佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

弁護士の仕事

2012-02-13 | 佐世保・長崎

私は何かをネット上で調べる時、だいたい最初はwikipediaから見ていく。

まあ、百科事典のようなもので広く浅く客観的な記述がわかりやすく書かれているからだが、

昨日覗いた橋下徹氏のページは、ずいぶん違った感じだった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1

特に「弁護士として」の部分では、驚くほど批判的な内容である。

「異常なほど金に拘る人間であった」とか、

「どこの管財人が何億儲けただの、あの弁護士は幾ら稼いだだの、そんなことばかり」

「橋下は強きに弱く、弱きに強い。金を持っている依頼人への媚びへつらいは酷いものだった」

など、先輩弁護士の評価はバッシングにさえ聞こえる。

 

それが橋下氏の実像かどうか、私は知る由もないし、過去はどうでもいいと思っているが、

その橋下像とは正反対のような弁護士さんが佐世保にいることを知って嬉しくなった。

 

田中亮弁護士、38歳。

(新聞記事の中で公表されていたのだから、ここに名前を記してもいいだろう)

 

長崎新聞年間企画「居場所を探して―累犯障害者たち」第5部・見放された人

の記事の中に、その名前はあった。

 

第5部では、宮沢春男(仮名)にスポットを当て、事故の後遺症による累犯障害者の実態に迫っている。

春男は小学5年生の時トラックに撥ねられ生死をさまよう大怪我をした。

一命は取り留めたが、その後、彼の言動はおかしくなった。

壊れたラジオのように同じ話を繰り返したり、意味不明の文章を書いたり、友人の財布を盗んだり…

高校中退、父の漁業を手伝うが、夜になると繁華街に出かけては無銭飲食を繰り返した。

通報がある度に両親はタクシーを飛ばし、お金を払い、ひたすら詫びる、その繰り返し。

春男は叱られると「二度としない」と反省するが、また両親のすきを見ては飛び出していった。

実刑判決を受け刑務所に入っても、出所すると懲りずに罪を重ねた。

両親は途方に暮れ、あちこちに助けを求めた。

役所、病院、福祉、警察、弁護士・・・しかし、誰も相手にしてくれなかった。

 

一昨年の3月、春男は佐世保署で田中弁護士と出会う。

田中弁護士は春男と話すうちに、事故の後遺症を疑い始め、初公判で精神鑑定の実施を求めた。

そこまでする必要があるのかと、裁判所関係者には冷笑された。

が、長崎大学精神神経科が出した答えは、

20年前の交通事故による脳挫傷を原因とした人格変化、及び知能低下が認められ、

その結果、記憶障害や注意障害といった『高次脳機能障害』を呈している

だった。

しかもIQは36で5歳10カ月並み、早期のリハビリ治療が必要と書かれていた。

が、判決は懲役10ヵ月の実刑。

せっかく累犯の原因を突き止めたのに、それは活かされなかった。

正義って何だろう?

自分にできることは何だろう?

田中弁護士は、その日から一心不乱にパソコンのキーを叩き続けた。

そして、8日後の昨年3月11日、損害賠償請求訴訟の訴状を書きあげた。

相手は、20年前春男をトラックで撥ねた元運転手と会社。

民法では損害賠償の請求権は20年で消滅するが、田中弁護士はその1日前に書きあげた。

時効の前日。

 

お金にも名誉にもならないことを必死でやり遂げ、

「見放された人」に寄り添う弁護士が、この佐世保にはいるんだ…

 

急に胸のあたりが熱く、温かくなった。。 

 

 

コメント (2)
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