をしたケーキで、全体がバタークリームで塗られ、上部きはクロカンと呼ばれるクルミ入りのカラメルで覆われている。

名称は、ドイツ語で都市・フランクフルトと花輪を意味するクランツに由来する。

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