佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

もしや・・・

2010-05-07 | 平和
ああ、夢だったのか・・
目覚めた直後の落胆は、次第に、もしや正夢・・・?という希望に変わりつつあります。

その少し前まで、私は鳩山首相と間近で話していました。

大きな建物の会議室のようなところで、窓側は全面ガラス張りです。
真下の広場では、人々が万歳を叫んだり踊ったり歌ったりしていて、
広場の向こうには、青い青い海が広がっています。

そう、そこは沖縄、辺野古の海でした。
鳩山首相が「普天間基地は閉鎖して国外移転します」と発表したばかりです。
私はメディアの記者らしく、腕に腕章をはめ、マイクを手に質問。

「国外移転はいつ決断されたのですか?」

「いつですか?初めからずっとそう思っていましたよ」

「でも、つい先日沖縄に来られた時は県外移設は無理だっておっしゃってたではありませんか」

「あれは私の本意ではありません。あの時はああ言うしかなかったのです」


いつの間にか場面は変わって、海を見下ろすバルコニーのようなところで、
他の記者の姿も見えず、カレはオフレコだと言って、そっと語ってくれました。


私は、ずっと沖縄の基地は縮小すべきだと思っていた。
しかし、官僚の抵抗は予想以上に強かった。
戦後ずっと米国べったりだった官僚組織は、私よりも米国の顔色を窺って仕事している。

この現状を知るにつれ、私は、直球では無理だと悟った。
一度官僚の筋書きに乗って見せるしかないと思った。
さも心変わりしたように見せかけ、
元の辺野古案をお色直しして持ちだし、交渉する。

沖縄県民はもとより多くの国民が怒るだろう。
当然です。公約違反だから。
私は信用を失い詐欺師と言われるかもしれないが、それも良しとしよう。
日本中が怒って、どこも基地を受け入れないと頑張れば、
官僚もやっと悟るだろう。
国内移転も無理。沖縄も無理ということを。

そうすれば、残る道は一つしかない。国外撤去。
日米再編の時の今こそがそのチャンス。
私のモットーとする友愛の精神でぶつかれば、オバマ大統領の了解も必ず得られる。

そう信じて、忍の一字でやってきました。
と、鳩山さんはにっこり笑って・・・

私は、
ああ、ベルリンの壁崩壊以来の衝撃がこれから始まるんだ…
沖縄からも日本全土からもすべての基地がなくなる日の始まりが、今おこっているんだ…
という感動が怒涛のように湧きあがり…

そこで目覚めてしまいました。
はぁ~ 夢だったか~ やっぱりね~

でも、もしや・・
もしやと、私は、夢見る夢子さん。



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首相へ そしてあなたへ

2010-05-06 | 平和
鳩山首相が沖縄で語った言葉
「すべて県外にというのは現実問題として難しい。
沖縄の皆さんにご負担をお願いしなければいけない」
を聞いて、がっくり肩を落としたのは沖縄県民だけではないでしょう。

友人Mさんは、その数日前、鳩山さんに再びメールを送りました。
辺野古移転案をなんとか思い直して欲しい、これ以上沖縄の人を苦しめないでほしい、
基地はもう日本中から撤去してほしいと、心を込めて訴えています。

このメールは首相だけでなく、あなたにも見てほしいと、私は思いました。
首相の考えを変えることができるのは、国民であるあなたや私だからです。
Mさんの了解を得て、再び公開させて頂きます。



鳩山首相へ

5月1日の琉球新報は次のような記事を載せています。

 「米軍普天間飛行場の返還問題で30日、鳩山由紀夫首相の秘書官の佐野忠克氏が喜納昌吉参議院議員(民主)に、辺野古沿岸部へのくい内桟橋方式により、1800メートルの滑走路1本の代替施設を建設する案で政府が最終調整していると明かした。」

 この記事は事実なのですか。
 こんなものが鳩山首相の「腹案」なのですか。

4月29日、9万人もの沖縄県民が「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」に参加した事実を、首相は重く受け止められたと思います。9万人という大勢の方たち、子供たち、学生、若者、父母、おじいおばあ、本当に多くの沖縄県民が、普天間飛行場の県内移設を拒否したのです。
この沖縄県民の方たちの大きな意思というのは、普天間基地の完全撤退以外にはあり得ない、というのは当然のことです。埋め立てを桟橋にしようが滑走路を1本に減らそうが、到底了承できるものではありません。

去年夏の政権交代は、私たち国民を、生活の面では苦境に陥らせ、賃金格差を拡大させ、そして外交の面では、私たちの意思に反してアメリカの軍事計画に加担させられて来た自公政権から、やっと実現した政権交代でした。この政権交代が実現する前から、鳩山首相は、普天間基地移設を「少なくとも県外」とおっしゃって来ました。

私は、その首相の言葉をずっと信じて来ました。鳩山首相なら、きっと本当に「少なくとも県外」を実現させて下さるものと思って来ました。まして沖縄県民の方々が、29日にあれ程の強い意思表示をされたのです。ですから、どうか、どんな形であれ、普天間基地移設を沖縄県内に置くようなことは止めて下さい。

私は山梨県に住む一人の主婦です。そして、沖縄だけでなく日本全土から全ての米軍基地を撤去して欲しいと強く希望する者です。

日米軍事同盟が大事だと政治家や官僚が言うのなら、その人たちの地元に米軍基地を持って行くよう提言なさって下さい。恐らく誰ひとりそれを受け入れる人はいないでしょうし、地元の方たちが猛反対するのは目に見えています。徳之島の人たちや沖縄県の人たちがあれ程の意思を持っているのと同様に、日本の全ての県民が、恐らく自分の県に米軍基地を置くことなど望んでいないでしょう。つまり、もう日米軍事同盟は、実際、ほとんど全ての国民が望んでいないものなのです。

これからは鳩山首相が仰るような世界各国との「友愛」の関係を築くことが大事であり、今はそれを実現させる絶好の機会と捉えられると思います。

この米軍基地問題では、鳩山首相が本当に悩まれていることを私たちは知っています。これまでの自公政権の時の首相らのように、国民の意思を踏みにじってアメリカの方だけを向き、弱い地方を犠牲にするような政治などは簡単に出来るでしょう。
一方、アメリカや一部の政府高官、官僚の意思に反した、それぞれの地域に住む一人ひとりの市民の意思を重んじて下さるような政治はそう簡単ではないと思います。
しかし、本当に日本の将来を考えるならば、世界の国々が友好関係で結ばれるような状況が最も安心安全な世界であり、鳩山首相はそのような世界の実現に向けて必ず踏み出して下さるものと、私たちは期待しております。それを実現させることができるのは、今鳩山首相以外にいらっしゃいません。

ですから、もう一度、私は首相に強くお願い致します。

どうか、普天間基地をどのような形にせよ沖縄県内に移設するような愚挙をなさらず、またそれだけでなく、アメリカに対しては明確に「全ての在日米軍基地撤退」を言い渡し、それに代わる対等な平和友好関係を築いて下さい。

2010年5月1日
                           山梨県北杜市
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見どころいっぱい! 2

2010-05-04 | 佐世保・長崎


この重々しい石造りの塔はな~んだ?
どこにあ~る?

県内の方はご存じでしょう・・ね?

これは、虚空蔵山にある展望台でーす!

虚空蔵山と言っても、石木川の源流を生み出す川棚の虚空蔵山(608.5m)ではありません。

西海市の虚空蔵山(306.8m)です。

調べてみると、長崎県内には4つも虚空蔵山がありました~
前述の2つの他に、諫早市(295.6m)と佐世保市(209.2m)にも・・・
知らなかったなぁ。。
きっと虚空蔵という名のお坊さんがあちこちの山に籠って修行したとか・・?
そんな関係で付けられた名前でしょうか?

さて、今日は雪浦ウィーク最終日ということで、
雪浦に向かうその途中で、この展望台に寄り道したというわけです。

展望台からの眺めです。

お空が霞んでいて、眼下の景色も海の色もぼんやり。溶け合っています。

展望台にいるのは、私たちだけ。
いつも訪れる人もいないのか・・
それとも、こんな霞み空の日に展望台に登ってくるおバカさんは他にはいないってことなのか・・


さてさて、寄り道は短時間で済ませ、雪浦へ到着。
さっそく雪浦地区公民館でお弁当を買って1階のホールへ。
おかずも豊富な手作り弁当で、お味も very good!
ゆっくり食べ終わったころ、フォルクローレの演奏が始まりました。



今日の目的の一つが、これでした。

昨年秋、初めて雪浦を訪ねてお会いしたKさん。
第2雪浦ダム反対運動の話を聴きに行ったのですが、
そのとき、毎年開催されている雪浦ウィークのことを知り、来年は是非・・と思っていました。

そして今年1月、思いがけない「うたごえ」の場所で、Kさんのケーナ演奏を聴き、
すっかり魅了され、これは何としても雪浦ウィークに行かねば・・と改めて思ったのでした。

今日の演奏は、「コンドルは飛んで行く」から始まって、Kさん自作の曲も数曲聴けました。
雪浦の四季を歌った曲や、命の水を生み出す森をたたえた歌など、
どれも素晴らしくて、しかも大好きなフォルクローレ調。
明るくて哀愁があってどこか懐かしい・・

何回もアンコールに応えて下さって、ありがとうございました。

お腹も耳も満足して、次なる場所へ。
聖書を描いている方のアトリエや、パッチワークの大作が展示されているお宅などを訪ね、
次は「音浴博物館」へ。
と思っていたのですが、またちょっと寄り道を。。

先ほどお邪魔したお宅で、
「今日のような暑い日は、『つがね落としの滝』は最高ですよ」
「あそこはまだ水もきれいだしね・・」
との情報を得て、素直な(単純なとも言う)私は、すぐにgo!

河通川沿いの道をどんどん上って行くと、突き当りは河通ダム。
そのそばの駐車場で車を降り、ダムの橋を渡り、向こう側の山道に入ります。


少し行くと、こんなトンネルがあり、ここを抜けると、

到着です!


予想以上に大きな滝でした。
落差20mとか。

本当に緑に囲まれた爽やかな空間で、空気も涼しくて・・・
夏にまた来たいな~




ここは、古本屋さんでも田舎の図書館でもありません。



そう。ここが、音浴博物館!

SPレコード10,000枚、LPレコード150,000枚、
何十台もの蓄音器やスピーカー。



こういうものにはまるで疎く、関心もなかった私ですが、聴いてびっくり!
この部屋で案内人がかけてくれた「北国の春」。
CDとレコード盤で聴き比べると、全く音が違うのです。
はじめにレコードを聴いて、その後CDを聴くと、
硬くていかにも機械的な音に聞こえ、不愉快な感すら覚えます。

でも、いつも、この音を、この音楽を今の私たちは聴いているんですよね。
それに普段は満足しているのですが・・

説明が終わって、
希望者は好きなレコードをこの部屋に持ち込めば、係の人がかけてくれる
というので、私はカザロフの「鳥の詩」をお願いしました。
ネット上と、友人がダビングしてくれたテープでしか聴いたことがなかったので、
一度本物のレコードで聴いてみたいと思っていたのですが、
まさか実現するなんて・・とワクワク。

しかし、そのレコードが流れ始めて数分経っても、「鳥の詩」は始まりません。
しびれを切らして、
「あのー、時間がないので、『鳥の詩』だけ流してもらえませんか?」
係の方は頷くだけで、席を立ってプレーヤーのそばへ行こうとはしません。
少しイライラしつつも、「鳥の詩」は2番目だったから、きっともうすぐなのかな?
と、待ち続けました。
結局、私が聴きたかった曲を聴けたのは、10分近くが経過してからでした。
レコードは、CDみたいにトラックの順番を変えたりスキップしたりはできないから、
当然なのかもしれません。
こうやって私たちは、より便利なものを求め続け、便利な暮らしに慣れ、
その代わりに、上質なもの、価値あるものを、自ら捨ててきたのかもしれないですね。


音浴博物館を出たらもう4時半。
他の工房を覗く時間も無し、今度はハクチョウがいるという雪浦川のスポットへ。
教えてもらった周辺を探してみましたが、残念ながら出会わず・・

あきらめて、雪浦を出て、今日の最終目的地に向かいました。



ここは、崎戸のウォーターデッキステーション。
西海町から大きな橋を3つも渡って辿り着いた崎戸の島の先っぽにある珍しい施設。

超長いウッドデッキが折れ曲がりながら、260mも続いています。


満潮時、デッキの下はすぐ波で、海の上を歩いているような気分だとか。
残念がら今は干潮の時間帯。底がドーンと出現しています。



ここの海底は、千畳敷と呼ばれる、平らな大きな岩でできています。
表面の緑や茶色は海藻です。

向こうに見える人影は、海藻を取っているのでしょうか?
それとも、魚釣り?

「デッキの上で魚釣りはしないで下さい」という注意書きがところどころ掲げられていましたから、
きっと良い釣り場なのでしょう。




この豊かで美しい海の、
ずっとずーっと向こうに沖縄の海があり、
辺野古の海があり、
そこも、豊かで美しい海であり、
この海と同じように守りたい海であり、

そこに基地なんて造ってはいけない。
ぜったいにいけない。

どうしたら止められるんだろう・・

崎戸の夕陽は大きくて、
思わず祈りたくなってしまいました。

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見どころいっぱい!

2010-05-02 | 佐世保・長崎

今日から連休で~す!

といっても、ふだん仕事してるわけじゃなし。関係ないでしょ?
と言われればそれまでですが・・・

2日~5日までの4日間、座り込みがお休みなのです。

久々にゆっくり寝坊するつもりでしたが、
う~ん、いつも通り6時前に目覚めてしまいました。

天気も上々。
急きょ、夫と鷹島の海中ダムを見に行くことにしました!



「海中ダム」ってご存知ですか?
海中と言ったって、本当に海の中にあるわけではありません。

海岸の入江を締め切り、流入水をためて内水面を海面より高くし、
海水と真水の比重差を利用して、淡水化を図るという方式。
つまり、塩分の濃い下部の水は海に戻し、
淡水化された上部の水を使用。

日本初の海中ダムなのです!




案内板の説明によると、
堤体の右側に描かれている絵は、安土桃山時代よりこの地に伝わる雨乞いの踊り。

面積わずか約17km2という小さな鷹島。
大きな森も河川もなく、昔から慢性的な水不足に悩んできたそうで、
それはきっと、佐世保市の比ではなかったでしょう。

そこで生まれたこのユニークなダムは、
平成1年に着工、5年に完成し、
今や、鷹島全土の農業用水が賄われているそうです。

この海中ダムの水を浄水場へ送って、水道水にできないのかなぁ・・
それが可能になれば、水不足で悩んでいる他の島にとっても朗報だし、
佐世保市も石木ダムが必要などとは言えなくなるのに・・


海中ダムを見学した後は、南に下って、若松自然園へ。
海に面した小山全体が自然公園になっていて、とてもホッとする空間です。



見晴らし台から眺めた海の色がとてもきれいで、
引き寄せられるように、海岸への道を降りていきました。

降りたところは砂浜の無い岩場。
美しい地層や、波に洗われ削られた巨大な石など、自然界の作品展のよう。



足元の石には、小さな貝がへばりついています。
よく見る貝ですが、私は名前を知りません。

近づいてみると・・・動いていました。

10人家族?お引越しの最中のようで、一列に並び、えっちらおっちら・・・




5分ほどかけて、ここまでやってきました。



わかります?
5番目と6番目の貝の目の前にあった水たまりを、
いま、最後の貝が通過したところです。



さて、若松自然園でのんびりした後は、一路北上。
島の北端に位置するモンゴル村にやってきました~



以前からその名前だけは聞いていましたが、
モンゴル村って何があるの?なんでここにあるの?と不思議でした。
ちゃんと理由があったんですね。

この鷹島は、元寇最後の戦場となった島。
弘安4年、14万人の元の大軍がこの島の海に沈み戦は終結。
しかし、2度にわたる大戦で、生き残った島民もわずか2人だったとか・・・

その悲惨な歴史を学び、今も毎年元寇記念式典を開催しているという。
そんな所縁の深い元、今のモンゴルの文化を紹介し、それを町おこしに利用してつくったのが
モンゴル村だったというわけです。



これはモンゴルの住居で、ゲルと呼ばれるもの。



中は結構広いんですよ。
ベッドやタンスやテーブルがあって、宿泊施設となっています。



モンゴルのような大草原とまではいきませんが、小高い草原も広がっています。

坂を下りたところには、数種類の動物コーナーがありました。
こちら、ヤギと羊のコーナーでは、可愛いヤギの赤ちゃんが・・・




こちらは、対馬ウマのコーナー。
とても物静かで理知的な横顔でした。
向こうに見える子どもの馬は、菜の花でしょうか?黄色い草花を美味しそうに食べていました。







モンゴル村を出て、鷹島から佐世保へ・・・
直帰するには、もう少し時間があったので、夫の提案で平戸城へ向かいました。

平戸には何回か来ていますが、お城の中は初めてです。
天守閣の中に飾られた数々の展示物も見応えがありましたが、天守閣からの眺めも抜群です。



お城を出て、隣接する公園を歩いてみました。

「酔ひどれも踊り疲れてぬくい雨」
という山頭火の歌碑がたっていました。



その台座には、山頭火の日記の一文も刻まれていました。




いいえ、平戸だけではありません。

最後に寄った長串山公園もそう。
友人のYさんお薦めのビューポイント。北九十九島の絶景が見えるとのこと。
行ってみました。



時刻は18時41分。
まだ夕日は高い位置にいます。
全山がツツジで覆われたような長串山。
そのツツジの向こうに広がる海と九十九島と夕焼け空は、ワイン色に包まれて、
ほんとに酔ってしまいそう・・・

長崎の美しい自然に乾杯!



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またしても・・・

2010-05-01 | 有明海・諫早干拓

知人からのメールで、毎日新聞4月24日付けの記事を知りました。


諫早湾干拓事業開門反対の署名、諫早市が提出 

 国営諫早湾干拓事業(諫干)を巡り、諫早市(職員数1020人)は23日、開門調査反対の署名を、地元の商工団体などでつくる諫早湾防災干拓事業推進連絡本部に提出したことを明らかにした。市は「市職員には署名の強制はしていない。誰が署名したかなどのチェックもしていない」とし、署名人数についても公表しなかった。
 同本部は、赤松広隆農相に提出するため3万人を目標に開門調査反対の署名活動を実施中。市干拓室は、今月初めに同本部から署名協力の依頼を受け、職員有志に署名のお知らせを用紙で配布。協力に応じた職員は家族、友人らに署名を呼びかけたという。


昨年、川棚町役場の職員は、石木ダム反対の署名簿のコピーを手に入れて、それをチェック。
その中から役場職員の名前を抜き出し、町長に進言。
町長から該当職員に苦言を呈したことが発覚。
川棚町長の、人権や個人情報に関する意識の低さが全国に知れ渡ってしまったことは
記憶に新しいですね。

しかし、諫早市では、全く忘れ去られているようです。 

こちらは逆に行政側が反対署名を集めていたという構図ですが、
職員の信条や政治的意見に、影響や圧力を与えるという不見識な行為は同じです。

新聞によると、
「諫早湾防災干拓事業推進連絡本部」から署名協力の依頼を受けた「諫早市干拓室」は、
職員有志に署名のお知らせの用紙を配布したとのこと。
「市職員には署名の強制はしていない。誰が署名したかなどのチェックもしていない」としていますが…

メールで知らせて下さった方によると、
「署名用紙は各課、各支所を通じて渡され、取りまとめられていた」ということです。
それが事実なら、川棚のケースと同じように、
取りまとめた人が「かってに」チェックして、「かってに」上司に報告するかもしれませんし、
署名しなかった人が居辛くなるような雰囲気が生まれるかもしれません。

「署名の強制はしていない」とか「職員有志に配布した」とか書かれていますが、
その有志はどうやって判別するんでしょう?
担当者が各課などに出向き、
「反対の署名をしてくれる人手を挙げてくださーい」などと言って、挙手した人に用紙を渡す?
あるいは、一人ひとりの席に近づき、署名してくれる?などと尋ね、了解した人に用紙を渡す?

いずれにしても、個人の内心が、職場の同僚や上司に知られるという可能性があり、
知られた後の影響(仕事や人間関係などへの)など、様々なプレッシャーも生まれるでしょう。

そういう状況に置かれた時、たいていの人は、
署名をしさえすればそれで済むんだ、よけいなことは考えないようにしよう・・となるのではないでしょうか?

署名は個人的な行為なので、
仮に干拓室で働いている職員であっても、開門賛成or反対いろいろあっていいはずですし、
その意思を署名行為で表すことも何ら問題はありません。
しかし、それは、個人の自由意思が保障される場でなければなりません。

署名を集める場が、その人が勤めている職場で、
しかも、この問題の関係者(開門に反対している)諫早市の役所内であるならば、
自由意思に基づく署名とは言い難く、無言の圧力をかけているように思えます。 

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