東京新聞15日の記事。
交通事故で死んでしまった母牛の横に座って動かない子牛、
その子牛を心配し見守っていたのは、福島原発で働く作業員。
彼らは原発の行き帰りに、いつも牛たちを見ていたと言う。
道端で草を食べている牛や、道路を歩いている親子連れの牛たちを。
それは、強制避難させられた酪農家によって飼われていた牛たちなのだろう。
「一緒に被爆してきたという思いもある。保護されて本当によかった」
という作業員の言葉にドキリ。
政府や東電だけでなく、脱原発を叫ぶ人々も、安全な場所であれこれ議論するばかり。
自分たちは、あの放置された牛たちのように見捨てられた存在…
のように、作業員の皆さんは感じているのかもしれない。
保護された子牛は、「ふくちゃん」と名付けられ、
いま、エム牧場で懸命に見守られている。
その様子は、ブログ「希望の牧場~ふくしま~」を是非見てほしい。
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2012/02/2_a6f0.html
今日(16日)は少しだけ餌(乾草)を食べ、お水も少し飲んだらしい。
でも、前足が動かなくなってきた、脊椎損傷の影響が進行しているようだとのこと。
「明日も生きてほしい!」とスタッフは祈る。
原発から20キロ圏内には、多くの動物が取り残され、傷つき、弱っている。
このままでは餓死が待っている。
それどころか、
畜産農家に対する殺処分の同意を求める国と県の圧力は日々強まっていて、
近所迷惑となった野良牛を処分しない場合は損害賠償の裁判に訴えられるぞと、
半強制的な態度に出る役人も中にはいる。
餓死でもない、殺処分でもない、牛たちの生きる道を作り出そうと、
「希望の牧場」プロジェクトが始まった。
吉沢代表はブログでこのように述べている。
原発事故によるセシウム汚染地帯の浪江・双葉・大熊・富岡の各町の水田は、
コメ作りは不可能なまま、今後、荒廃化を続けるでしょう。
そこに電牧柵をめぐらし、1,000頭の牛たちを収容・保護すれば
立派な低コスト省力型の除染と環境保全管理の役目を担ってくれるはずです。
いずれ双葉郡被ばく地帯は、食用のコメ作りはできなくても
バイオ燃料用の作物なら望みはあります。
国の復興支援策は、もっと農家の目線・発想に着目してほしいと思う。
逆境である『警戒区域に囲い込まれて』、なお畜産農家の意地で、
希望の灯を自分達でつくる行動の年にしたいです。