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07/17 カイザーシュマーレン&クイニーアマン

2014年07月17日 | スイ-ツ・お菓子

【カイザーシュマーレン】

「カイザーシュマーレン」は、最も有名なオーストリアのデザートひとつであり、オーストリア=ハンガリー帝国の時代から人気で、バイエルン州でも人気のデザートである。

『名称』

「カイザーシュマーレン」の意味するところについては、語源に関する論議がある。
「Kaiser」は文字通り「皇帝」の意味に翻訳できるが、「Schmarm」は難しい。「Schmarm」は「ごたまぜ」「混乱」「パンくず」「トライフル」「つまないもの」「ふわふわしたもの」「温和な虚辞」とさえ翻訳される。

『調理』

「カイザーシュマーレン」は、軽い、キャラメルをかけたパンケーキで、穀粉、卵、砂糖、塩、および牛乳を材料とする甘い生地を、バターで焼いて作る。
「カイザーシュマーレン」は様々な方法でも調理できる。生地は通常より卵を多く使う。「カイザーシュマーレン」を作るとき、白身から黄身を取り分け、つのが立つまで混ぜてから、穀粉、砂糖を混ぜた黄身、その他の材料(ナッツ・サクランボ・スモモ・リンゴジャムや小さく切ったリンゴ・キャラメルをまぶした干しぶどう・アーモンド片)を加える。
パンケーキを焼くときに、小片にする。調理後に細長く裂いて、通常、砂糖をふりかけて、アップルソースやプラムソース、またはスモモ、コケモモ、イチゴやリンゴといった果物のコンポートと添えて温製で供される。
「カイザーシュマーレン」は、デザートとして供されるが、観光地のランチとしても供される。オーストリア・アルプス山岳のレストラン、宿泊施設では、十分な食事である。

『由来』

この料理は、オーストリア皇帝・フランツ・ヨーゼフ1世のために最初に調理されたと一般に信じられているが、由来には諸説ある。
ある疑わしい説は、皇帝とヴィッテルスバッハ家からの妻エリザベートに関わるものである。
皇后エリザベートは腰回りを細く保つことに執心し、王室のシェフに軽いデザートのみを調理するよう命じて、厳格なことで悪名高い皇帝に狼狽といらだちを与えた。
シェフが菓子を用意すると、エリザベートは栄養豊富すぎることを理由に食べることを拒否した。激怒したフランツ・ヨーゼフは「では、シェフがどんなシュマーレンを即席で作ったか見せてくれ」と皮肉を言った。これが見かけ上、彼と彼の妻への調理を終える承認となった。
こうして、このデザートは帝国中で「カイザーシュマーレン」と呼ばれた。

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【クイニーアマン】

「クイニーアマン」とは、フランスのブルターニュ地方における伝統的な洋菓子の一種である。フィニステール県ドゥアルヌネの名物で、イヴ=ルネ・スコルディアというパン職人によって1860年頃に創出された。名称はブレイス語の菓子という意味。

作り手によって差はあるものの、一般的に外側は固めの食感で香ばしく、内側は甘味だけでなく塩気も感じられるものが多い。フランスではブルターニュ産の塩バターを用いる。

『作り方』

強力粉と薄力粉を混ぜたものにドライイースト、砂糖(グラニュー糖)、塩、バターを加えたブリオッシュ風の生地を作り、冷蔵庫でしばらく寝かせる。
薄く延ばした生地を折り込んでは冷蔵庫で休ませる工程を繰り返したのち、砂糖とバターを敷いたアルミホイルなどの小さな型で発酵させ、オーブンで焼成する。

『歴史』

イヴ=ルネ・スコルディアは1828年7月5日に生まれ、1855年7月16日にマリー・アンヌ・コレンティーヌ・グェグァンと結婚して1856年にドゥアルヌネでパン屋を開業した。

1860年頃のブルターニュでは、小麦粉が不足し、バターが豊富にある状況であった。このため、小麦粉400g、バター300g、砂糖300という異常な配分のパン生地が作られた。もちろん、パン生地としては失敗であったが、準備したものを無駄にするのは避けようとこれをそのまま焼いたところ、小ぶりなしっかりとしたケーキとなり、美味であった。

イブ=ルネ・スコーディアは1878年10月11日に他界する。1861年生まれの娘ユルシュール・ガブリエル・スコルディアは、エルヴェ・ロラン・クロゾンと1879年7月14日に結婚し、パン屋を継いだ。
「クイニーアマン」は定期的に注文されるようになり、しばしば複数の従業員に助けられ、イーストを使わないパン類で素早く作るレシピを発見するに至った。

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