3月10日、夕方6時から、3・11犠牲者への追悼と脱原発を願う集会を行います。
佐世保市四か町アーケード街、島瀬交番横の広場です。
キャンドルナイト、うたごえ、避難者のお話、素朴な意見交換など予定しています。
私たちは、新聞やテレビ、インターネットなどメディアからの情報を得て、ある程度は知っています。
いつ、どこで、どれほどの大地震が起きたのか。
車も船も飛行機も流される津波の威力を映像で見ることができました。
まるで空襲を受けたかのように破壊された町並み。
見事に消失した松林に1本だけ残った松の木。
見えない放射能によって自宅に帰れなくなった人々。
いろんなことを目や耳からインプットしてきました。
それでも、時間が経つにつれて、忘れていく。
所詮、他人事?
せめて、当事者の生の声が聴けたら、私たちもあらためて感じることができるはず。
原発の専門家や支援活動をしている人の話を聞くのも大切だけど、
まずは、被災者の生の声を聴きたいと思い、
「長崎ソカイネットワーク」に連絡を入れてみました。
窓口のHさんは、とても誠実に対応して下さいました。
が、私たちの願いを叶えるのは無理だと言われました。
というのは、
福島に限らず、被災地から来られている方々は、
程度の差はあれ、人に話すことで「思い出すのがつらい」という共通の感情を持っている。
(避難民の声を取りたいというメディアの取材申込も連日膨大に来るらしい)
その差は千差万別だけれど、それぞれ諸事情を抱えていて
正直なかなか話すような状況ではありません。
とのこと。
考えて見れば、当然です。
本当に辛い思いで長崎まで疎開して暮らしている方々。
なるべく過去を振り返らず前を向いて生きていこうと頑張っておられるのに、
震災の話をするなんて、傷口に塩を摺りこむようなものだろう。
そんな想像力さえ持ち合わせていなかった私…深く恥じ入りました。
ところで、先日(2/19)お伝えした子牛のふくちゃんは、順調に回復しているようです。
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2012/02/5_8039.html
このまま元気になってほしいと祈るばかりです。
"警戒区域"という境界線。
これは、命の境界線にもなってしまいました。
と書かれています。
境界線の内か外かで、安楽死させるかどうかの線引きがされているのです。
牧場スタッフにとって、辛いやりきれない思いの一年だったことでしょう。
それでも動物たちは「生きることの尊さや喜び、あきらめずに頑張る勇気と希望」
を与えてくれているそうです。
また、26日の新聞に石巻市の小学生へのインタビュー記事が掲載されていました。
5年生の女の子楓華さんは、今も毎日友だちのことを思い出すと言います。
大の親友で、いつも一緒だった友のことを夢に見て、泣きながら目覚めることも。
そして、夢の続きを話したくて、出すことのできない友への手紙を何通も書いたそうです。
その友の誕生日は3月11日。
今年もプレゼントを用意している…と。
一年たった今も、現地の人たちは、子どもでも、必死に悲しみを抱えて生きている…
そのことをあらためて教えられました。
3月10日の集いが、たんなるイベントとならないよう、心して、
心を込めて準備したい…と、思っています。