WOWOWライブで、鈴木清順・吉田しげつぐ監督、大和屋竺共同脚本の’85年作品『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』を見ました。奇想天外な展開と画面構成でしたが、アニメになると普通の映画になってしまっていました。
また、WOWOWシネマで、ジョナサン・デミ監督の’91年作品『羊たちの沈黙』を初めて最初から最後まできちんと見ました。猟奇的な殺人を描いた作品として記憶に残る作品で、こけおどしの恐怖シーンにも事欠かず、ラストの暗闇での対決シーンは白眉でした。
また、YouTubeで、アンドレ・ド・トス監督の’53年作品『肉の蝋人形』も見ました。自分の蝋人形館を火事で焼かれた蝋人形師(ヴィンセント・プライス)が、やけどでただれた顔になりながら、復讐を果たし、その後も、歴史上の人物に似た人を殺して、蝋人形にしていくという話でしたが、実際に人が蝋人形になっている場面を見ることはできず、凡庸な作品となっていました。
また、WOWOWシネマで、エドワード・ズウィック監督・共同製作・共同脚本の’08年作品『ディファイアンス』も見ました。第二次世界大戦の時にナチスの迫害を逃れてベラルーシの森の中にこもってユダヤ人の共同体を営み、ナチスへの抵抗運動を続けたトゥヴィア・ビエルスキ(演じるのは現在ジェームズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグ)の実話を描いた映画で、度重なる移動、ゲットーからの脱出の手伝い、冬の飢え・病気との戦い、空爆、沼地での逃避行、そしてラスト、沼地をやっと逃れたところで戦車の迎撃を受け、万事休すとなったところに、方針の違いからロシアの抵抗軍に合流していたトゥヴィアの弟が駆けつけ、全滅を免れるシーンにはカタルシスを感じました。撮影の見事さもさることながら、演出の映画の印象を強く受けた映画でした。
さて、‘11年に刊行された大森望編のアンソロジー『不思議の扉 ありえない恋』に収録された、三崎亜記さんの作品『スノードーム』を読みました。
街灯には、クリスマスリースを象ったオブジェが飾られ、イルミネーションが施された街路樹が明るく輝いていた。------まだ十一月の終わりなのに…… 理由もなく、不平じみた言葉を心の中でつぶやいてしまう。苦笑しながら歩き出した僕は、デパートの、一つのショーウィンドウの前で再び立ち止まり、しばらくその中を見つめ続けた。そのショーウィンドウの中にいたのは、本物の人間、それも、若い女性だった。どうやら彼女は、ショーウィンドウの中で暮らしているようだった。
不思議なことに、この奇妙な「ディスプレイ」を気に留める人は、僕以外、誰もいなかった。僕はいつのまにか、彼女の前でしばらく時間を過ごすのが、仕事帰りの日課になっていた。
クリスマスイブの夜、勤め帰りの人々が、いつも以上に急ぎ足で僕を追い抜いてゆく。ショーウィンドウの彼女は、テーブルの上に小さなツリーとケーキを用意して、一人だけのささやかなパーティでクリスマスを祝っていた。テーブルの上には、小さなスノードームが飾られている。彼女は時おり手にとっては、スノードームを揺らした。それは、僕から彼女へのクリスマスプレゼントだった。しばらくスノードームを見つめていた彼女は、椅子から立ち上がって、窓際に立つように、僕の方に近づいた。それは……、きっと偶然だったのだろう。光の反射で、彼女から僕の姿は見えないはずだから。だが彼女は、確かに僕の方をむいて、にっこりと微笑んだ。その微笑みを残したまま空を見上げ、何かを呟いた。ガラスに隔てられ、声は届かない。だけど、僕にははっきりとわかった。僕は彼女と共に夜空を見上げ、同じ言葉を口にした。「メリー・クリスマス……」
休日を挟んで、数日ぶりに彼女のショーウィンドウを訪ねると、そこは、ありきたりなブランドバッグを並べられた空間になっていた。年が明け、おめでたい七福神の飾り付け、冬物バーゲンの告知、バレンタインフェアと、季節の移ろいと共に、ディスプレイはめまぐるしく移り変わっていった。だけど僕は相変わらず、仕事帰りにそこで立ち止まり、ホットコーヒーを飲みながらしばらくの時間をすごした。一人の女性が足をとめ、何かを探そうとするかのようにショーウィンドウに近寄った。彼女だった。毛糸の手袋ごしに両手に息を吹きかけ、そのまま何かを求めるように手を伸ばし、夜空を見上げた。「雪だ……」二人同時に声を発した。思わず顔を見合わせる。街灯の光を受け、雪は僕たちの頭上に、きらきらと輝きながら降り注いだ。僕は、どんな風に彼女に声をかけようかと少し迷ったのち、そのことばを口にした。「なんだか、スノードームの中にいるみたいだね」
ちょっとおしゃれな短篇でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
また、WOWOWシネマで、ジョナサン・デミ監督の’91年作品『羊たちの沈黙』を初めて最初から最後まできちんと見ました。猟奇的な殺人を描いた作品として記憶に残る作品で、こけおどしの恐怖シーンにも事欠かず、ラストの暗闇での対決シーンは白眉でした。
また、YouTubeで、アンドレ・ド・トス監督の’53年作品『肉の蝋人形』も見ました。自分の蝋人形館を火事で焼かれた蝋人形師(ヴィンセント・プライス)が、やけどでただれた顔になりながら、復讐を果たし、その後も、歴史上の人物に似た人を殺して、蝋人形にしていくという話でしたが、実際に人が蝋人形になっている場面を見ることはできず、凡庸な作品となっていました。
また、WOWOWシネマで、エドワード・ズウィック監督・共同製作・共同脚本の’08年作品『ディファイアンス』も見ました。第二次世界大戦の時にナチスの迫害を逃れてベラルーシの森の中にこもってユダヤ人の共同体を営み、ナチスへの抵抗運動を続けたトゥヴィア・ビエルスキ(演じるのは現在ジェームズ・ボンドを演じているダニエル・クレイグ)の実話を描いた映画で、度重なる移動、ゲットーからの脱出の手伝い、冬の飢え・病気との戦い、空爆、沼地での逃避行、そしてラスト、沼地をやっと逃れたところで戦車の迎撃を受け、万事休すとなったところに、方針の違いからロシアの抵抗軍に合流していたトゥヴィアの弟が駆けつけ、全滅を免れるシーンにはカタルシスを感じました。撮影の見事さもさることながら、演出の映画の印象を強く受けた映画でした。
さて、‘11年に刊行された大森望編のアンソロジー『不思議の扉 ありえない恋』に収録された、三崎亜記さんの作品『スノードーム』を読みました。
街灯には、クリスマスリースを象ったオブジェが飾られ、イルミネーションが施された街路樹が明るく輝いていた。------まだ十一月の終わりなのに…… 理由もなく、不平じみた言葉を心の中でつぶやいてしまう。苦笑しながら歩き出した僕は、デパートの、一つのショーウィンドウの前で再び立ち止まり、しばらくその中を見つめ続けた。そのショーウィンドウの中にいたのは、本物の人間、それも、若い女性だった。どうやら彼女は、ショーウィンドウの中で暮らしているようだった。
不思議なことに、この奇妙な「ディスプレイ」を気に留める人は、僕以外、誰もいなかった。僕はいつのまにか、彼女の前でしばらく時間を過ごすのが、仕事帰りの日課になっていた。
クリスマスイブの夜、勤め帰りの人々が、いつも以上に急ぎ足で僕を追い抜いてゆく。ショーウィンドウの彼女は、テーブルの上に小さなツリーとケーキを用意して、一人だけのささやかなパーティでクリスマスを祝っていた。テーブルの上には、小さなスノードームが飾られている。彼女は時おり手にとっては、スノードームを揺らした。それは、僕から彼女へのクリスマスプレゼントだった。しばらくスノードームを見つめていた彼女は、椅子から立ち上がって、窓際に立つように、僕の方に近づいた。それは……、きっと偶然だったのだろう。光の反射で、彼女から僕の姿は見えないはずだから。だが彼女は、確かに僕の方をむいて、にっこりと微笑んだ。その微笑みを残したまま空を見上げ、何かを呟いた。ガラスに隔てられ、声は届かない。だけど、僕にははっきりとわかった。僕は彼女と共に夜空を見上げ、同じ言葉を口にした。「メリー・クリスマス……」
休日を挟んで、数日ぶりに彼女のショーウィンドウを訪ねると、そこは、ありきたりなブランドバッグを並べられた空間になっていた。年が明け、おめでたい七福神の飾り付け、冬物バーゲンの告知、バレンタインフェアと、季節の移ろいと共に、ディスプレイはめまぐるしく移り変わっていった。だけど僕は相変わらず、仕事帰りにそこで立ち止まり、ホットコーヒーを飲みながらしばらくの時間をすごした。一人の女性が足をとめ、何かを探そうとするかのようにショーウィンドウに近寄った。彼女だった。毛糸の手袋ごしに両手に息を吹きかけ、そのまま何かを求めるように手を伸ばし、夜空を見上げた。「雪だ……」二人同時に声を発した。思わず顔を見合わせる。街灯の光を受け、雪は僕たちの頭上に、きらきらと輝きながら降り注いだ。僕は、どんな風に彼女に声をかけようかと少し迷ったのち、そのことばを口にした。「なんだか、スノードームの中にいるみたいだね」
ちょっとおしゃれな短篇でした。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)